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君たちはどう生きるか?そんなの知らない。 私にしか私の人生は変えられないんだから。(東海道新幹線のぞみな今日や昨日)

私にしか私は救えない。僕達はみんな歳を取る、シワだって増えていく。誰かの言うことを気にするほど人生ってやつは長いのだろうか。散々めく日々に問うてみる。答えは見えない、粉雪の中蜃気楼の中弾けて飛んでいく。毎日それの繰り返し。渚では今日も光る海と、意地悪な波が少し笑いながら僕を待っている。
好きに生きていくなんて言ったもんじゃない。匙加減がいつだって難しい。
誰にもあなたの人生、生き方は変えられないことを思い知る。他人だからこそ。

ああ、ほぼ書き終えてから思うけど、なんか支離滅裂こそ芸術とかいう岡本太郎さんの言葉が少しだけわかったような気がしてさ、少しだけ嬉しい。現実で喜ばしいことはなくても、こうして鼻水垂らしてるような文章書けてるうちは生きてるってことなんだろうね。
ではここから本編ですが、加筆修正などしていませんので気をつけていってらっしゃい〜

20240727午前2時前
すごくありきたりなタイトルとありきたりすぎて蟻がよってくるんじゃないかと錯覚しそうなくらいの内容になりそうだね。でもそれでいい、たまには。知らんけどって言いたくない、なんか無責任で好きじゃないフレーズが高速ひかり回線で頭の中をよぎる。あの東海道新幹線のぞみだし、タイトル当初と変わりすぎてるし、長すぎて最早長崎だし、全然ありきたりじゃないかも。


最近、常々感じること。結局自分の人生は自分で変えるしかないということ。
誰かに助けてもらおうなんて、よっぽど美人じゃなきゃ無理だし、それほどの魅力をつけるには長い年数が必要あるいは、才能の塊でないと厳しいもの、それが俗世。誰の手も借りずはきついが、誰かに乗っかって、誰かにおんぶに抱っこなんてのは幻想でしかなく、そんな甘い話はない。


私は気づいた、今の私では他人を変えられない。他人は他人なんだと。そんな不思議な力なんて今は持っていないのだと。やる気のない誰かをやる気にさせるなんてのは到底叶わない。中高部活時代の部長だったあいつの苦悩が慮れる。
人に期待をすると、振り回されて疲れるし、大抵裏切られる。俺も多分にそういった苦悩を、今まで期待してくれていた人たちに振り撒いてしまっていただろうから、なんとも言えないが。
だから、期待をしないことにした。夜通し夢を語りあって、俺らで頑張ってロッキンやサマソニに出るんだ!と大声で言っていたあいつらはもうどこか遠くに消えて今は何をしているか知らないし、ワンオクみたいになりたいとか言ってたあのドラマーやあのギタリストは大学で会っても挨拶すら交わさなくなったし、一生の相棒だと思って誰より彼より信頼していたあいつはもう私の全ての前から消えてしまったし。


でも私は追わないよ、私の前から去っていった彼ら彼女らを追う気はない。僕が自分自身の未熟な部分で苦しめてしまったかもしれないし、傷つけてしまったかもしれないと思っているし、何より去っていった人達なんかより今、僕のそばにいてくれるあなた達を俺は大事にしたいし、そこに時間を使いたいからだ。
でもそばにいてくれる人ですらも最近は信じられなくなってきた。裏返しの表情が見えたり、人と何かをする、夢を叶えにいける自信が今の僕には正直あんまりない。勿論そういう周期的時期なんだろうけど、バンドとかその他諸々ある中で、誰かとやって本当に意味があるのか、意味なんてはなから無いんだろうけど、なくていいし。


完璧主義でかなり面倒くさい性格をしていることも自覚しているし、勘違いされやすいし、破天荒だと思われてるけど実際クソナイーブで超気にしいなのに。みんなそうだと思う、表と裏があって当然だから人間だからさ私達は所詮。だからそんなことを思考が巡ると、もういっそのこと、一人でいいのではと、最近思ってしまう。
期待をすることももう辞めようかな。やっぱ私は赤裸々にあるがままに生きたいし、誰かと協調して、歩幅を合わせながら歩いて時には全速力で走って、追いついていない誰かの腕を引っ張ってなんて言う青春話、そんなの無理じゃない???と思ってしまうのだ。



本音、頭の中を巡る景色。本当は俺だってバンドでみんなで生きていってみんなであの景色を見たい。でも、なんか無理じゃね見たいな回路が形成されてきて、全然上手くいかないからさ、すぐメンバー辞めては入っての繰り返しだし、お前言った言葉に責任持てよと思う時あるけど、俺もそんな責任持ててるかわからないし。とにかく、今はあやふやだ色々。


