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#遠野ホップ栽培60周年 と私たちのDNA

国内随一のホップの生産地・岩手県遠野市で、ホップやビールの仕事をしている株式会社BrewGoodの田村です。

今年は岩手県遠野市でホップの栽培が始まって60周年。記念すべき年をお祝いするために、弊社でロゴとポスターを制作しました。

遠野ホップ栽培60周年 記念ポスター第一弾

昨年から、60周年を迎える2023年の企画の準備を進めていました。第一弾がこの記念ポスターです。

ポスターを制作するというだけではなく、これまで続いてきた遠野のホップ栽培の歴史を振り返ったうえで、節目の年にわたしたちはどうありたいか、どんなメッセージを発信するかを株式会社BrewGoodのメンバーを中心に議論してきました。

入手できた過去の記念史は全て読み、遠野ホップ農業協同組合の事務所に残っていた過去の写真も全てチェックしました。写真に関しては一部のネガフィルムを現像したりもしました。

平成6年(1994年)に発行された記念史
過去の写真(一部)1枚、1枚全て確認

記念史や過去の写真には、私たちが知らなかった事、風景が残っていました。私は2016年に遠野市に移住して今の活動を始めていますが、ここまで過去を掘り下げていったのは今回が初めてです。

現状から考えると想像できないくらい多くのホップ農家がいた時代もあった

調査や議論を重ねて出来上がったのが冒頭のロゴやポスターです。下部には、コピーというよりは、メッセージを書きました。

今年も、これからも、挑戦はつづく。
岩手県遠野市でのホップ栽培は、1963年から始まった。当時は、ビールが貴重だった時代。ビールの消費量が増えていく未来を見据え、希望を持った農家がホップ栽培に参入した。それから60年。台風の被害や病虫害への対応など、さまざまな困難の連続を乗り越えて、今がある。生産者の減少という危機はまだ終わっていないけれど、私たちには明るい未来が見え始めている。それは、どんなときも課題から目をそらさずに向き合ってきたから。多くの仲間もできた。諦めず、仲間と共に挑戦を続けることが私たちの強みだ。だから、次の10年、その先を目指し、これからも挑戦していく。日本のホップ産業を変えるために。

ここでは、過去を振り返って見えてきたことや、制作の背景について書きたいと思います。

このnoteを公開したのは2023年4月5日。実は、60年前の1963年(昭和38年)4月5日は、遠野市のホップ栽培にとって大切な日です。遠野のホップ栽培の歴史は、この日から始まります。

昭和38年4月5日
遠野市農業振興課により遠野市内8農協(遠野、綾織、小友、附馬牛、松崎、土渕、青笹、上郷)合同営農指導委員会議開催され、遠野市農業振興課山崎戈市課長より契約栽培によるホップについて県園芸特産課と話合いを行っていることを初めて説明されホップを導入することを確認した。その後、直ちに各農協を中心に説明会を開催、栽培希望者のとりまとめが行われた。

遠野ホップ30年の歩み ホップ導入の経緯より

遠野市でのホップ栽培のはじまり

遠野市はもともと冷災害の多い地域でした。そこで、農家や農業団体、行政は遠野市に適した畑作を模索し続けており、当時、江刺市(現・奥州市)で栽培していたホップに目をつけました。その後、キリンビールとの協議を何度も重ね、契約栽培が始まります。

遠野市でのホップ栽培が始まった昭和38年頃は、日本は戦後経済の高度成長の途上にあり、ビール消費も急増期にありました。その影響もあり、国産ホップの増産施策が活発だった時代。

遠野ホップ農業協同組合の初代組合長 佐々木國雄さんは、岩手県ホップ30年史で以下のように語っています。

遠野に導入するかどうかについては、正直の所、確信があるという事でもなかったし、又其の是非を教えてくれる人もなかったという実情の中で考え、又検討した事は、煙草との比較でありました。所得目標、栽培管理、そして投下労働力・投資等、各般に及ぶ調査の結論として、初期投資は大きくマイナスである。反面永年作物でありそして収穫調整は、将来的には機械化が可能であるという判断で導入にふみきった所でした。且又将来必ずやビールの消費が大きく伸長するという想定であった事も事実であります。私自身酒呑みですが、当時を想起すると、好きなだけビールを飲めなかったという僻みもあったかも知れません。

岩手県ホップ30年史

ビールが貴重だった時代に、ビールの消費量が増えていく未来を見据え、希望を持った農家が続々と参入しました。当時の遠野市は農業振興、特に畑作振興の柱として、未知なる作物であるホップを選択し、様々な関係者と共に挑戦を始めたのです。

