ドッペルゲンガー
最近ここでもよく紹介してるフリードリヒ・キットラーの『ドラキュラの遺言』は読んでて、あー、なるほど、と思わせられることが多い。今日もそんな気づきをもらった。こんな記述から。
まさに映画は愚鈍であるがゆえに、かくも多くの書物、わけてもロマン主義の書物に、効果的に取って代わることができるのだ。愚鈍であるがゆえに映画は身体を記憶保存することができる。よく知られているように、身体も映画と同じように愚鈍なのだから。
この話、19世紀ロマン主義の時代に作家や、フロイトやエルンスト・マッハのような科学者が報告しはじめるドッペルゲンガーの話題から展開する。
作家は自分の書斎に座る自分そっくりの人物を見いだすし、科学者たちはバスや列車の窓に乗り合わせたもうひとりの自分の姿を見いだすのだ。
例えば、マッハが1900年に記した内容はだいたい、こんな感じだという。
彼は最近バスの中で1人の見知らぬ男を見かけたが、その際、「なんて落ちぶれた教師が乗り込んできたことか」と思ったというのだ。偉大な物理学者にして知覚理論家であったマッハですら、その見知らぬ男こそガラスに映った彼自身の姿であることを認識するためには、実際問題としては、数ミリ秒を要したわけである。
フロイトも同様に、「1人で寝台車のコンパーメントに座っていると、列車が進行方向に激しく揺れ、隣のトイレに通じるドアが開き、ナイトガウンを着た初老の紳士が」入ってきたように感じたが、それはトイレのドアガラスに映った自身の鏡像だった話を記述しているという。
ドッペルゲンガーたちが、よりにもよってバスや急行列車に出現するのには、それなりの理由がある。自我という名のドッペルゲンガーが、つまり詩と哲学による幻像が、中部ヨーロッパの読み書き教育の普及に由来したとすれば、マッハやフロイトの前にも現れたみすぼらしい人物は、中部ヨーロッパに普及したモータリゼーションの産物である。
馬車鉄道は1807年にオイスターマス鉄道が開業されているが、蒸気機関車による最初の鉄道は、1825年開業のストックトン・アンド・ダーリントン鉄道である。定期バスもそれとあまり変わらない。イギリスで1827年に、フランスで1860年頃に用いられるようになっている。
「鉄道とオットーエンジンが登場した後になってはじめて、動く鏡面や、滑走するパノラマや、道路使用者という名の無数のドッペルゲンガーが出現することになる」とキットラーはいっている。
これだけでは今ひとつ、ドッペルゲンガーと産業革命によるモータリゼーションが結びつくのかわからないだろう。
しかし、もともと医師でなかったにもかかわらず、フロイトに師事し、文学史と精神分析の関係という観点からフロイトの補佐官的な役割も果たしたオットー・ランクの次のような言葉を読むと、すこし状況が変わるのではないだろうか。
「数々の点で夢の技法を想起させる映画の表現は、詩人が明確な言葉では捉えることのできないことがままある、ある種の心理学的な事態をも、感覚にうったえかける鮮明な映像言語で表現することができる」。
冒頭の引用でも「映画は身体を記憶保存することができる」とされていたが、それこそ、「詩人が明確な言葉では捉えることのできないこと」で映画が表現できるものの1つだ。
詩などの文学作品がいかに身体を記憶保存するのに向いていないかの例として、キットラーは、1836年頃に書かれたゲオルク・ビューヒナーの『レオンスとレーナ』という最後のロマン主義的な喜劇作品の例を挙げている。
この劇中、ポポー王国の国王ペーターは逃亡した息子レオンスをヘッセン大公領の警吏たちに捜索さけるため手配書を出したのだが、その記述がまさに喜劇的である。
「2本の足で歩行し、2本の腕と、さらに1つの口、1つの鼻、2つの目、2つの耳を持っている。際立った特徴は、きわめて危険な人物であるという点」というのが、それなのだが、これは極端だとしても、言葉のみで身体の特徴を目に浮かぶように表現するのはむずかしい。
かといってテクスト以外の記憶保存のメディアといえば、あとはせいぜいがマジック・ランタン(幻灯機)くらいなものだった時代である。フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフ・リュミエールという形の無声映画を、パリで開催された科学振興会で公開するのは、1895年3月まで待たなくてはならない。
