リストランテ・ディ・カナレットでディズニーシーを感じよう
東京ディズニーシーには、豪華でグレードの高いレストランが多数存在する。
しかし、「マゼランズ」をはじめとした最上級のレストランは、どうしても値段が高くなりがちだ。なんで、一食にチケット一枚分払わねばいかんのだ。おかしいじゃないか。そういう声があるのも、まあわかる。
500円のワゴンフード、1000円のピザ、1500円のセットメニューは物足りないけれど、5000円のコースはちょっとお高い。そんなあなたにおすすめなのが「リストランテ・ディ・カナレット」である。それだけではなく、おまけに東京ディズニーシーの様々な顔が一度に楽しめるからなんともお得だ。
本日は、リストランテ・ディ・カナレットを楽しむためのいくつかのポイントに触れ、東京ディズニーシーに欠かせないこのレストランのストーリーに迫っていきたい。
リストランテ・ディ・カナレット
パラッツォ・カナルって何?
「リストランテ・ディ・カナレット」と聞くと、ディズニーファンの読者諸氏の頭の中には「パラッツォ・カナル」の名が浮かぶのではなかろうか。
イタリア語においては、語尾に-ettoをつけることで、小ささを表現することがある。画家の「カナル」と、運河を意味する「カナル」……それぞれ-ettoがついて、前者は小カナル(息子のカナル)、後者は「小運河」と解釈できるというわけである。
さて、「パラッツォ・カナル」は「宮殿の運河」を意味するエリアである。先ほど見た通り「カナル」は「運河」であるから、ここではむしろ「宮殿」と訳されている「パラッツォ」に注目したい。
パラッツォ(Palazzo)とは、英語のパレス(Palace)に通じる単語である。
現在イタリア共和国とされる地域では、中世からルネサンス期にかけて多くパラッツォが建設されており、宮殿これに限らず富裕層の邸宅や公共施設まで幅広くを「パラッツォ」と呼ぶ。時代や場所にもよるが、特徴としては、およそ三階建てで建てられ、階が上がるにつれ段々と高さが減少していくというのがよく言われる。このことは、東京ディズニーシーでも見られる。
右側に見えている建物全体が「リストランテ・ディ・カナレット」である。川に面して白い壁面を見せているこの建物は、実際にヴェネツィアに存在するパラッツォ・ダーリオをモデルにしていると思われる。
ところで、「リストランテ」とは音の通り「レストラン」ということだが、これがイタリア料理店では最上級に当たることをご存知だろうか。一般的に、ワインと軽食のみを提供するオステリア(osteria)、大衆向けのトラットリア(trattoria)、そしてドレスコードを含むコース料理を提供するリストランテ(ristorante)に分かれているとされているのだ。オックスフォード大学とパラヴィア社による”Oxford Paravia Il Dizionario”では、それぞれオステリアはtavern(居酒屋)、トラットリアはeating house(飲食店)、リストランテはexclusive, high class restaurant(高級レストラン)と説明されている。
ちょうど、東京ディズニーシーのメディテレーニアンハーバーにも三種の異なるイタリア料理レストランがある。最も安価で、1000円〜2000円でお腹いっぱい食べられる「ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ」、予約は不要だが他の高級レストランに迫るリッチメニューを展開する「カフェ・ポルトフィーノ」。どちらもワイナリーと魚網修理場を改装した、メディテレーニアンハーバーの人々に愛されるレストランだ。
だが、価格帯で言えば更にその上位に位置し、要予約という正にexclusive(排他的)なレストランが「リストランテ・ディ・カナレット」なのである。レストラン名のリンクはそれぞれの店舗メニューへと通じているので、よければ確認してみて欲しい。
「パラッツォ・カナル」の「リストランテ・ディ・カナレット」。「パラッツォ」と「リストランテ」がそれぞれ高級感を示しており、「カナル」と「カナレット」には不思議な縁を感じさせる。正に、このエリアを象徴しうるレストランであるのだ。
南欧の失われた18世紀
カナレットが活躍したのは18世紀であると、公式ブログには記載がある。
しかしこの18世紀は、メディテレーニアンハーバーにとって大事な時期とは言い難いのが実情だ。
例えば東京ディズニーシーの最高値レストランとして冒頭に紹介した「マゼランズ」があるのは、同じメディテレーニアンハーバーでも「エクスプローラーズ・ランディング」という要塞の中である。この要塞は、16世紀にスペイン国王から譲渡されたという設定だ。
15〜16世紀、大航海時代や大交易時代と呼ばれたこの時代、スペインやポルトガルの船が世界中を航海し、世界を繋いだ。
では、メディテレーニアンハーバーで次に登場する時代はどこか? 「ソアリン:ファンタスティック・フライト」の舞台となっているファンタスティック・フライト・ミュージアムが建設されたのは19世紀になってからである。
メディテレーニアンハーバーの舞台は1901年。ファンタスティック・フライト・ミュージアム2代目の館長であるカメリア・ファルコが生まれてから100年後である。実際には矛盾した年号もあるが、これは2001年の東京ディズニーシー開業当初から変わらない前提のようだ。
