人はずっと同じではいられない
24年とちょっと生きてきて、いま、書き残しておきたいなと思ったこと。
それは、人はずっと同じ人ではいられないということ。
人生を通して、ひとりの人がいろんな表情を持ちます。
だから、人を信用するのは危ないよ、とも言えるし、期待できるかも、とも言えます。
私は、高校生の頃は情緒不安定で、無意識のうちに常に他者と自分とを比較して自己嫌悪に陥っていました。
そのときは、まわりの人の何気ない言葉に傷つき、ケチになり、ほんの少し嫌なことがあるだけでも苛々しました。
哀しいときには無気力で、苛々するときは「カッとなる」とか「むしゃくしゃする」という言葉がぴったりの状態でした。
そんなふうにすぐにキレる、短気な自分が嫌で嫌で仕方がありませんでした。
しかし、いま振り返ってみると、それはあくまでもそのときの私の「状態」であって、必ずしもそれが自分の性格ではなかったのではないかと思うのです。
ちなみに、アドラー的にいえば、そのときの私の言動は、「何もしたくない」、「自分に期待してほしくない」、という本心を表現していたのだと思います。
自分の理想と現実のギャップが大きすぎて打ちひしがれつつも、頑張る自信もなかったのです。
私の事例にかぎらず、人はホルモンバランスや病気、あるいは人間関係などによって、その状態は大きく変わります。
そう考えると、この社会はいつ誰がキレるか分からない社会です。
恐ろしい……。
恐ろしいけれど、キレる人も生まれつきキレやすい性格として生まれてきたわけではないはずです。
「怒りの状態」もまた、その人のひとつの表情にすぎないことを心に留めて生きていきたいと思います。
他者だけではなく、自分についても同じく。自分の性格が嫌だなあと思っても、それは自分のいち側面にすぎないかもしれない。
状態が不変的であることは、人間の怖さや脆さであり、希望でもあるのではないか、と思うのです。
花を買って生活に彩りを…