フロイトやマッハには映画体験はまだなかったわけである。
そこに映像と同じような「身体の記憶保存」を行うメディアの代替として、これもそれまでは存在していなかった速い速度で移動する窓や鏡というスクリーンをもったバスや列車が登場して、自分が動いていないにもかかわらず、走り去る窓の外の背景のせいであたかも動いているような錯覚を与える図像を投射する。そうすれば、一瞬、自分に瓜二つのドッペルゲンガーをそこに発見してしまう錯覚だって起こるだろう。
動く映像に慣れすぎてしまっている僕らには起こりそうもない錯覚が、はじめて鏡を覗いた動物のような感覚でしかない19世紀末人には容易に起こり得たのだ。
1895年以降、道が2つに枝分かれする。一方は、真面目な文学と称される映像を欠いた活字崇拝、他方は、鉄道や映画のように映像をモーターで可動化する純然たるテクニカルなメディアだ。文学はいまさら、娯楽産業が生み出した奇跡の数々と競い合おうとはしない。文学は魔法の鏡を機械に譲り渡すことになるのである。
1つ前の「美はすでに人間的なものではなくて」でも、
フロイトが「心的装置」という用語を導入することで、魂という夢想を退け、精神の問題をマシンの機能の観点から考えられるようにしたことからはじまる唯物論的精神分析
と書いたように、鉄道やバスが走りはじめ、映画が新しい自我をもたらそうとしていた、この時代に精神分析が生まれたのは偶然ではない。
『鉄道旅行の歴史』でヴォルフガング・シヴェルブシュは「19世紀に、もし鉄道とその事故とがなければ、鉄道性脊柱および外傷性ノイローゼに関するショック理論が考えられなかった」と書いている。高速でものすごいエネルギーをもって移動する鉄道での事故はこれまで人類が出くわしたことのないような恐怖をもたらした。その恐怖は身体上、なんら外傷がなくても身体の不調を起こさせる精神的外傷をはじめて生じさせた。
精神的外傷(トラウマ)の発見を導いた、鉄道とその事故は、その後の法律と医学には姿を見せなくなる。外傷(トラウマ)概念がフロイトのもとで持つ意味から、この概念の物質的機械的起源に対する最後の追憶が、次第に消滅してゆくさまが読み取れる。(実際のノイローゼとは異なり)性欲に起因する心のノイローゼの研究に、次第に没頭してゆく過程でフロイトには患者の気質が決定的なものとなり、これと比例して、外傷的な事件は客観性を失ってゆく。
フロイトがこの鉄道と精神的外傷の考えをいったん忘れても、1914年に起こる「世界大戦がフロイトの体験の背景としてなければ、大量のエネルギーによる刺戟保護の破壊に関するフロイトが理論も、同様に考えられまい」といった具合にそれは戻ってくる。
結局、僕らがもっている身体感覚も精神的な自我の感覚も、この19世紀末から20世紀初頭にかけての、テクノロジーの結果として生じたものにすぎないわけだ。
機械的なエネルギーに比べればはるかに脆い身体、外部的な記憶装置を介してドッペルゲンガーに対して客観的な視線でもって振り返ることができる身体、そして、それらの身体の牢獄に閉じ込められてあるように思われる自我。これらは鉄道やバス、映画といったテクノロジーの反映として生じた人間像だったのだろう。
これらが土台になっているとはいえ、もはやインターネットが張り巡らされたテクノロジー空間に生きる僕らは19世紀末人とも違う身体感覚や自我を持っているはずだ。
だから、僕らはもはやドッペルゲンガーに出会わない。
そこら中に鏡のようなスクリーンや、思考の中身をぶちまけたような過去の自分のテクストがもはや他人のそれともよく区別もしにくいような形で当たり前のように存在してる世界で、自分自身の分身はもはや自分の前に姿を見せるというより、自分のいないところで勝手にほかの誰かとコミュニケーションをとっているわけだ。そうしたインターネット時代のドッペルゲンガーがエージェントのように自分の知らないところでより双方向的なコミュニケーションをはじめるとき、果たして精神分析的な自我はどうアップデートされるのだろう。
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