では、消えた18世紀は一体どんなものであったのか? いわゆる「無敵艦隊」であるスペイン海軍は、16世紀の末端に当たる1588年、アルマダ海戦でエリザベス一世のイギリスに敗北した。このことにより、17〜18世紀の覇権はイギリスとオランダにもたらされ、ディズニー映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』が描いたような東インド会社の支配へと潮目が移っていく。このことにより、メディテレーニアンハーバーのモデルとなったイベリア半島の国々(スペイン・ポルトガル)が、声を潜めていくことになったのである。
ここで、舞台はイギリスに移ることになる。
カナレットが描いた風景画は、言わば「ポストカード」のような形で彼らに買われていった。上述の解説は、国立西洋博物館で行われた「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」の簡易図録から引用しているのだが、カナレットをはじめとした画家の作品はこのような手順でイギリスに蓄積されていったのである。
上述の池上氏はこれを「大英帝国が抱えていた(文化的)コンプレックス」と表現しているが、裏を返せば当時のイタリアの文化資本の豊かさを意味している。そして欧米世界が、古代ローマに端を発したヨーロッパという世界観の中にあることに気付かせてくれるのだ。その点、ヨーロッパの基礎的世界観が、18世紀のカナレットの活躍を通して、メディテレーニアンハーバーに発露していると言える。ちなみに、18世紀というイギリス・オランダの時代に名を馳せたジョヴァンニ・アントニオ・カナルは、イタリアで描いた後に遂にイギリスに渡ることになった。
「折角旅行をするなら、一度に三箇所はどうでしょう?」
さて、古代ローマをオリジンとしたヨーロッパの世界観を、カナレットという画家が端的に描き出していたとするならば、その絵はどのようなものであっただろう。
彼の絵は全く反対の二つの点で評価されるのだが、これら両者は決して矛盾してはいない。
ひとつはその写実性である。
上述の通り、カナレットの絵は特にイギリスで好まれ、旅行の土産として美しい風景を持ち帰るためのものだった。彼は、カメラ・オブスキュラと呼ばれる「カメラ」の原型となったものを使用して絵を描いていたと言われ、ヴェネツィアの運河を遠近感あるリアルな構図で描いていたのである(カメラ・オブスキュラは正に、エクスプローラーズ・ランディングで見られる)。
また、大航海時代とルネサンス、そしてプロテスタントによって行われたキリスト教会の宗教改革などが重なって、絵画を宗教の話題から引き離すことに成功したことで、この時期からは特定の説話に基づかない純粋な風景画が存在感を持ち始めたとも言える。
さて、もうひとつは写実性と反対、即ち、理想的な構図を求めて現実世界に手を加える手法にある。
彼の画のいくつかは、巧みな構図で複数の名所を一枚に収めたものや、本来あり得ない配置図で描かれたものがしばしばある。「旅の土産として好まれた景観画」という立場を勘案しても、これはごく自然なことであろう。
東京ディズニーシーのエントランスは、トスカーナ地方のフィレンツェの都市がモデルとされている。増築されたホテルの下を潜ると目の前に広がるのはプロメテウス火山。メディテレーニアンハーバーは大きく分けて「ポルト・パラディーゾ」「パラッツォ・カナル」「エクスプローラーズ・ランディング」に分けられるわけだが、それぞれポルトフィーノとローマ、ヴェネツィア、そしてスペインの要塞をモチーフとしている。
2001年から2006年まで公演された「ポルト・パラディーゾ・ウォーターカーニバル」は、メディテレーニアンハーバーの伝説を祝うカーニバルを模したショーであった。そこでは、「海の向こうを夢見る想像力」が主題の一つとなっており、「みなさん、イマジネーションの翼を広げてください! さあ、一緒に旅立ちましょう!」という一節がある。
あるいは、「ソアリン:ファンタスティック・フライト」でも、カメリア・ファルコは「空を飛ぶことへの情熱と、限りないイマジネーションを力に、心の赴くまま世界の空を巡って」きた。その成果として生まれたドリームフライヤーに、我々ゲストは乗ることになる。そして、「夢を見る力とイマジネーションに身を任せ、素晴らしい空の旅」へと出向くことになる。
カプリッチョの説明に用いられる「画家が空想を羽ばたかせ」というのを見れば、両者の切っても切れない関係が感じられるだろう。
ディズニーシーを感じよう
東京ディズニーシーの1周年を迎えた2002年から講談社が発行した『ディズニーリゾート物語』という雑誌。その中に、「達人が見たディズニーリゾート」という触れ込みで"Expert Talk"というコーナーが展開されていた。
2003年の13号のテーマは「ヴェネツィアン・ゴンドラ」だったのだが、”Expert Talk”には料理研究家の有元葉子氏が登場した。
このことは、メディテレーニアンハーバーに限った話ではないはずだ。橋を渡って向こう側には20世紀初頭のニューヨーク、火山の奥には南太平洋の孤島、足を伸ばせば時空を超えた未来のマリーナへと道は伸びている。リアルティを追求しつつ、世界中の魅力的な港を集めて再構成した東京ディズニーシーは、さながらカナレットの描いた絵画のような「カプリッチョ」な世界であると言えよう。
あなたも「リストランテ・ディ・カナレット」で、東京ディズニーシーの世界旅行に想いを馳せてみてはいかがだろうか?
参考文献
特記がないもののみ記載
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2022/05/20
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