重松 正大

音楽家(ピアニスト)東京藝術大学卒、西ドイツリューベック音楽大学マイスタークラス卒 尚…

重松 正大

音楽家(ピアニスト)東京藝術大学卒、西ドイツリューベック音楽大学マイスタークラス卒 尚美学園短大、愛知県立芸術大学勤務を経て現在はフリー。ピアノの技術は進歩しているという意見に疑念を持ち、YouTube、ブログ等でも発信しています。

最近の記事

猫に学ぶ

ボクシングに八重樫という選手がいた。世界チャンピオンだった人だから有名だが、音楽家の音楽論を読む人には縁遠いかもしれない。 この人が競輪の後閑というかつての名選手と対談しているのを読んだことがある。この選手も競輪界で有名だったらしい。 この2人のアスリートは偶然にも猫の動きに着目していたという。猫科の中でもチーターなのだそうだがしなやかで力強いからだろうか。 曰く猫科の動物の背中は彎曲している。それが大きなエネルギーを生む原動力なのだと強調する。後脚であれ程高く跳び上が

    • 美しい音と褒め言葉

      レストランに行ったとしよう。 大変美味しいと感じた場合、またその店に来ようと記憶に留めるだろう。料理に情熱を持つ人ならばその味の秘密はどこにあるのだろうと舌で探ろうとするかもしれない。 いずれにせよふふん、味はとても素晴らしいですね、、と言いつつ素通りすることだけはあるまい。料理人のセンスと努力を想っているわけである。 味は素晴らしいですね、、の後につけ加わるとしたならば、しかし店内が不潔だ、とかウェイトレスが無愛想だったといった不満くらいだろう。 これがピアノ演奏と

      • 国歌について 2

        カタロニア州歌が極めて印象的だったと書いた。その後サッカーワールドカップで国歌を巡って面白く感じたことがある。カタロニア州歌があまりに印象的で、国歌に耳が向くようになったからだろうか。 ドイツの国歌がハイドンの四重奏「皇帝」のアダージョに依るのは有名だが、第二次世界大戦前はオーストリアの国歌だったはずだ。どのような経緯でドイツ国歌になったのだろう。 それにしてもこのメロディとハーモニーは実に美しい。出来れば四重奏を聴いて貰いたい。 ドイツに国歌を譲った?オーストリアの国

        • 国歌めぐり1

          F1のスペイングランプリが開催された時のこと。 スペイン国歌が流れたあと、何やら聴いたことのない音楽が演奏されている。何だい、これは?家族が直ぐに調べてカタロニア州歌だと言う。 そうかい、いやスペインも大変だなぁ、こんな反抗的な歌を州歌にしている地方があるのでは。 家族が歌詞の意味も調べると果たして中々勇ましい歌詞なのである。 搾取する者に対して鎌の一撃を振り下ろせ、そのような感じ。 音楽は具体的な何物も表さないというのは本当なのであるが、同時にある種の気分を正確に

          個人の感想

          私は中学生の終わりくらいからバッハのカンタータに親しみだした。キリスト教徒でもないのに親しんだ切っ掛けは、FMで132番を聴いて陶然となったことである。 この曲は永らく聴いていないので、ふと思い立ちyou tubeで聴いてみた。 しかしどの演奏も記憶に結びつくものではなかった。 あれこれ漁っているうちにややアプローチが似ている演奏に行き着いた。そうだった、私はこんな感じの演奏でバッハの曲の美しさを発見したのだった。 コメント欄に目を向けると、ドイツ語で書き込まれたもの

          随想・北ドイツのオルガン

          部屋を整理していたら古いカセットテープがいくつも出てきた。上書きされることのないように爪を折ってある。してみると何か大切な良い録音なのであろうか? 聴いてみようにも既にカセットテープをかける機器は壊れて捨ててしまった。仕方なく安物の機器を購入してひとつひとつ確かめている。 最初の一つをかけた途端、パイプオルガンの音が流れ出した。これは恐らく北ドイツかオランダの古い楽器だ。大変良い楽器だと分かる。 多分その昔ドイツでラジオの番組を録音したものだ。毎日曜日の朝、歴史的オルガ

          随想・北ドイツのオルガン

          人の声、人の姿

          ドイツにダ・カーポという往年の名歌手へのインタビュー番組があった。エヴァーディンクという演出家がインタビュアーを勤め、10年以上続いたらしい。 You tube のおかげで今日まとめて視聴できる。残念ながら日本語の字幕はない。 ドイツ・オーストリアで活躍した非ドイツ人歌手のドイツ語は比較的聞き取りやすい。ドイツ人歌手は総じて恐ろしく早口だ。 その番組が始まる前に亡くなった名歌手も多いが、それでも私の世代よりもずっと上の歌手の(普段の)肉声を聞ける喜びは大きい。 総じて

          人の声、人の姿

          ハーモニーの不思議(軍楽隊を聴いて)

          ふとした事から軍楽隊の演奏に関心を持つようになった。 ドイツ軍の金管楽器は実に美しい。ハーモニーとはかくあるべし、といった響きである。曲想さえ違えればそのままブラームスやブルックナーになる。 様々な式典に際しての演奏しか聴いていなかった感想だったのだが、ある時公道を行進して行くのを沿道の観衆が撮った映像を見て意外だった。 すぐ近くを通り過ぎる金管楽器は皆が皆上手ではないのである。漠然と大変洗練された音響を期待していた耳には結構なショックであった。 何処かで読んだ記事の

