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100グラムはけっこうしあわせだから

静かに時をかけて根づくということ

動いてもすぐに答えの出るものばかりではない。ひとつものだけ輝くのではない。そんな中でみなが泳いでいるのだと思う、うようよと。

アートという仕事も。生きるうえでは、枯渇しきったり、また浮いてきたり。芽が出て花が咲いたら、それだけで喜べる仕事なのかもしれない。気がつくと欲がなくなるような、そのわりに肉体労働きわまりない。おそらく、芸術を生業とするということは、どろどろな土の中で、小さな有機肥料みたいなものとおいしい水をいただくと、ぐんぐん喜ぶという最もとシンプルな生き方なのだろう。


旅するタネさんプロジェクトと100グラムの愛

もう7年くらい前からつづけているプロジェクト。100グラムほどの土をシズクのようなタネのようなかたちにしあげた作品で、重さや形は、けっこう研究したつもり。実は、土鍋の土をつかっている。にぎっていても汗をかかないし、冬でもヒヤッとしないから、小さい子でもお年を召したかたにもよろしい。これが土の特性であり、土鍋となかよくなってもらうには、まず分身にふれてほしいと願った。


日本をはじめイタリアの子どもたちにも描いてもらっている。ネズミにみたてる子もいる。そんな自由をもっともっと見たい。ときに、子どもでなくおとなとプロジェクトであそぶこともある。

100グラムはけっこうしあわせだから

昨日とてもうれしいメッセージをいただいた。

数年前、名古屋の保育園のアートワークを担当させていただいた。広い園内の壁面や天井に「みずのたび」という物語をつくり、それにともなったアートワークを2年かけて仕立てた。その保育園に現在かようおかあさんからのメッセージだった。「保育園ではこどもたち、あめちゃんと呼んで、とても大切にされているんですよ」から始まって、子育てと「陶のアート」についての熱い想いと感想を書いてくださった。

数年経って、ようやくちいさな花が咲いている。陶のタネさんは丈夫だ。土にうめて、水にうかべ、遊んでいる様子を見に行ったこともある。群れをなす雑草たちも、実はひとりで耐えしのび、あの子は咲いてもわたしは咲かなかったり、そんな人生を平気で「うつくしい」のひとくくりで生きている。

仕事と子育てに目がまわるほど忙しい時代はひとときかもしれない。ふと過ぎ去った日々に、あれこれ経験を語るのはわたしの役目ではない。先日の園内では「あめちゃんのお父さんとお母さんがきてる!」という子どもたちの声がしたそうで。


「触れば触るほどピカピカになるし、落とせば割れてしまう脆さもあるタネさん。危ないからといって渡さないのではなくて、あえて保育に使うという姿勢がステキだなぁと思いました」静かに時をかけて根がはえてきたのだなと思いとてもうれしかった。

コッチョリーノの旅するタネさんプロジェクト
建築部門でグッドデザインも受賞


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