初期のホップ棚 架設工事の様子

困難の連続を乗り越えてきた

当時、国内ではすでに他の地域でホップ栽培が始まっていたとはいえ、日本でのホップ栽培の歴史は浅く、試行錯誤をしながら栽培をしていたことが想像できます。

ホップ ビールの花 制作:東京シネマ
2:12〜2:48 当時のホップ栽培講習会の記録映像

遠野市の新しい挑戦に、キリンビールも農協も全面的に後押しをしていました。江刺市(現・奥州市)にはキリンビールのホップ栽培の技術指導員が常駐し、農協でも各支所に指導員を勤務させるほどでした。

未知なる作物であるホップの栽培は順調だったわけではありません。

過去の写真を見ると、台風の被害や、病虫害への対応の記録がたくさん残っています。

昭和44年8月23日台風9号 来襲
昭和54年5月26日雹害
平成6年8月20日

被害の写真と共に記録されているのは、諦めず、様々な関係者が連携しながら挑戦を続けた様子。ホップ農家、キリンビール、行政、様々な関係機関の皆さんの奮闘の記録が残っています。時には大学の教授や、海外のホップ関係者の力も借りながら、課題を乗り越えてきたのです。

昭和46年頃までは台風の被害に耐えられず廃作された方も多くあった。今日の諸制度は、その多くの犠牲と体験から生まれたとしても過言ではないであろう。また一方では、倒壊したホップ棚の復旧作業は支部を中心に共同作業で行われ経済的にも精神的にも互いに支え合う連帯感が生まれたことも事実である。

遠野ホップ30年史「主な災害」より

ホップが未知なる作物であったこと。遠野市も深く関わりながら、組合が設立され、キリンビールとの契約栽培を締結したこと。ホップが1人では栽培できる作物ではなく、集団で栽培する必要があったこと。台風や病虫害の被害など乗り越えなければならない課題がたくさんあったこと。ホップ特有の事情や、挑戦の連続が、様々な関係者の連帯感を生み出していったのだと思います。

昔も今も、収穫作業は共同で行われる

私たちのDNA

話を現代に戻します。私が2016年から遠野市のプロジェクトに関わる中で、「遠野の取り組みは様々な関係者が立場を超えて連携・挑戦していることがすごいね」と言っていただくことが何度もありました。

今回、過去を振り返る中で分かったのは、それは近年始まったことではなく60年前から「多様な仲間と共に挑戦を続けてきた」ということ。

諦めず、仲間と共に挑戦を続けることが私たちの強みであり、遠野ホップ栽培のDNAなのだと思います。

現在の私たちは、そのDNAを引き継ぎながらも、さらに仲間が広がっています。近年、ビールの里構想が盛り上がり、TONO JapanHopCountry という観光ブランドが立ち上がる中で、その仲間の範囲は農家や行政、大手ビールメーカーに留まらず、地域のビール会社、私たちのような地域の民間企業、観光関係の事業者など大きく広がっています。

また、遠野市へのふるさと納税を通じて、私たちの活動を支援し、一緒にホップ栽培の課題解決を進めてくれている寄付者の皆さんも大切な仲間だと考えています。

今回制作した60周年記念のロゴにも「地域内外の多様な人たちが絡み合い、遠野のホップ栽培を一緒に維持、発展させていくという想い」を込めています。

デザイン 上西尚宏(株式会社BrewGood)

私たちにとっての遠野ホップ栽培60周年は、私たちのDNAを再確認するタイミング。そして、祝うだけではなく今年も挑戦しよう、これからも挑戦していこう、そんな気持ちを強く持っています。

明るい未来

遠野市のホップ栽培は、高齢化や後継者不足はまだ続いており、厳しい状況です。2020年に「日本のホップ栽培が抱える構造的な課題とは何か」という記事を書きましたが、まだその構造的な課題解決の途上にあります。

一方で、少しずつですが、冒頭のメッセージにあるように「私たちには明るい未来が見え始めている」ということも事実です。仲間の努力や、応援してくれる方々が増えることによって、明るい未来への兆しは生まれ、持続可能なホップ栽培に近づきつつあります。

昨年、新規就農者のホップ生産量は遠野市全体のホップ生産量の3分の1以上を占めるまでになりました。ベテラン農家や若手農家は、栽培技術を惜しみなく伝え、ホップ農家として独立できるように支えてくれています。また、ホップ栽培の最大の懸念であった乾燥センターの老朽化も、皆さまからの寄付が集まり、改修のための準備が進められるようになりました。

