重松 正大

音楽家(ピアニスト)東京藝術大学卒、西ドイツリューベック音楽大学マイスタークラス卒 尚…

重松 正大

音楽家(ピアニスト)東京藝術大学卒、西ドイツリューベック音楽大学マイスタークラス卒 尚美学園短大、愛知県立芸術大学勤務を経て現在はフリー。ピアノの技術は進歩しているという意見に疑念を持ち、YouTube、ブログ等でも発信しています。

最近の記事

人の声、人の姿

ドイツにダ・カーポという往年の名歌手へのインタビュー番組があった。エヴァーディンクという演出家がインタビュアーを勤め、10年以上続いたらしい。 You tube のおかげで今日まとめて視聴できる。残念ながら日本語の字幕はない。 ドイツ・オーストリアで活躍した非ドイツ人歌手のドイツ語は比較的聞き取りやすい。ドイツ人歌手は総じて恐ろしく早口だ。 その番組が始まる前に亡くなった名歌手も多いが、それでも私の世代よりもずっと上の歌手の(普段の)肉声を聞ける喜びは大きい。 総じて

    • ハーモニーの不思議(軍楽隊を聴いて)

      ふとした事から軍楽隊の演奏に関心を持つようになった。 ドイツ軍の金管楽器は実に美しい。ハーモニーとはかくあるべし、といった響きである。曲想さえ違えればそのままブラームスやブルックナーになる。 様々な式典に際しての演奏しか聴いていなかった感想だったのだが、ある時公道を行進して行くのを沿道の観衆が撮った映像を見て意外だった。 すぐ近くを通り過ぎる金管楽器は皆が皆上手ではないのである。漠然と大変洗練された音響を期待していた耳には結構なショックであった。 何処かで読んだ記事の

      • 曲名の翻訳

        つい先ごろ子供がシューマンのユーゲントアルバムを持ってきた。 曲名を見て私は目を疑った。「はなうた」とある。 この曲は単純さの極致であろう。しかし考えてみれば良い、はなうたはどの様な態度で歌われるのかを。 音楽には様々なジャンルがあるけれどはなうたというジャンルは無い。誰もが上機嫌で歌うのがはなうたであるにもかかわらず。理由を考えるまでもない。 プロのハナウティストなるものは存在しない。 シューマンほど子供に真摯に接した大音楽家はいない。最上の童話がそうであるように、

        • ストラディヴァリウスを巡る雑感

          ストラディヴァリウスと現代の楽器を聴衆に聴き比べさせたところ現代の楽器の方が良いという結果が出たそうだ。この結果は正式に論文として発表されるという。 正式な論文、正式な実験といっても結構杜撰なのだな、というのが私の正直な感想である。 ここでは二つのことが前提とされている。 聴衆は演奏の良し悪しを判断できる。また奏者は良い楽器を正しく演奏できる。この二点だ。 後者については訝る人もあろうか。 良い楽器とはどのような性質を持っているのだろうか?ここではサラブレッドと駄馬

        人の声、人の姿

          感想(趣味について)

          知り合いの女性が最近YouTubeに投稿し始めた。30歳を過ぎてからドレミから習い、8年目にしてテンペストのフィナーレに挑戦している。嬉しかったのだろうか、今日譜面を読む、という段階から毎日投稿している。 発表会などで聴いたことがあるけれど、仕上げに時間はかかるらしいものの、とても素直な演奏をしている。音大受験生、コンクール参加者にありがちな意味のない堅苦しさが無く気持が良いのだ。 しかし何日か過ぎた頃何となく彼女の様子がおかしいのである。訊いてみたところ次のような次第だ

          感想(趣味について)

          ベートーヴェンとクラマー

          クラマーの練習曲にベートーヴェンがひと言註釈をつけたものがある。甥のカールに教えるためだったという。 クラマーは通常クラマー=ビューローとして知られている。ビューローによって編纂されているからそう呼ばれる。 クラマーはベートーヴェンより年上の作曲家で、ビューローはリストの弟子でベルリンフィルの創設者である。 このベートーヴェンの註釈付き楽譜については出典が確実ではないとの理由でさほど注目されていない。この楽譜から得られるものはないという演奏家までネットで目にしたことがあ

          ベートーヴェンとクラマー

          十年の遅れ

          以前音楽評論家の吉田秀和さんの全集が完結した折り、小説家の丸谷才一さんが新聞紙上に祝文を寄せていた。 吉田さんについていずれ少しずつ書きたいと思うのだが、きょうは丸谷さんの文章中の一言から。 上記の文の中で丸谷さんは小林秀雄にふれ、文学の中に哲学などを持ち込み、日本の文学を十年は遅らせたと難じていた。 文学者はよくこういう言い回しをするけれど、僕はあまりピンとこない。素人の無責任な発言を許して貰えるならばこういった言い方は嫌いだ。 丸谷さんといえば、とほうもない知識と教

          究極の正確さ

          むかしある人がこんな演奏はいかがでしょう、と一枚のCDを持ってきた。たいへん参考になり、生徒たちにも聴かせたことがある。どう参考になったのかを書いておこう。 これは実はコンピューターによる演奏である。持ち込まれたとき、あまりのばかばかしさに聴く気にもなれず放っておいた。それをある日急に思い立って、この際徹底的に馬鹿にしてやろう、と一念発起して聴いたのである。 この気紛れな思いつきは予想通りの結果しかもたらさなかった。CDをごみ箱へ放り込もうとした瞬間、もうひとつの気紛れな

          究極の正確さ

          良い耳

          自分は小さいころから耳が良かった。どんな小さな音も聞き逃さず、みんなから「うさぎちゃん」と呼ばれていた、云々。ある演奏家へのこんなインタビュー記事を読んで吹き出したことがある。でも人は案外読み飛ばしてしまうかも知れない。 音楽家に耳の良さは必要不可欠だ。しかしいったい何人の人が良い耳とは何だろうと問いかけただろうか。良い耳とは良い耳のことでしょう、訊くまでもない。第一そんなこと考えても仕方がないではないか。そんな声まで聞こえる気がする。僕の妄想であれば幸いだ。 猫舌とは敏

          苦手な人

          ずっと以前のこと、ドイツに住んでいたころだが。 ヘルムート・リリングがテレビ出演してバッハのオラトリオ作品の解説をしていた。バッハの宗教性の深さを語った彼は、おもむろに楽譜をカメラに対し水平に倒し言ったものだ。「ご覧下さい、こうやって見ると楽譜が十字架に見えるのです」 こういう真面目な人は批判もしにくいし、からかうこともためらうし、始末に負えない。苦手である。 リリングが若いころの演奏は自然で、カンタータの録音が少ない時代でもありよく聴いたものだ。でも次第に窮屈に感じる

          カール・フリードベルクを聴いて

          カール・フリードベルクというピアニストがいたことを知った。クララ・シューマンに学んだ人で、往年の名ピアニスト、エリー・ナイは彼の弟子だという。苔の生えるような昔の人だと思ったが、なんと僕と人生が重なっている。 音楽愛好家の中では知られた人らしい。愛好家の知識は半端ではない。反面、演奏を職にしている人たちは案外同業の先人について知らないものだ。 シューマンの時代といえば遙かな昔と思う。しかしこの人のCDを聴いているとそんな観念は吹き飛ぶ。つまり何の違和感も感じないのである。

          カール・フリードベルクを聴いて