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自己の体験のほかに、なんの権威も認めない

外に出る。
それが成長のために必要なことだと1つ前の「成長の資格」で書いた。

当然、外に出るのにも、大掛かりな冒険めいたものもあれば、行ったことのない知らない町を散歩したりもあればと、レベル的な差はある。だから、そういう組み合わせをうまく使っていくと、成長のために自分の領域の外に出ることも自然なことに感じられるようになってくる。

その意味では、最近読みはじめた由良君美さんの『椿説泰西浪曼派文学談義』は、「知らない町を散歩」してるような感覚だ。1972年に出版された著者のデビュー作の平凡社ライブラリーでの復刊。高山宏さんの本などを通じて当然著者のこともこの本のことも知っていたが、はじめて読む由良君美さんの一冊となる。

だから、読んでいて新鮮。知らないこと、知らない視点に出くわすのが良い。まさに「知らない町を散歩」してるようで、歩きにくさも感じたり。でも、その違和感が大事なんだと思っている。心地よさだけでは、自分の中に新しいものが生じるチャンスはなかなかないのだから。

例えば、ランターズという、17世紀イギリス、1649年のピューリタン革命後、1660年に王政復古となるまでの期間におけるピューリタニズムの革命性の喪失、クロムウェルの独裁という流れに対抗する、神秘主義的ラディカリズムをもった小集団があらわれたうちの1つについて考察される。

これが何故、僕にとって新鮮な光景かというと、1660年といえば、何度も僕のnoteでは名前の出る王立協会誕生の年であるからだ。もちろん、その年が王政復古の年でもあり、乱れた世相を危惧するゆえに普遍言語の試みなども行われていた由もわかっていたつもりでいた。
だが、その「乱れ」の1つがランターズという〈自由心霊〉の信徒たちによるものだと認識したのは、この由良さんの本を通じてだ。
さらに、このランターズの活動が100年以上も後のウィリアム・ブレイクの詩作における用語に影響を与えていることなど知ると、一気に歴史の流れをみるフレームワークが変形される。
この変形が起こるから、外と接点をもつ意味があるのだと思うのだ。

さて、そのランターズ。
こんな具合の集まりだった。

既成教会秩序内での神秘主義を拒否する態度から、〈自由心霊〉の信徒たち、ひいては〈ランターズ〉のなかに、著しい主体主義の態度が生れ、自分が絶対の境地に到達したという信念がこの態度に結びつくとき、自分が罪を犯すことはありえないという確信を生む。ゆきすぎれば、これは〈道徳律廃棄論〉であり、通常〈禁断〉とされていることも自分だけには許されるという結論--〈完全人〉という結論を生みやすかった。とりわけ貞潔に特別の価値を与え、婚外性行を罪とするキリスト教文明のなかでは、道徳律廃棄はたいてい乱行に結びつく。

この引用中にも〈自由心霊〉なるものは、もとは中世末期のキリスト教異端派のひとつ、自由心霊派のこと。中世には比較的裕福な人が入会する組織である修道会に対して、貧しい人たちのためのベギン会(女性会)、ベガルト会(男性会)があったそうで、このベギン会は、花婿としてのキリストと、花嫁としての魂の結合を目指すキリスト教神秘主義の傾向をもっていたという。14世紀頃、このベギン、ベガルト会のうち、ストラスブールからケルンにかけての地域でいっそうラディカルな神秘主義が生まれ、それが自由心霊派となったそうだ。

この自由心霊派の掲げるものが、完全に霊化された主体はどんな行動をしても神聖で、教会規則や一般倫理に縛られることなく、「自己の体験のほかに、なんの権威も認めない」というランターズと同様の信仰をもっていた。

自己神格化→道徳律廃棄論→性アナーキーの観念連鎖が、かくして〈自由心霊〉と切れないものになる。

と書かれるとおり、中世末期と同一のものが、17世紀半ばに繰り返され、既存の派閥の弾圧を受けることになる。
それが17世紀においてはこちらもまだ新教であったピューリタンたちによる、ランターズの弾圧という形であったとしても。

