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ガルガンチュア/フランソワ・ラブレー

ようやくラブレーを読む。

フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュア』は、もう何年も前から、いつかは読もうと思っていた、全5巻からなる『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の1巻目だ。

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ラブレーとブリューゲル

ラブレーは、1483年くらいに生まれ、1553年に亡くなったフランス・ルネサンスを代表するユマニスト(人文主義者)であり、医師だ。
『ガルガンチュアとパンタグリュエル』は第2書にあたる『パンタグリュエル』が最初に1532年に書かれた後、第1書である本作が1534年に、その後、1546年に第3の書、1548年に第4の書(完全版は1552年)、偽書との疑いのある第5の書はラブレーの死後、1564年に発表された。

ミハイル・バフチンには、「ラブレーは難解である」と言われつつも、「そのかわり正しく解明されるならば、彼の作品は数千年におよぶ民衆的な笑いの文化の発展に、逆に解明の光を投げかけるであろう。なぜなら、ラブレーは文学分野における民衆的な笑いの文化のもっとも偉大な表現者だからだ」と中世からルネサンスにいたるまで形を変えながら続いたカーニバル的機知の鍵を担う役割を与えられ、また、ロザリー・コリーには、「さまざまな業態の人間がどういう生業を営み、自分たちのより大きな世間をどう見ているか、その使う言葉や如何にということへのラブレーの関心の強さは、そうした職能語へのパロディぶりからも、作品を中断しやまぬ百科事典さながらの一覧表趣味、この寛容きわまる本の宇宙が容れるさまざまな理解能力の世界の多様さからもわかる」とそのリスト狂ぶりを指摘されるのが、ラブレーの作品である。

遊戯とリスト化という分脈では、ほぼ同時代を生きたピーテル・ブリューゲルの「子供の遊戯」という作品を思い出させる。

こんな絵だ。

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大人において醜悪だと思われる事柄を子供の遊戯に託してリスト化した作品とも言われるブリューゲルのこの絵は、まさにラブレーの『ガルガンチュア』の世界を表しているようにも見える。

マルティン・ルターがカトリック教会の免罪符を批判した『95か条の論題』を発表したのが1517年。ソルボンヌの神学やカトリック教会に対する批判が含まれたために禁書にもなった、このラブレーの『ガルガンチュア』がまだ未発達なフランス語で書かれたのが1534年。
その反カトリック教会的な動きが社会に蔓延しはじめた時代を生きたラブレーの姿勢に、日常の常識的な価値観の反転を含むカーニバル=謝肉祭的な戦略が採られたのは自然なことではないだろうか。また、それが大人に禁じられた行為を「子供の遊戯」と重ねあわせて表象したブリューゲルの作品を思い起こさせるのも当然ではないか。

中世の騎士道物語のパロディの体裁もとった、この『ガルガンチュア』が表現しているのは、そんな16世期の北方ヨーロッパにおける変化しつつある時代のパラドキシカルな精神だと感じる。

リスト狂い

それしても、ロザリー・コリーが『パラドキシカル・エピデミカ』という大著で「そのリスト狂い、叙事詩的カタログへのパロディ好きは、勢い物語の模範的進行とは直には合わない多くの話柄に作家を拉致していく」と指摘しているとおり、なんでもかんでもとにかく知ってるだけ並べ立てて、一覧化するラブレーである。

「第22章 ガルガンチュアのお遊び」という章では、以下の写真のような当時の遊び(本当にあったものだけなのか、ラブレーの創作も含むのかは謎だが)がひたすら羅列され、まさに先のブリューゲル「子供の遊戯」を想起させる。

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当時、遊戯は無為の象徴であり、いざこざの原因にもなるというので、教会は公会議の決議や教区命令として遊戯禁止令を出していたりした。ようは、217の遊びが列挙された、このリストは「禁じられた遊び」の一覧ともいえる。
してみれば、先のブリューゲルの「子供の遊戯」も大人の愚行の寓意だともいえるわけだ。

こうした箇条書きの形式だけでなく、以下のような形で文中を食材のリストが占めることもある。

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コリーが以下のような指摘をするように、いたるところでリスト化、羅列、一覧化が行われて、物語の流れは中断される。

ルネサンス軍隊の階級名、火砲類、ルネサンス紳士階級の衣服、馬上槍試合の人馬がつける防具各種、猟獣や肉獣、ヨーロッパ中の湯治場、動物の鳴声、異端の種類とその処罰の種類、怒った人間の口をつく怒号等々、皆リスト化される。身体各部位、体の働き、肉体の疾病や不調およびそうした部位、病と失調への手当てや療治に夥しい紙幅が費やされるのは、風刺にしろそうでないにしろ、ラブレー自身が医家であったことからして当然のところである。カタログのカタログまで登場するに及んでは、ほとんど列挙の叙事詩の感さえある。

