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私と妹の差

パーキンソン病の母と 虐待されていた私が 一緒に暮らすということ 

#3 理由

#3 理由

 母は年老いても”母”でした。
 流石に手を上げることはできなくなっていましたが、私に対する接し方は変わっていませんでした。
 ”やり直せる”と夢を膨らませ過ぎたことがよくなかったのでしょう。目の当たりにした現実は、私をくずおれさせるに充分な威力を持っていました。

 孫のいる子供を可愛がるというのは一般的なことだと思います。母もその”一般的なこと”をしているだけという認識なのでしょう。 
 しかし、妹と差に苦しめられた過去がある私にとって、その”一般的なこと”は、”私をまた除け者にした”と同義なのです。

 私を苦しめたこの家で、母は妹家族と楽しくやっていた。しかも姪っ子は私の子供の頃の顔とそっくり。そして、そんな姪っ子を可愛がる母。私が母のストレスの吐け口になっていたのは、私の顔が原因だったというのに…。
 加えて、金銭面でも差をつけられていたという事実。
 流石に金銭的なことは生々し過ぎるのでマンガでは一例しか記しませんでしたが、こちらも中々に心をズタズタにするものがありました。
 ありとあらゆる黒い感情が湧き上がってきました。「なんで…」が止まりませんでした。

 「母との関係は諦めて自分の人生を楽しみなさい」と医師は言います。医師の言うことはもっともで、希望などないと脳では理解しています。しかし心はそれを拒否し続けます。「報われないまま終わっていいの?」と。

 おそらく私がいなくなったら、母はまた妹たちと過ごすのでしょう。
 この現実を知ってしまっただけに、もはや自ら仲間外れになるようなことは、したくありません。

 「もういい大人なのにな」

 何故ここまで母の優しさを感じたいと執着してしまうのか。まるで呪いのようです。時の流れとともに過去も薄れて自然と消化していくのだろうと、そんな甘いことを考えていた時期もありました。
 しかしそんなことは決してありませんでした。あの頃の不快感は時が経つに従って際限なく増え続け、無遠慮にのし掛かってくるのです。心の傷は、”虐待を受けていている期間さえ耐え忍べば解放される”という訳ではありませんでした。想像以上に尾を引いて、どんどんとその重みを増していくのです。

 それでもなお、親子になりたいと固執する。
 愚かな行為だと理解しています。
 でも、頑固者の心は言うんです。「きっと、いつか」とー。


 今回のマンガは描き上げるのに苦労しました。色んな思いが溢れかえって、相当に時間がかかってしまいました。
 楽しくない内容で申し訳ないですが、読んでもらえたら嬉しいです。
 
 いつか、母と妹の関係、私と妹の関係も描けたらと思っています。
 これからも応援よろしくお願い致します。

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いつか母と仲良くなれたら、母と私と猫さんで旅行に行きたいと思っています。 野っ原をのんびりと散歩。 母との生活は始まったばかり。 夢は大きく、まだまだ諦めません^^