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想像力の乏しさ

「我々の情に触れようと思えば、想像力に照らして本当というものより、物としてリアルなものこそが必要なのである」。

これは19世紀イギリスの演劇督視官ウィリアム・ボダム・ダンなる人物の当時の演劇のあり方を評した言葉の一部。
ダン督視官は「我々の祖先が心眼を以て見ていた幻が、我々には可触のかたちに具体化しているのでなければならない。全てが心にではなく目に触れるものでなければならない」と嘆いているが、なるほど、1851年のロンドン万国博覧会を1つの象徴的な出来事としてその後展開していく大衆消費社会がいかに人間の認知や想像力のあり方を変化させ、それが演劇にも強い影響を及ぼしていたということがよくわかる。

想像力の有無が常に問題になる現代社会に生きる僕らにも決して他人事ではないものだと思うが、果たして、その想像がついているだろうか?

これを紹介するのは高山宏さんの『アレハンドリア』だが、そこではこのような解説がある。

「想像力」はかつてロマン派最大のキーワードだったはずのもの。ないものを頭の中で、有るものに変える。その能力がない世代が産業革命の物、物、物の中に育ってきたのであって、「エステティック・インテリア」の名で知られる贅美の限りを尽くした調度の室内を見て暮らした上流階級は舞台上にも同じものを見ようとした。

「ないものを頭の中で、有るものに変える」。それができない人が多くなると「見える化」だとか「ヴィジュアライゼーション」とかが必要になる。カタチにして議論するという名目でプロトタイピングなどがもてはやされるが早い話、これ、単に想像力の乏しさを暴露しているにすぎないのではないかという気になる。

「我々の祖先が心眼を以て見ていた幻」をもはや頭の中で有るものに変えることができなくなってしまった欠陥品が僕らである。そのはじまりが19世紀半ばに見られるのだ。
起源を明らかにすることは理解を深める上で大事なことだ。なぜ、僕らはこんな欠陥品になってしまったのか? それを問わずに「可視化が大事」だとか、おめでたくのたまわっている場合ではないだろう。だから、僕らは--すくなくとも何らかの形で視覚化や創造に関わる人は--もっと表象の歴史をちゃんと知っておく必要があると思うのだが、さて、いかがだろう?

流行りのビジネスメソッドばかり追いかけて、何か考えた気になっているひまなど、ほんとはすこしもないはずだ。それこそ、自分たちが「可触のかたちに具体化している」ものを提示してもらえないと何もできない欠陥品であることを無抵抗に受け入れてしまっていることの何よりの証拠ではないか。

「観客側にこうして想像力が欠けてしまっていることが、これらの舞台の上で演じる者、舞台を造りあげる者双方に等しく影響を与えるはずだ」とダン督視官は言う。
同じだ、僕らの日常の仕事の現場でも。想像力が欠けてしまっているから、シンプルなセットで考え、ディスカッションすることができず、代わりに、面倒なメソッドやらプレゼンテーションの用意が必要になる。だからといって、それがあれば想像力不足を補えるかというと、そうでもない。まだまだぜんぜん不足で、結局は実物そのものがなくては何も判断ができない人がなんと多いことか。

反省のために起源に戻らなくては…。
そう思わずにはいられない。

「細部の宝庫ではあるが」とヘンリー・ジェイムズはジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』について言っているー「しかし、それは無頓着な全体である」。同じことがヴィクトリア朝の全体について言えるかもしれない。ヴィクトリア朝の芸術作品はしばしば、その時代の室内と同様、できるかぎりぎゅう詰めにすべき入れ物であるように思われる。

と19世紀イギリス、ヴィクトリア朝の文化的特徴を言い表すのは『ヴィクトリア朝の宝部屋』のピーター・コンラッドだ。
細部までぎゅうぎゅうに詰め込まれたのは絵画でも小説でも同様の傾向だったし、それは当時の人々が偏重した室内においても同様だったという。そこにロンドン万国博覧会に象徴される産業革命の恩恵としての商品が流れ込んでいたわけである。

19世紀に工業製品があふれてきて、ヨーロッパ人はからっぽ空間の品位という感覚を忘れてしまい、部屋は、装飾小物、記念品、鳥籠、水槽、けばけばしい額縁、繰形、掛け布、装飾過剰の家具屋などで雑然としていた。室内がからっぽであるのは不完全とか貧乏のあらわれだと考えられていたのだ。

と書くのは、『空間の文化史』のスティーヴン・カーンだ。
カーンは「イギリスの建築家チャールズ・ヴォイジーは「大抵の部屋にあふれているごちゃごちゃした形や色」への不快感を述べている」とアーツアンドクラフト運動で知られるヴォイジーを召喚して「なんでも雑然と混ぜて喜ぶ19世紀趣味をヴォイジーは批判し、平らな表面、簡素で機能性に富んだ構造を良しとした」とも書いて、19世紀の詰め込み主義のインテリア嗜好の特徴を明らかにしている。

こうして室内に物が詰め込まれ、代わりに頭の中から想像力が失われていく時代たがらこそ、メルヴィルは『白鯨』を書いたのだとも考えられる。失われていく想像力が海に潜って巨大なクジラとなる。
生活が大きく変わる時代に、人々の思考のカタチも変わったのだが、後者の方があまり語られないのは、やはり「ないものを頭の中で、有るものに変える」ことができないゆえに、形のない思考といったものをうまく捉えられないことあるのだろう。