まったく、この百科全書的な知のあり方とはいったいなんだろう? 
リスト化、カタログ化、一覧表化。
まあ、このとにかく並べ立てる知的傾向はいうまでもなく同時代の「驚異の部屋=ヴンダーカンマー」の流行と無縁でないのは明らかだ。

ポーラ・フィンドレンが16-17世期ヨーロッパの自然科学研究における博物学的蒐集に光をあてた『自然の占有』で、「16世紀と17世紀のあいだに、最初の科学ミュージアム−技術と民族学的珍品奇物と自然の貯蔵庫−が出現した。その出現は、全ヨーロッパが蒐集に熱を上げていた時代と重なる。後期ルネサンスとバロックのヨーロッパの風景には、ミュージアム、図書館、精緻な庭園、人工洞窟、そして美術のギャラリーが満ちあふれている」と書いているとおり、ラブレーらが生きた16世期のヨーロッパといえば、蒐集し並べることで知的な精神を満たそうとした時代である。
集めたものをミュージアムや庭園、人工洞窟(グロッタ)に並べた。そして、蒐集したものをリスト化し、カタログ化する。

フィンドレンは、カタログ化するという16世期的な知的活動について、

カタログは、コレクションが生み出したもっとも重要な所産である。所蔵目録が明らかに中世から存在していたのに対して、カタログは初期近代の発明である。目録は、ミュージアムの内容を記録する。目録は、対象に分析的な意味を与えることなく、その一覧を作成することによって、ミュージアムの現実を量として示す。これに対してカタログは、解釈しようとする。16世紀後半にカタログが出現したことは、ルネサンスの蒐集家たちの実践がいかに新しいものだったかを示唆している。

と書いているが、このルネサンスの蒐集家たちの実践は、リスト狂いのラブレーの態度に重なるだろう。

アーツ・アンド・サイエンス

「第24章 雨模様のときの、ガルガンチュアの時間割」にもこんな羅列が見られる。

金属をどうやって圧延するのか、武器をいかにして鋳造するのかを実際に見に行ったし、宝石職人、金銀細工師、宝石をカットする職人、錬金術師、貨幣鋳造職人、タピスリー職人、織物師、ビロード職人、時計職人、鏡職人、印刷職人、オルガン製造人、染め物師といった職人たちの仕事ぶりを見学しにいったわけだけれど、どこでも、心づけを渡しては、教えを請い、そうした手職の熟練のわざや創意工夫について思いをこらした。

ルネサンスの知は、蒐集の知であると同時に、大学的な知に職人的な知を融合していくものでもある。
たとえば、ラブレーは医師であったが、ルネサンス以前の医学は大学のなかに閉じ込められた学者の知であり、薬学や実際の治療行為はそれと切り離された職人のわざであった。前者がサイエンスであり、後者がアートである。

ガルガンチュアは、雨の日の学習として、こうしたアーツとしての職人のわざを学んだとされるのだが、それは彼にとって学び直しの過程におけるカリキュラムだ。

この羅列の前に置かれるのは、次のような話だ。

雨が降ったりして、どうも天候が荒れぎみのときは、暖炉の火をあかあかと焚いて湿気を追い払うものの、それ以外は、昼食まで、ふだんどおりに時間を使った。そして食後は、運動をする代わりな、屋内に残って体力増強法と称して、干し草を束ねたり、薪を割ったり、のこぎりでひいたり、納屋で、麦を乾竿でたたいたりして、はしゃぎまわった。それから絵や彫刻も学んだし、レオニクスが書き残し、わがよき友ラスカリスが楽しんだように、昔の指骨遊びをしてみた。
こうして興じているあいだも、このゲームについて古代の著作家が言及したり、ほのめかしている個所をあらためて調べたりした。

ポイントは引用中の最後の一文にある。
つまり「古代の著作家が言及したり、ほのめかしている個所をあらためて調べた」という箇所で、これはラブレー自身がそうであるように、古代ギリシアやローマの知の見直しを行なったルネサンス以降のユマニスト(人文主義者)の学び方である。

ようするに、ガルガンチュアは学び直しにおいて、ルネサンス的なユマニストの学び方をしているのである。

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では、学び直す前のガルガンチュアの学びとは何だったのかといえば、こんなくだりがある。

