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海外の人のSNSの使い方(ソーシャルコミュニケーションの取り方)

先日、ミャンマーと日本のハーフの姪が1歳になる機会に、日本にいるミャンマー人(姪の親の友人や親戚)が10人くらい集まるミャンマー独特の誕生日パーティにお呼ばれして行った時に感じたことをアウトプットします。

ミャンマーの人たちを見ていると、日本にはないある驚くような光景が見えました。

なんと、姪の親の友人が姪っ子の様子をテレビ電話で妹や親に見せている姿でした。

日本で同じように、自分の友人の子どもをビデオ電話で家族に伝えることはまずないかと思います。それをすれば、「あれ、なんでこの人は友達といる時に妹や親にテレビ電話をしているんだろう」「シスコン/マザコンなのかな」と思われるかと思います(偏見)。

そこで今回は
「なぜ同じSNSでもここまで使い方の違いが生まれるのか」
について独自に仮説立てていきたいと思います。

考えられる4つの仮説

・言語的な違い
・文化的背景の違い
・コミュニティ形成の違い
・文化的背景の違い(宗教観)

・言語的な違い
ミャンマーの人たちが会話をしているのを見ていたのですが、とても早口でたくさんの言葉を交わし合いながら会話していたのを覚えています。また、ミャンマー語はアラビア語みたいな形をしていて、とても描くのが難しいと思われます。
これらのことから、文章を書くよりは、実際に会話で伝えた方が早い、楽ということで、すぐにビデオ通話に至るのではないかと思います。

・文化的背景の違い
そもそもミャンマーは民族間の繋がりが弱く、むしろ対立しているので、交流するコミュニティが身内に限られてしまうと考えられます。
反対に日本は日本人同士での対立はなく、日本中に友達がいる状態なので、交流するコミュニティがたくさんあると思います。なのでインスタグラム(フォロワーに見てもらう)などが成り立つのかと思います。

・コミュニティ形成の違い
先ほどの文化的背景の違いとも繋がってくると思いますが、行動を見てみると、
日本:親しい人がたくさんいるので、インスタのストーリーなどで不特定多数に見てもらう→ペルソナはいない感覚。
ミャンマー:密な関係な人が少ないので、見てほしい人、聞いてほしい人が身内になりその人たちに伝える。→ペルソナをイメージできている感覚。
という構造になっているのではないかと考えられます。

・文化的背景の違い(宗教観)
また、そのミャンマーの人たちの行動を見ていると、
一人でipadで映画を見ている人がいたり、家にあったギターを弾いている人がいたり、姪と遊んでいたり、料理をしたりとみんなそれぞれのことを行なっています。日本では、”空気を読む”という概念があるので、あんまり日本では見られない光景でした。

これについて下の記事を参考にして解説すると、

まず、海外には”空気を読む”という概念がそもそもないらしいです。
というのも、

宗教上の歴史の中で
海外:宗教観の違いで対立していた
   →信念を持つこと・敬虔さ を最も重視
日本:宗教間での争いはない
→他者に対する尊敬 を最も重視

日本では他者に対する尊敬によって、空気を読むことが美学とされ、海外では、信念を持つこと・敬虔さによって、周りの目を気にするよりも自分のしたいことを貫いているのではないかと思います。

以上仮説を4つ挙げましたが、これらはあくまでも仮説なので、これは近い将来検証したいと思います。

仮にこれらが実証される場合、
ミャンマーと同じように民族間での成り立ちでいうと、アフリカの人々も同じような民族意識が高い人々なイメージがあるのでアフリカの人々も同じようにソーシャルコミュニケーションの取り方が似ているのではないかと考えることができます。

以上 外国のソーシャルコミュニケーションのお話でした。

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