          ハーモニーの不思議(軍楽隊を聴いて)

          曲名の翻訳

          つい先ごろ子供がシューマンのユーゲントアルバムを持ってきた。 曲名を見て私は目を疑った。「はなうた」とある。 この曲は単純さの極致であろう。しかし考えてみれば良い、はなうたはどの様な態度で歌われるのかを。 音楽には様々なジャンルがあるけれどはなうたというジャンルは無い。誰もが上機嫌で歌うのがはなうたであるにもかかわらず。理由を考えるまでもない。 プロのハナウティストなるものは存在しない。 シューマンほど子供に真摯に接した大音楽家はいない。最上の童話がそうであるように、

          ストラディヴァリウスを巡る雑感

          ストラディヴァリウスと現代の楽器を聴衆に聴き比べさせたところ現代の楽器の方が良いという結果が出たそうだ。この結果は正式に論文として発表されるという。 正式な論文、正式な実験といっても結構杜撰なのだな、というのが私の正直な感想である。 ここでは二つのことが前提とされている。 聴衆は演奏の良し悪しを判断できる。また奏者は良い楽器を正しく演奏できる。この二点だ。 後者については訝る人もあろうか。 良い楽器とはどのような性質を持っているのだろうか?ここではサラブレッドと駄馬

          ストラディヴァリウスを巡る雑感

          感想(趣味のピアノについて)

          知り合いの女性が最近YouTubeに投稿し始めた。30歳を過ぎてからドレミから習い、8年目にしてテンペストのフィナーレに挑戦している。嬉しかったのだろうか、今日譜面を読む、という段階から毎日投稿している。 発表会などで聴いたことがあるけれど、仕上げに時間はかかるらしいものの、とても素直な演奏をしている。音大受験生、コンクール参加者にありがちな意味のない堅苦しさが無く気持が良いのだ。 しかし何日か過ぎた頃何となく彼女の様子がおかしいのである。訊いてみたところ次のような次第だ

          感想(趣味のピアノについて)

          ベートーヴェンとクラマー

          クラマーの練習曲にベートーヴェンがひと言註釈をつけたものがある。甥のカールに教えるためだったという。 クラマーは通常クラマー=ビューローとして知られている。ビューローによって編纂されているからそう呼ばれる。 クラマーはベートーヴェンより年上の作曲家で、ビューローはリストの弟子でベルリンフィルの創設者である。 このベートーヴェンの註釈付き楽譜については出典が確実ではないとの理由でさほど注目されていない。この楽譜から得られるものはないという演奏家までネットで目にしたことがあ

          ベートーヴェンとクラマー

          十年の遅れ

          以前音楽評論家の吉田秀和さんの全集が完結した折り、小説家の丸谷才一さんが新聞紙上に祝文を寄せていた。 吉田さんについていずれ少しずつ書きたいと思うのだが、きょうは丸谷さんの文章中の一言から。 上記の文の中で丸谷さんは小林秀雄にふれ、文学の中に哲学などを持ち込み、日本の文学を十年は遅らせたと難じていた。 文学者はよくこういう言い回しをするけれど、僕はあまりピンとこない。素人の無責任な発言を許して貰えるならばこういった言い方は嫌いだ。 丸谷さんといえば、とほうもない知識と教

          究極の正確さ

          むかしある人がこんな演奏はいかがでしょう、と一枚のCDを持ってきた。たいへん参考になり、生徒たちにも聴かせたことがある。どう参考になったのかを書いておこう。 これは実はコンピューターによる演奏である。持ち込まれたとき、あまりのばかばかしさに聴く気にもなれず放っておいた。それをある日急に思い立って、この際徹底的に馬鹿にしてやろう、と一念発起して聴いたのである。 この気紛れな思いつきは予想通りの結果しかもたらさなかった。CDをごみ箱へ放り込もうとした瞬間、もうひとつの気紛れな

          究極の正確さ

          良い耳

          自分は小さいころから耳が良かった。どんな小さな音も聞き逃さず、みんなから「うさぎちゃん」と呼ばれていた、云々。ある演奏家へのこんなインタビュー記事を読んで吹き出したことがある。でも人は案外読み飛ばしてしまうかも知れない。 音楽家に耳の良さは必要不可欠だ。しかしいったい何人の人が良い耳とは何だろうと問いかけただろうか。良い耳とは良い耳のことでしょう、訊くまでもない。第一そんなこと考えても仕方がないではないか。そんな声まで聞こえる気がする。僕の妄想であれば幸いだ。 猫舌とは敏

          苦手な人

          ずっと以前のこと、ドイツに住んでいたころだが。 ヘルムート・リリングがテレビ出演してバッハのオラトリオ作品の解説をしていた。バッハの宗教性の深さを語った彼は、おもむろに楽譜をカメラに対し水平に倒し言ったものだ。「ご覧下さい、こうやって見ると楽譜が十字架に見えるのです」 こういう真面目な人は批判もしにくいし、からかうこともためらうし、始末に負えない。苦手である。 リリングが若いころの演奏は自然で、カンタータの録音が少ない時代でもありよく聴いたものだ。でも次第に窮屈に感じる