今度は、ジョブラン・ブリデ先生[jobelinは「愚か者、でたらめ」といった意味]という、ごほんごほん老人が雇われて、フグティオ『ラテン語彙集』、エブラール『ギリシア語源』、ド・ヴィルデュー『ラテン語初歩』、『弁論八部集』、『問答集』、『補遣集』、『マルモトレ』、『子供の食卓作法』、偽セネカ『4つの枢要徳について』、パッサヴアンディ『贖罪の鑑、注釈付き』、『祭日用、説教の手引き』を講読した。さらには似たような小麦粉でこねあげた書物を、ほかにも読んだのである。こうしてガルガンチュアは、後にも先にもパン焼きがまに放りこんだことのないような、とんでもないかしこさになってしまった。

またしても羅列だ。

で、ここに羅列された書物のタイトルがどういう羅列なのかを注を参照すると、「いずれもユマニストが槍玉にあげた、中世の学校教科書類」とある。
でたらめブリデ先生が教えたのは、ユマニストたちが馬鹿にした、中世の神学者たち、ソルボンヌの教授たちが教えたスコラ学的な学問というわけなのだ。

『ガルガンチュア』がソルボンヌを批判して発禁となったのは、でたらめブリデ先生に教えられたガルガンチュアの状態を描いたこんな記述もあるからだろう。

こんなわけであって、父君は、わが息子が、すべての時間をつぎこんで、本当にしっかり勉強しているくせに、いささかも得るところなく、それどころか、頭が変で、まがぬけて、ぼんやりして、すっかりばかになってしまったことに気づいたのである。

すっかり馬鹿になってしまったガルガンチュアを元通りの聡明な青年に戻すために行われたのが、ユマニスト的学習法による学び直しだったのだ。

ユマニスト的古典知識の援用

ソルボンヌ的な古い学びによって、すっかり「頭が変で、まがぬけて、ぼんやりして、すっかりばかになってしまった」ガルガンチュアに、あらためてユマニスト的な知を学び直させようとする前には、こんな治療(?)が行われている。

ことをうまく運ぶために、そのころ、博識で知られた医者のテオドール先生に、ガルガンチュアを正道に戻すことができるものかご検討いただきたいとお願いしてみた。すると先生は、医学の常道にしたがって、アンティキラ産のヘルボレスを用いて、ガルガンチュアに下剤をかけて、この薬効により、脳が変質した部分や、よこしまな傾向などを、きれいに洗い清めてくれたのである。この方法で、ポノクラートは、ガルガンチュアが以前の家庭教師のもとで学んだことを、すっかり忘却させたのであったが、これは、かのティモテウスが、別の音楽家から学んでいた弟子たちに対してとった方法と同じであった。

さて、いたるところでそうなのだが、この引用中にも、ラブレーはユマニストらしく、古典知識からの援用を行なっている。

またしても注を参照しながら紹介すれば、たとえば「アンティキラ」というのは、エーゲ海の島」で、そこの「ヘレボルス」は、「古来、狂気を治癒する薬草とされて」いるという。ラブレーと同時代人のユマニストである「エラスムスも『格言集』Ⅰ,Ⅷ,51などで言及しているし、『痴愚神礼讃』にも出てくる」のだそうだ。「ただし副作用が強く、この薬草の使用を糾弾する医学者も多かった」という。
さらに「ティモテウス」というのは「古代の都市国家ミレトゥスの音楽家」で、学び直しに際して脳の中身を洗い直すという話は「クインティリアヌス『弁論術教程』2.3」で紹介されるティモテウスのエピソードなのだという。
まさに、古代に規範をみるユマニストらしい面だろう。

忘れられたルネサンス的精神

このユマニスト的に古代に規範をみる姿勢、そして、なんでもかんでも羅列したがるというルネサンス知識人的な思考法に、中世から続く上下裏表反転するカーニバル的な笑いの要素がかけ合わさってラブレーの作品世界はできている。

ただ、笑いだとかいっても、それは現代を生きる僕らにとっての笑いではない。

バフチンはこう書いている。

同時代人はラブレーの世界の統一性を理解できたし、この世界を作りあげているすべての要素――高度な問題提起性、食卓で語られる哲学思想、罵言と猥言、卑俗な言葉のおかしみ、博識と冗談――の根本的な類縁性と本質的な相互関係を感じ取ることができた。

と。
しかし、いまの僕らがもはやそれを「感じ取ることができ」ないように、時代とともに、ラブレーの笑いは忘れられていったようだ。

ところが、これらの要素は17世紀の人々の目にはすでにいちじるしく不均質に映り、18世紀にはおよそ相容れぬものにしか見えなくなる。

それは1つ前のnoteで、ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』という本を紹介しつつ、ラブレーの時代とも重なるルネサンス人たちの価値観がどうにも理解できないと書いたことにもつながるものだ。

道化師が宮廷に欠かせない存在であり、不具者たちを教皇や宮廷人が笑うことが当たり前だった時代との知的・文化的な価値観の断絶。
そのことについて自覚するためにも、もうすこしルネサンスという時代の精神について学んでみたい。


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