やっと再スタートだって思ったら、2週間ちょいで新しく入ったメンバーに辞めたいって言われて、気が気じゃないし、SNSとか本当あり得ないくらいにめんどくさいし、電脳世界に最近侵され始めてきた気もするし、でも歌は歌ってたいし、俺にしか歌えない歌があるから絶対に、ずっとずっと歌を作って色んな歌を歌ってから死にたいし、アンセムをたっくさん作ってから田村シュンスを辞めたいし。死ぬまで歌ってたいや名前とかどうでもいから。
本音が見えてくる段々と、ありがとうって意味じゃないよ、決して。散々愛燦燦と言ったところで、この揺らぎは目には見えないからねえ、困ったもんだよ。



やっとわかったよ。

私の人生は私にしか変えられない。誰にも、そこのあんたにもお前にもあいつにもあの子にも、お母さんにも、家族にもおばあちゃんにも口うるさい親戚にも、そばにいる親友にも恋人にも大好きなあいつらにも大嫌いなあいつらにも、生きていてほしい彼らにも、死んでほしいあいつらにも、京都にも、東京にも日本にもベトナムにも韓国にもアメリカにもUKにも、お前の少し冷たいアパートにも、実家の暖かさにも、大好きなあの歌にも映画にもモネの睡蓮にも瀬尾まいこの小説にも最果タヒの詩でさえも、私の人生を変えることなんて絶対にできない。ネガティブな意味じゃない。お前がどう生きるかでしかお前の人生は絶対変わらないってこと。むしろポジティブ能動的。


誰がどうとか、あれがそうで、あいつがこいつがどうとか、そんなもんばっか気にして生きるんじゃねえよ、お前の人生そんなちっさいしがらみや僻み妬み嫉みばっか気にして生きるためにあんのか?
狭い狭いクソなTwitterもInstagramもYoutubeもTikTokもツイキャスも石川典行もヒカキンも加藤純一もDJふぉいもセイキンももこうも白石麻衣も西野七瀬も齋藤飛鳥も清水沙良もステハゲも若林正恭も春日俊彰も川上洋平も細美武士もノエルもリアムも高木一成も鬼頭雅治もマシューもヒーリーも、お前の生き方や人生なんてもん1mmも変えてくんねーぞ。ヒカルは髪型からして怪しいだろあんなん。それ見て寝て起きてをするだけなら地球が100周まわってもなんも変わらんぞこのタコ野郎。
成功者とか素知らぬ奴等がそれっぽいこと言うけどさ、だっれもお前の人生に責任なんて持ってくれないからな。1mmも。お前さんがいつどこで野垂れ死んでもかまいっこ無いんだよアホらしいだろ。
そう。結局お前がどう生きるか以外は全部無意味だ。誰のいうことも聞くな、誰にも頷くなよ、誰もあんたの人生の答えなんか知らないくせして講釈だれるけど。偉そうなあいつの自慢話には唾吐いて、痰までプレゼントしてやれ。クソったれがってな。あと、君たちはどう生きるかなんて絶対見るな。そんなの知らねえし、わからねえから。だから人生はファンタスティックなんだよボケナスアホンダラが、タンパク質は足りてないみたいだね、カルシウムなんてもんいらねえ。俺は牛乳あんま好きじゃ無いんだ、なんで小中は牛乳なんだよ腹壊すんだよ無責任ヒーローどもが。


誰かとかもういいよ。飽きたでしょ???


お前を生きろ、俺を生きてやるから。
誰にも変えられやしない、私だけの世界。それがパラレルワールドでもまして現実世界でもどっちでもいいこと。割愛はあえてしないよ。



私にしか私の人生は変えられない、紛れもない事実。死ぬ時、そんなことを思い出すのだろうか。後悔の数は何個あるかな。探せど探せど見つからない宝物やマフラーやユニフォーム、いつ食べたかも思い出せないドロップスや優しい味のする飴玉とか。


僕たちは当たり前に歳をとっていく。横顔も心臓も背中も歳をとっていく、気づかぬシワだってどんどん増えていく。でも私の人生がそこにあることは変わらない。

そう思えたから、今日も生きられる気がしている。
いつまでも、僕は誰かを救えない。救っているのは紛れもないその人自身だ。
どんなに大きな声で誰より綺麗で美しい歌を歌ってもあなたを救えるなんてこと思わない。
その事実が、何よりも僕を救ってくれるし、歌う意味になってくれる。矛盾の中に答えがある。



なんでもいいさ、好きに生きなよ。真夜中の空、そんな声が聞こえた気がした。
少し無理がある夏の温度差とその境目にできた泡の中に、呼吸を忘れていた。










(ネットに転がるエセ自己啓発評論家の戯言よりよっぽど良いやないかいタコ!と思ったら左下にある♡を押してネ(ログインの必要なし!です)おやすみなさい)

田村シュンス

あなたがファッキン幸せでありますように