当時の人々が「室内」に向かった理由はなんだったのだろう。室内に逃げこむ必要がヴィクトリア朝の人々にはあった。

「異常なほど健康というものに狂奔し執着したヴィクトリア朝は、同時に怖るべき悪疫の世界であった。食物と水の汚染が原因でコレラ、チフス、天然痘、猩紅熱……といった悪疫流行が繰り返され、繰り返されるたびに何万という死者を出した」(高山宏『アリス狩り』より)時代であり、それが人々に外出を控えさせ、室内偏重を生みだしたことが指摘される。

コンラッドはいう。

ロマン派の作家たちは演劇を小説へと変えたが、その小説は『指輪と本』の中において、劇的独白の連続へと変えられることになる。おそらくはこのような個性の追求のために、19世紀の文学は全体から離れて細部へと向かい、規範的な美の基準から離れて無限に多様な醜悪さへと向かうのだろう。というのも、醜悪さこそ個性の原理となるからであり--われわれは美の理想からの隔たりによって、個人となるからだ。

この醜悪さもまた当時の悪疫の流行と無関係ではない。
だが、同時にここで指摘される「演劇を小説へ」の流れは、人々の室内偏重と物質文化への移行の影響下にあるものだ。

そもそも、この室内に向かう流れが、演劇から小説への流れを作ったのは200年前の17世紀後半においてであったりもする。その時代、シェイクスピアに代表されるエリザベス朝演劇は終焉を迎え、台頭するピューリタン、科学者や数学者からなる集団ロイヤルアカデミーによって劇場は封鎖されたりしている。

ふたたび『アレハンドリア』から引用。

清教徒というのは人間が集まって何かをやる空間をとても嫌う。もちろんそれは当時ペストが流行ったせいもありまして、劇場封殺というような事件が起こるんだけど、そのため悪魔の存在を許す共同幻想の成立する場がどんどん潰されていった。それに替わって生まれたのが個室文化ですね。個々の人間はそれぞれの個室にいてお祈りをあげる、その一対一の結びつきが大事なのだという考え方。同時にそれは小説の発生にも繋がるんです。広場が潰されることによって芸能が衰え、その一方で、個室で読まれる小説というジャンルが生み出されていくわけです。

そう。ここでもピューリタンの台頭ともに、ペストの流行という要因も加わって、演劇から小説への移行が起きている。集まって何かをすることが嫌われたから、1人で何かできるよう、小説的なものへと移行する。だが、この時の小説はまだ想像力を欠いたものではない。18世紀に入って登場してくる『ロビンソン・クルーソー』にしても、『ガリヴァー旅行記』にしても、百科全書的にさまざまな知恵、とりわけ職人仕事的な知恵を列挙することはあっても、それを物によって可視化や具体化しないとイメージできないような19世紀的列挙ではまだない。むしろ、それは個人が頭の中でないものを有るものに変えることができた時代のものだ。
そういう時代であったからこそ、例えば、近代分類学の祖とされるリンネや、進化論のダーウィンの祖父であるエラズマス・ダーウィンのような18世紀の植物学者たちは科学的な方法を採用して思考する一方で、詩作を通じて植物の結婚や性的振る舞いのような想像を働かせることもできたのであろう。

だが、それが19世紀になると、様相は一変する。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』から引く。

19世紀リアリズムとそれに先行するリアリズムの違いは、まさに前者が方法論的--つまりイデオロギー的--になる傾向が強かったというところにある。事実、イデオロギーや理論は芸術における19世紀的方法を常に汚染していたのであり、芸術は技術主義的なものの餌食となったのである。すべての方法は計画をひき出した。そして、芸術とテクノロジーの間の(おそらくまた科学とテクノロジーの間の)根本的な差異は、芸術も科学もついに計画することはできないものだというところにあるのだ。

個室でひとり想像にふける、同じようにラボでこもって研究を進めるための、書かれた知識の蓄積、あるいは、驚異の部屋やその後のミュージアムに収集された研究素材としての収集物が、やがて想像力を欠いた者同士のコミュニケーションあるいは流通のための手段に変わっていく。それが1851年のロンドン万国博覧会、1852年世界初の百貨店ボン・マルシェの開業に象徴される商品の時代の到来である。同じ室内でも、19世紀の室内はコミュニケーションの空間となった。しかも、想像力を欠いた人たちの即物的なコミュニケーションの。

そこにおいては芸術も科学も技術主義的なものの餌食となった。

ふたたびサイファーから。

ニーチェは健康の神経症というものもあるのではないかと問い、芸術とはそういう神経症、いわば参加神経症なのだと考える。こういう観念はすでにブレイクのなかにあったものだが、彼は夜明けの中に自らの猛り狂う欲望の姿を読み込んでいた。アルビオン(=イギリスの古名)の息子たちは科学というただ1つの視によって自らを盲目にしてしまい、ニュートンが寝ている間、認識の扉を閉ざしてしまった。

自ら盲目になった人々の末裔が僕らである。室内に物を詰め込むばかりで、「参加」を拒絶する姿勢。いままた「参加」を重視する姿勢が求められるのもこの反省においてであることを僕らはちゃんと意識できているか? 意識できていないのだとしたら、単に闇雲に、参加を追いかけても結局想像力の欠如がリアルな物理的な場以外への参加を不可能にするだろう。

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