ランターズをはじめとする〈自由心霊〉の人たちのように自分たちのみを肯定し、ほかを認めないような、外を否定する姿勢をとれば外から弾圧されるのは致し方ないだろう。
しかし、ここで言いたいのは、外を否定し内に閉じこもる態度のネガティブな一面をランターズを反面教師にしようといったことではない。ランターズを通して見えてくる、ヨーロッパ神秘主義の流れが意外にも、ヨーロッパの文化史においても主要な部分に影響を与えているということを、僕のそれを知った驚きのまま、伝えたいのだ。それは先に書いたとおり、文化の流れをみるフレームワークに変化を与えてくれたから。

ランターズが後のブレイクに影響を与えていることはすでに書いたし、そのランターズそのものが中世末期の自由心霊派の流れにあることも見た。
しかし、ランターズにより直接的に影響を与えたのは、中世の自由心霊派といえより、彼らが登場するほんの20年前ほどに亡くなったドイツの神秘思想家ヤーコプ・ベーメであったようである。

共和制時代のイギリス思想にベーメほど巨大な影響を与えた外国の思想家はいなかったといってよいだろう。このシレジアの大神秘思想家は、〈ランターズ〉の最盛期とされる1650年よりも早く、すでに1624年に亡くなっていたが、イギリスでベーメ主義が広範な滲透をみるのは、たしかに〈ランターズ〉の時期になってからである。

ベーメ自身が神秘思想家であり、「この靴屋の徒弟は、25歳の折、つまり1600年ごろであるが、磨きたてられた金属の皿が発する一条の光に接したとたん、神の光明にみたされ、宇宙の秘蹟に眼をひらかれた」ような神の直接認知の体験、エクスタシーの体験をしていて、それが彼の思想の根幹となっている。

そのベーメの思想が同じ神秘主義的なランターズに引き継がれるのは当然だとして、面白いのはこのあたりだ。

感心なのはアイザック・ニュートンで、この力学的宇宙論により古典物理学的世界像の建設者とされる偉人が、実はベーメを耽読していて、ベーメのなかに、おのれの万有引力説がすでにあるのに気づき、いたく感銘していたという。

ベーメの思想が当時のイギリスに影響を与えたといっても、ニュートンに結びついていくあたり、僕らのもっている宗教観、科学観はかなり閉ざされたものだということにあらためて気づく。ニュートンが錬金術的実験を行なっていたことはよく知られているが、それがベーメを介して彼が生まれた頃に同じく誕生したランターズらの活動とつながるというのは興味深い。

さらにベーメは、ヘーゲルを感動させ、さらにブレイクにも影響を与える。ベーメの弁証法的神智学における〈三界〉、すなわち〈闇の世界〉〈光の世界〉〈自然界〉における「〈光〉と〈闇〉の弁証法的関係が前面に押しだされ」、「古い宗教道徳的観念は完全に脱色され」た考えは、それゆえにヘーゲルはベーメを「ドイツ最初の哲学者」と評価し、ブレイクは『天国と地獄の結婚』のなかでこの弁証法的対立構造を利用する。

その意味で、キリスト教世界では異端とされた〈自由心霊派〉的なものを内包するベーメは、なるほどキリスト教世界における外としてあったのだと言える。その思想がどんなに「自己の体験のほかに、なんの権威も認めない」ような内向きのものであったとしても、そのあり方の世界から見た外部性が、ニュートンの、ヘーゲルの、ブレイクの外部としてあったことで、彼らが新しいものを生みだすきっかけとなったのだろうと思う。

『椿説泰西浪曼派文学談義』はようやく半分を読み終えたところ。

目次をあらためて見ても、これからも面白くなりそうだと思う。

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