今年、遠野市でホップ農家に挑戦する就農者の募集を再開します。この数年は生産現場の課題解決に注力するため、積極的に新規就農者の受け入れを行っていませんでした。しかし、上記にあるように、少しずつ課題解決が進んでいることを受け、募集を再開することが決定しました。下記に募集要項を掲載しています。

これからも仲間を増やしながら、日本のホップ産業を変える挑戦を共に続けて行きたいと思います。

皆さんと一緒にお祝いしたい

改めて、今年は遠野市でホップ栽培が始まって60周年です。私たちはさまざまな60周年企画を準備しています。皆さんに配布するための60周年記念史の制作や、遠野以外でのビールイベントの開催などを考えています。そして、感染症の影響でしばらく中止になっていた遠野ホップ収穫祭も4年ぶりに開催します!

遠野ホップ収穫祭2023 開催日:8月19日(土)・8月20日(日)
詳細は各種公式SNSで情報発信しますのでぜひフォローをお願いします。
facebook / twitter / instagram

今年は皆さんと一緒になって遠野ホップ栽培60周年をお祝いしたいです。そして、その盛り上がりによって、10年先、さらにその先へとつながる挑戦の年にしたいと思っています。

最後に、江刺ホップ農業協同組合50年記念史(平成17年に発行)に書かれていた言葉を掲載します。※江刺ホップ農業協同組合は、昨年より遠野ホップ農業協同組合 江刺支部に変更

国産ホップ今後の展望と生き残りへの方策というページの最後には、下記の言葉が書かれています。

本来の営農集団として経営的見地から、その栽培特性が検討されるならば、ホップ栽培の契約栽培としての安定性及び有利性が、いずれ見直されて来る事も期待される。その時に、我々が暖かく力強く新規参入の仲間を迎え入れ、共に協力し支え合いながらホップ産業の将来を築いて行くと言う、志を持つ事が必要である。先人が築いて来たこの道を、再構築する価値観が必ずや存在する事と確信する。

江刺ホップ農業協同組合50年記念史

ホップそのものや、日本の生産地に注目が集まり始めている現在の状況を考えると「先人が築いてきたこの道を、再構築する価値観が必ず存在する」ことは私たちも信じています。

そして、「温かく力強く新規参入の仲間を迎え入れ、共に協力し支え合いながらホップ産業の将来を築いて行く」ことに、これからも仲間と共に挑戦していきます。


◎書いた人◎

田村淳一
株式会社BrewGood 代表取締役/ 株式会社遠野醸造 取締役
和歌山県田辺市(旧 大塔村)出身。立命館大学法学部卒業後、新卒で株式会社リクルートに入社。リクルートでは住宅関連の新規事業の立ち上げや法人営業を担当。2016年に退職し岩手県遠野市に移住。2017年には仲間と株式会社遠野醸造を設立し、翌年春にビール醸造所兼レストランを開業。ホップとビールによるまちづくりの推進、新たな産業創出のため2018年に株式会社BrewGoodを創業。遠野ホップ収穫祭実行委員長。

WEB:https://brewgood.jp/
ブランドサイト:https://japanhopcountry.com/
twitter : https://twitter.com/tam_jun    
Mail:info@brewgood.jp

遠野ホップ栽培60周年 記念ロゴ&ポスター
デザイン:上西尚宏(株式会社BrewGood)
メッセージ:田村淳一(株式会社BrewGood)

11/10追記
*岩手県遠野市では農業と地域のプロデューサーを募集しています*

岩手県遠野市では、総務省の地域おこし協力隊制度を活用して、ビールの里構想を前に進める人材「農業と地域のプロデューサー」を募集しています。活動のパートナーは、ビールの里構想の総合的なプロデュースを担当する株式会社BrewGoodのメンバー。地域の事業者と連携しながら、企画と実践を繰り返し、ビールの里構想の具現化や、地域全体の一次産業の課題解決と新しい産業づくりを行なう人材を募集します。応募締め切りは11/30まで。

*未来へホップ栽培を繋げるために寄付を募っています*

遠野市へふるさと納税で寄付する際に、寄付先を「ビールの里プロジェクト」に指定いただくと、寄付金の一部が栽培現場の課題解決や持続可能なホップ栽培の実現に活用されます。これからも遠野市でホップ栽培を続けていくために、皆様の応援をお願いします。


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