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右と左と田原さん

4月17日に開催された田原総一朗さんの90歳のお誕生日と新刊の刊行を祝う会にご招待いただいた。

会場は早稲田の大隈講堂の真横にあるリーガロイヤルホテル東京。早稲田は田原さんが青春時代を過ごした街でもある。

この日は18時半から始まったのだが、私は前の仕事が延びて19時前に到着した。ホテルの前には黒塗りの車が待機しており、館内にはスーツを着た体格のいい男性がいたるところにいた。

朝のラッシュ時のターミナル駅のように混雑した会場で、政治家、ジャーナリスト、アナウンサー、タレントなど、次から次へと一方的に知っている顔ぶれがおもしろいくらい視界に入ってきた。

まるでサウナのように暑かったのだが、田原さんの関係者、友人知人の会なので、議論が好きな熱量高めの人が密集していたのも、熱気を生む要因だったにちがいない。

なんと乾杯の音頭が小泉純一郎元総理だったと知ったのは、着いてしばらくしてからだった。私が着いた時は現職の閣僚がスピーチをしていた。さっきのスーツを着た男性たちは彼らの警護をする人たちだと合点した。

せっかくいただいた機会なので、自分から色んな人にご挨拶をした。「田原カフェ」にゲストとして来てくれた方々とも久しぶりに会って話すことができた。

初めましての方ともたくさん話したのだが、嬉しかったのは多くの人が田原カフェを知ってくれていたことである。

田原さんの番組関係の人は全員知ってくれていた。「いつも田原さんから聞いていますよ」「あなたが運営だったんですね、お会いしたかったです」と温かい言葉をかけてくださり、話が弾んだ。30回も続けてよかった。

とりわけお会いできて嬉しかったのは、渡辺宜嗣アナウンサーである。『朝まで生テレビ!』が始まったときから進行役として田原さんと仕事をされており、40年ちかい仲である。

学生時代に何度か番組を観覧したことがあり、その時はお姿を遠目に見ていたのだが、あの低音でよく通る、力強いお声を目前で拝聴できるとは思いにもよらなかった。

「いまだに田原さんと仕事をするときは緊張するんですよ」「とにかく田原さんの前では素直に、それが大事」とアドバイスまでいただき、恐縮してしまった。(写真まで撮らせていただき感謝申し上げます)


渡辺宜嗣アナウンサーと


会場で多くの人が歓談をしているのと同時に、ステージでは次から次へと田原さんと縁が深い人たちがスピーチをしていた。

菅直人元総理、石破茂さん、「朝生」プロデューサーの鈴木裕美子さん、「激論!クロスファイア」プロデューサーの前田泰彦さん、作家で参議院議員の猪瀬直樹さん、評論家の佐高信さん、国際政治学者の三浦瑠璃さん、タレントの水道橋博士、などなど、次から次へとお正月の演芸番組のようにスターが出てくる。

この風景を見て、高校時代に初めて田原さんのことを知ったときのことを思い出した。田原さんが『情熱大陸』に出ていた時である。

その中でいちばん印象に残っているのが、自民党から共産党を含む野党まで政治思想を超えた交流を築いているところだった。

自民党のパーティーから共産党の会合まで、考えが異なる場に赴く田原さんの姿に10代の私はなぜか感銘を受けたのである。

その後、上京して大学に入り、政治や社会問題について学び、誰かと議論をすればするほど、田原さんのポジションを取るのがいかに難しいかということを体感した。

意見が異なる人たちの双方と対峙することは、決してどちらにもいい顔をすることではない。むしろその逆で、どちらにも斬りこみ、腹心に迫ろうとすることである。時には自身も窮地に立たされることさえあるだろう。

ジャーナリストである田原さんは、その過程で見出した真実を広く知らせる公共的な責任も担っている。特定の思想にだけ与して同じ考えの人同士で群れるのは心理的にも楽だろうが、あえてそこに安住しないだけの独立心も求められるだろう。

そうして90年かけて不動のポジションを築いた田原さんが最後にたどり着いたのが、日米同盟を基軸にしつつ「戦争をさせないための」憲法に改正するという主張であるのも興味深い。この日も最後の挨拶を安全保障についての持論で締めた。

そんな田原さんを「保守化した」「体制派に与した」と批判するのは簡単だろう。テレビを使って政権与党にとってプラスに受け取られかねないことを発言するので「電波芸者」と揶揄する声もある。

だけど、こうして自分の論陣を張りながら、ちがう考えの人とも論戦を避けないでいながら、異なる意見がぶつかり合う場の真ん中にいて議論を大いに煽り立てる田原さんだからこそ、「中立」を超えた独自の存在をつくりあげたのではないだろうか。

実際、高市早苗元総務大臣が「電波停止」発言をした時は、厳しい口調で反論し、言論の自由の大切さを唱え、連帯を呼びかけた。田原さんが最も許せないことは、世の中が同じ思想で染まり、異論を認めない空気が広がることなのである。


世界の始まりには混沌があった。そして、いまの世界も混沌と言うしかない。問題ばかりだが、だからこそ面白い。このカオスから何が飛び出してくるか、僕はそこに期待している。ジャーナリズムは、カオスを生き抜き、未来を探るための方法なのだ。

田原総一朗『全身ジャーナリスト』(2024、集英社新書)323貢


いろんな考えが渦巻き、ぶつかり合うこの世界はまさにカオスだろう。田原さんはそんなカオスさえも楽しもうとしている。90歳になってもなお、である。

そのカオスこそが、平和を維持し、人々のエネルギーを言論から暴力へとエスカレートさせないのだと思う。

最後の挨拶の締めくくりで、田原さんは普段から大きな声をさらに張り上げて、気炎を吐いた。

「ぜったいに戦争をさせない!そんな人間が総理大臣になったら、僕が辞めさせる!」

このシャウトに、右の人からも左の人からも、大きな拍手が起こった。

この光景を、私は一生忘れないでいたい。


最後に2ショット



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