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「啐啄同時(そったくどうじ)」導く者と、導かれる者と

いくら教師にやる気があっても、生徒にその気がなければ成長は見込めないって感覚。
これは自分自身に当てはめてよく考えるんですよね。あの時もっと勉強しておけば、先生方々はあんなにやる気に満ちていたのにって。でもこの感覚って、自分がやる気になるまで本当に気づけないんですよね。

人は理屈で動かない、感情で動くのだ。感動って言葉はあるけれど、理動なんて言葉ないでしょって誰かに言われたことがありまして。まさにその通りだと思います。

将来困るぞ。
今やると後で楽だぞ。
時間が持ったないぞ。
せっかく学校に来るならば勉強しないと損だぞ。

そんな理屈こねられても食指はちっとも動かないんですよ。悲しいもので。

小中学校の先生、あるいはこれから導かれようとしている人とかかわりあいを持つ大人にとって必要な能力って、勉強やら何やらそのものを教える能力と同じくらいに、いかにやる気にさせるか、心を奮わせ、感動させ、行動させる能力があるかってところにあると思いませんかね。

そしてそういう導く者に出会えた人はきっと幸せです。

啐啄同時
またとない好機のこと。また、学ぼうとする者と教え導く者の息が合って、相通じること。鳥の雛ひなが卵から出ようと鳴く声と母鳥が外から殻をつつくのが同時であるという意から。
注記:禅宗で、師匠と弟子の呼吸が一致するときに、悟りが得られるということから。「啐」は、鳥の雛ひなが孵化するときに殻の中から鳴くこと。「啄」は、母鳥が外から殻をつつくこと。
引用:https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%95%90%E5%95%84%E5%90%8C%E6%99%82/

類語:感応道交

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ドラゴンクエストⅣの副題が「導かれし者たち」でして、なんか、グッときますよね、これ。


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