宗教絵画『カナの婚宴』には何が描かれているか
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『カナの婚宴(婚礼)』をご存知でしょうか。
新約聖書「ヨハネによる福音書」に登場する逸話です。結婚式に出席したイエスが、水をワインに変えた伝えられており、イエスが初めてその奇跡の技を人前に明らかにした瞬間でもあります。
『カナの婚宴』は、全体的に暗い話が続く聖書の中ではひときわ明るく楽しげな雰囲気を醸し出しているので、歴代の宗教画家は好んでこの題材を描きました。
聖書に書かれているわずかな記述から、様々なイマジネーションを膨らませつつ、俗説や憶測をまじえ、さらには時の権力者への忖度やいかに「大衆ウケ」するかも計算して、宗教画は描かれています。『カナの婚宴』は様々な画家によって描かれましたが、その代表的な作品を見ていきたいと思います。
『カナの婚宴』とは
まずは聖書に描かれた『カナの婚宴』の記述です。「ヨハネによる黙示録」第2章1節〜10節
三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。そののち、イエスは、その母、兄弟たち、弟子たちと一緒に、カペナウムに下って、幾日かそこにとどまられた。
冒頭「ガラリヤのカナ」とありますが、カナとは人名ではなく地名です。ヨハネ による福音書はイエスに最も愛されたと言われる弟子ヨハネの視点で描かれており、上記の引用文の「僕たち」はヨハネ を始めとする弟子たちのことを指しています。料理がしらが「お前、一番いいワインをキープしとくとかやるじゃんよ!」とか言ってるように、行間からガヤガヤした雰囲気で人々が破顔で宴会を楽しんでいる様子が伝わります。
宗教画の話に行く前に『カナの婚宴』について少し書きます。
『カナの婚宴』は聖書の中の一服の清涼剤的な話であるのですが、「カナでいったい誰が結婚したのか」「イエスは誰の結婚式に参加したのか」は一切謎に包まれており、様々な説が存在します。
カナはガリラヤ地方の内陸にあった町で、ユダヤの反乱の時に作戦本部が置かれたように当時は非常に重要な要衝でした。
上記引用の12節で、婚宴が終わった後イエスは母、兄弟たち、弟子たちを連れてガリラヤ湖の北部にあるカペナウムに移動しています。カペナウムはマルコによる福音書でイエスが「私の町」と述べているように、イエスに非常に馴染みが深いところです。しかし同じくヨハネによる福音書第4章で、ガリラヤに戻ったイエスはすぐにカナに行き、カペナウムからの訪問者を受けています。そのため、カナにはイエスのごく親しい人物の家があったか、あるいはイエス本人の拠点があったのではないかと考えられています。
一つの説が、母マリアが出席していることから、イエスの兄弟の誰かが結婚したというもの。イエスの弟子の一人でカナ出身のナタナネルの娘と、イエスの兄弟ヤコブの結婚ではないか考えられますが、憶測の域を出ません。
イエスの弟子でこれを書いた本人である、ヨハネとマグダラのマリアの結婚式ではないかという説もあります。ヨハネ はイエスが天に昇る際にマリアのことをよろしく頼んだ弟子であると言われ、イエス昇天後はマリアはヨハネの元に身を寄せていることからマリアはもともとヨハネを信頼しており、彼の結婚式ならば出席したのではないかというものです。これも確たる証拠がありません。
さらには、「イエス本人の結婚式ではないか」という説すらあります。ただし聖書には、料理がしらが「花婿を呼んで言った」とあるので、イエスとは別に花婿がいたと考えるのが自然であるように思います。
パオロ・ヴェロネーゼ『カナの婚宴』
さて、本題の絵画鑑賞に参ります。まずはもっとも有名な『カナの婚宴』の絵。16世紀イタリアの画家パオロ・ヴェルネーゼが1563年に描いたものです。絵のメインテーマは、イエスが水をワインに変えたその瞬間を描いたものです。
神殿の中庭かテラスのような場所に「コ」の字にテーブルが置かれて人々が着座。本来は会の主賓である新郎新婦が座るべきテーブル中央にはイエス、その右手には聖母マリアが着座しています。新郎新婦は絵の左下に座っています。テーブルの上のフロアでは給仕や料理人が慌ただしく準備に追われ、天は青空に曇りがかり初めており、これから天候が怪しくなっていくと思われます。
背景の建物はいかにもなギリシャ・ローマ様式の建築物ですが、実はこれは古代のモチーフではなく、同時代のイタリア人の建築家アンドレーア・パッラーディオの作品がモデルになっています。また、人々の服装もイタリア・ルネサンス時代のトレンドであるオリエント風のデザインを着ている人物が多いです。宗教的なモチーフを描きつつ、ファッショナブルで今風でイケてる感じを出そうとパオロ・ヴェロネーゼはがんばったのだろうと思われます。
この絵には当時のヨーロッパの権力者が描かれていることで有名です。
絵の左下にいて、オレンジの服を来て横を睨んでいるのはオスマン帝国スルタン、スレイマン一世です。ワインがなくてご機嫌斜めで、右に座るソコル・メフメト=パシャがあわてて給仕に「すぐにワインを!急いで!」と言ってるようです。ちなみに手前にいる二人が新郎新婦。新郎は「できたて」のワインを差し出されています。主賓ですからね。新婦の横に座っている男女は夫婦で、妻が夫に「ワインがないわ」と腕に手をかけ、夫が給仕に「おい、彼女にワインを」と言っています。
