楽しいあの日々の名は、    あっという間。

楽しいあの日々の名はあっという間、まるで水蒸気みたい。春風をみんなが多用するから流れるがままに僕たちは日々の中を漕いで漕いで漕ぐけど、波止場には着きもしない。たまに書くポエトリーに思いを馳せると、そこには楽しいあの日々たちが立っていた。うるさいくらいの騒音に耳がいかれそうになったよ、と優しい音量で喋る君に僕は顔向けできなかった。ご飯を食べて寝るだけの日々にもうどれくらいの歌ができたのだろう。ドラマなんてものは大抵の人には舞い降りたりしないのだから考えるだけ詭弁だよと思ってもしまうだけに悲しい。感謝の気持ちなんてもの、すぐに忘れる意味のない幻影そもそも影は幻だから言葉として矛盾を感じるとか言えるくらいに僕はまだ捻くれている、若さっていうものを老いというレンズを通して見ているだけだった。


あっ。と言えば今日が終わり、明日も終わる。いっ。といえば今年も終わり。うっ。と言えば昨日が終わり、痛みがとれる。えっ。と言えばえも言わぬ毎日に光がさして、おっ。ていえば夢だったことに気づく。
そもそも今生きているこの世界が夢かもしれないのだからなんら不思議がる必要はない。夢と現実の境目なんてやつはいつも曖昧で、毎日がデジャブなのだから。繰り返し繰り返し機織り機のように、僕らも少しずつ歳をとっていき、ずるくなっていくのだろう。そうなる前にあなたに出会いたいと未来の自分が僕にいう。そのあなたってやつはわかりやすい婚約者とかじゃない、その説明は割愛するねと未来がいうから仕方なく納得したふりをして、今に帰ってきた。おはよう。おやすみ。そんな言葉が好きだ、ありがとう。ごめんね。簡単な言葉が一番難しいことに最近気づいたのだ。きっと夢見心地でいる間はすごく短い、だけど平坦な日常はあまりにも長い帰路だったりするから人生は不平等だ、だけどもみんな年老いていく。気付けば翼がもげているかもしれないし、明日が老眼で見えるようになるかもしれない、今書いているこの文章の意味がちゃんとわかるその日まで、僕は生き続けたいこのくだらない現実とも夢ともわからん世界で。ただ僕は生きたいのです。毎日が辛くて悲しくて苦しくても、楽しくて嬉しくてありがたいあの日を知っているような気がするから。そんな直感だけで僕らは生きていけるのだと。人生の真理がわかったとか言うアホのことは信じなくていい、大抵はお前のことを何も思っていない奴らの戯言だよ、と少し俺の中のロックが顔を出す、偽物か本物か、それは自分の目で確かめればいい。生きてやるぞ俺、こんな毎日だよとかもう言う必要もない、わかってるからお前のことくらい。もうこのポンコツを22年も操縦してきたんだ。


そう。と言うなら、そのまま行けよ。さあ、走り出せ、息を切らして疲れたら寝ればいいんだ、そんな毎日で全然問題はない。つまんねえ汗をかいて、嘘くさい系初盆など破り捨てて、今日も毎日に向かって飛び出すのです。



時に優しい嘘で誤魔化しながら、頑張れと嘘をつくのです。きっとはきっと、さしてそう言ってくれれば、20年先50年先、どんな顔をしているかわかりもしない。





だから人生は面白いような気もしなくもないよね。じゃあまたね元気でね




田村シュンス

あなたがファッキン幸せでありますように