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祖父が一度だけ話した樺太からの脱出

地元北海道の道東。
北方領土を眺められる街で育ちました。

私の母方の祖父はアイヌ人で厚岸に住んでいました。
樺太から子供の時に北海道へ漂流して逃げて来たという話をざっくりしか聞いていませんでした。
とにかく無口な人で、亡くなってから林業をしてたことを聞いた程です。

「北海道もロシアだ!」 なんてことを言っているロシアの議員の方もおられるようですね。返せ北方領土!という看板を普通に目にしながら育った私としては”どんだけ欲しがりなんだよ!”と思ってしまいます。。

しかし私は今、ロシアの方とも一緒に働いています。とっても肩身が狭いと思います。
明るく話しかけてくれたり、富士山が素敵に撮れた写真を見せてくれたり、私が日本に住むロシア人だったら・・・と思うと彼女は彼女でロシアに生まれたのですが、地球に暮らす地球人としては同族ですし、何の罪もありません。仲良く働いていきたいと思ってます。

さて、アイヌ人の祖父。
先日、母親と電話で話していたときに、ウクライナの話になり、祖父が1度だけ樺太からの脱出について堰を切ったように話したことが有ると初めて教えてくれました。母が母の祖父と面識があったことも、その電話で初めて聞きました。仏壇の上にあった写真の人。アイヌの狩人。母が小学生のころにお亡くなりになったそうです。

母がだいぶ年を取ってから、祖父が急に話した樺太からの脱出ストーリーですが、祖父が子供の頃に何便かに分けて樺太から北海道へ船で逃げて来たのですが、ロシアが追って攻撃して来て、沈没させられてしまった船も有ったそうで…自分たちも沈没させられるかもしれないといく恐怖とともに何とか北海道に着いたという話だったそうです。
北海道に着くまでは1日以上かかったとは聞いていますが・・・物凄く恐ろしかった記憶でしょう。。

だから思い出したくなくて、自分の子供にも1度しか話さなかったのでしょうか?  一体どの時期に逃げて来たのかは不明ですが、第二次世界大戦下の1945年頃に他の樺太からの脱出をされた方の記録があるので、その頃かと思います。
観光船が沈んでしまった斜里も実家の近くなので、あのニュースから母はこの話を思い出したようです。

大好きな Alicia Keysの Underdogという歌詞の一説にこんな箇所が有る
"She's riding in a taxi back to the kitchen 
 Talking to the driver 'bout his wife and his children on the run from a country where they put you in prison for being a woman and speaking your mind
One conversation, a single moment
The things that change us if we notice when we look up sometimes"

和訳は私なりの和訳だが
”彼女は家に戻るためにタクシーに乗っている。 ドライバーの男性は奥さんと子供の話をし、女性が自分の意見を言うだけで捕まってしまう様な国から逃げて来たと語る。たわいもない会話、ちょっとしたひと時。
しかし、もしも私たちが時折顔を上げて気が付けば、物事は変わるのだ。”

私は物凄くこの歌を知った時から好きだが、祖父の樺太からの脱出の話を聞いてこの歌詞を思い出した。
さらにオーストラリアに行ったときにタクシードライバーが南アフリカから移住してきた男性で、”稼ぐために移住してきたんだ”などと会話したことを思い出した。

このオーストラリアの旅でも、偶然に父方の祖母が生まれた和歌山県東牟婁郡から明治時代ころに沢山の方が移住し、潜水士として真珠産業を支えたBroome(ブルーム)という真珠の養殖が有名な街へ。
インド洋に面していて位置的にはオーストラリアの北西です。和歌山から移住した方たちの多くは、潜水病で1000人以上がお亡くなりになってしまったそうで、日本人の墓地が赤土のブルームの街の片隅にありました。

日本に帰りたい。 
その思いから墓石は全て日本がある北を向いていました。物凄く心が痛くなり、必ず私はその思いを東牟婁の地に持っていくと決めました。

移民だとしても同じ地球に生まれた地球人の私たち。
色んな気持ちで移住、移民となる人たち。
海で働く人たち、自然の猛威。

平和にもっと仲良く暮らす。
まずは自分が仲良く周りの人と暮らすこと。
小さいことかもしれないけれど、そういうことが世界の平和に繋がる大切なワンピースなかもしれない。





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