この絵にはレオノール・デ・アウストリア、フランソワ一世、メアリ一世、神聖ローマ皇帝カール5世など当時の王族たちが着座しています。その他にも、女性詩人ヴィットリア・コロンナ、外交官マルカントニオ・バルバロ、建築家ダニエル・バルバロ、カンタベリ大司教レジナルド・ポールなども描かれています。
イエスと聖母マリアの前では楽団が演奏をしています。演奏をしているのは当時イタリアで名を馳せた四名の画家です。右から、チェロを弾いているのがティツァーノ、青い服を来てヴァイオリンを弾いているのがティントレット、緑の服を来てフルートを弾いているのがヤコポ・バッサーノ、そして白い服を来てヴィオラを弾いているのが、この絵の作者であるヴェロネーゼ自身です。イエスの前に堂々と自分を書くなんて傲慢な、と思いますが、四人の画家が取り囲んだ小テーブルの上には砂時計が置かれており、これは「人生のはかなさ」を表しており、「神の前に自分たちはとるに足りない存在である」ことを現しています。
また、マリアの手には本来あるべきはずのワイングラスがありません。これはこれから彼女の手にワイン、つまり「イエスの血」が注がれることを暗示しています。
さらに、イエスの真後ろではこれから供される動物が斬られており、これは「生贄の子羊」たるイエスの今後を暗示しています。ちなみに、今の人は「前」がこれから進む未来と捉えますが、昔の人は「前が過去」であり「後が未来」であると考えていました。だから「Back to the future」もなんで未来にバックするの?と思いますが、実は正しい使い方なのです。
さらに、絵全体を見ると左が光、右が影の大きなコントラストを作っており、これが絵全体に締まりを与えているのですが、これも「生と死」を現しており、地上でのひとときの生活であることを暗示しています。
ヤン・コルネリス・フェルメイエン『カナの婚宴』
この絵画は、16世紀のオランダの画家ヤン・コルネリス・フェルメイエンが1530年に描いた『カナの婚宴』です。オランダ絵画らしい、極端な光と影のコントラストから人物や物体の表象をくっきり浮かび上がらせた表現は見事の一言で、人々のざわめきが聞こえてきそうな迫力があります。
このシーンもまさしく、イエスが水をワインに変えた瞬間のシーンです。手前の立ち上がろうとしている女性は聖母マリアで「あらまワインがなくなったわ」と立ち上がった瞬間、機転を効かせたイエスが水をワインに変えた時を描いています。
フェルメイエンは、カナの婚宴で結婚したのはヨハネとマグダラのマリアであるという説に則っており、中央上のテーブルにその姿を描いています。「おい、水がワインになってるぞ」と画面には描かれていないところで誰かが良い、ヨハネの右に座っているペトロとアンドレが驚いています。主賓であるヨハネとマグダラのマリアは無表情ですが、この時に「人生にはもっと高い目的がある」ことに気付き、肉体的な結婚よりも霊的な結婚を選ぶことを決意しました。それゆえの無表情であるのです。
ティントレット『カナの婚宴』
こちらも16世紀の作品です。ヴェネツィアの画家ティントレットが1561年に描いたもの。全体的に暗いですが光と影の濃淡、さらにドアの向こうの雲が走る青空によって全体が引き締まって見えます。この絵では人々はヴェネツィアの中流階級の服装をしており、より大衆に「リアリティ」をもたせたことだろうと思われます。
この絵ではイエスはテーブルの奥のほうに座っています。奇跡が起こる一瞬前を描いているのでグラスはまだ空っぽ。ワインが切れたからか、皆「あ〜あ」みたいな白けた顔をしています。結婚というおめでたいシーンではありつつも、この構図やイエスの姿はお馴染み「最後の晩餐」のオマージュで、今後のイエスの未来を暗喩しています。
絵の左下には、今まさに水から変わったワインがグラスに注がれようとしていますが。このワインを受けているオレンジの服を着た人物は、作者ティントレット本人であるそうです。
モブキャラの中では一番重要な役割に自分を描くなんていい度胸ですね。
ティントレットは自分の娘マリエッタをも出席させています。テーブルの右側に座り、花を持っている女性です。
まとめ
他にもいろいろな画家がカナの婚礼を描いています。例えば、こちらのWikipediaページの「カナの婚宴の絵画まとめ」で一覧で見れます。
こういった宗教絵画は裏側にある背景を知りながら読み解いていくととても楽しいですね。ではまた次回。
参考サイト
"Mark and John: A Wedding at Cana—Whose and Where?" BIBLE HISTORY DAILY
"The Wedding Feast at Cana (1562-3) by Paolo Veronese" Visual Art Cork
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