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自分の家族は自分が先ず守る

米連邦上院の司法委員会は1月31日、ソーシャルメディアにおける未成年保護をめぐり、SNS大手5社のトップを召喚した。SNS開発企業のトップクラスが招集され、SNSの影響で犠牲者を出した遺族の前で責め立てられ、謝罪を要求された。何度もアメリカはこのアクションをとっている。
ここまで来ると、単なるエンターテインメントの出来レースにしか見えない。
既にインターネットに潜む影の問題点は議論されて久しい。20年以上この繰り返しで、ザッカーバーグが悪者だ、TIKTOKが良くない、ビルゲイツに罪がある、アップルは欠陥品を売っているなどなど、まぁこれでもかと言うくらい、民衆は犯人作りに勤しんで、肝心な対策や規制は一切具現化していない。

SNS始めインターネットの影(マイナス)の影響は、初めから多くの者は認知していたし、多くのIT企業の経営者達は、自分の家族や子ども達には、SNSやゲームをさせていない。インターネットを開発しているもの達は、その光と影をきちんと認知して自制している。悲しいのはそれらの利便性や話題性に飛びつき、大騒ぎしている中で犠牲者を出してしまった者達である。

核というエネルギーを作り出した時に、新たなエネルギーが人類に大きな利益を生み出すと喜び騒いだ。現にそれが生み出している莫大な利益で社会は成り立っている。一方使い方を間違えて広島長崎で多くの犠牲者を生み出した。アメリカは核の開発者を招集し、悪用しない対策を怠ったと責め立て責任追求したのだろうか?車という便利な乗り物が生まれ、民衆は飛びつき買いまくり、そして同時に多くの人間が事故によって死んでいる。車を開発した人間達に、事故防止の対策を怠ったとして、責任追及をしたのか?コロナ以降出てきた新ワクチンに然り。mRNAワクチンの影響で、少ないとは言えない数の人間が死んでいる。その因果関係は証明できないとして、今は民衆はワクチン開発者へ怒りのベクトルを向けていないが、もし10年後思いも寄らない副作用が発覚し、それが新型ワクチンの影響による可能性が高いとなった瞬間、民衆はワクチン開発者を罪人扱いし始めるだろうか?

森羅万象、全てのものには良し悪しの価値観は存在しない。
良し悪しの価値観を生み出しているのは、人間である。
科学も新技術も医学も法律も、全て人間がそれをどう扱い使いこなすのか?そこで価値は初めて創出される。
勿論インターネット、SNSなどの使用環境や開発ポイントとして、制作者や国は作って売るだけで良いとは思わない。想定される負の価値が生まれにくい対策は、きちんと打ち出し、少しでも人間が犠牲を強いられないように真剣に議論し常に新たな対策改善へと進んでいくべきだと思う。それは絶対に歩みを止めてはいけない人間の責務と思っている。

しかし同時に、全てが他人任せ、全てを与えてもらえるの待っているだけの人間も自らを省みるべきだろう。インターネットやSNS関連の経営者達は、自分の子供にはSNSなど使わせていない。何故彼らにできて、あなたにできないのか?

企業が対策を怠ったから我が子供が犠牲になったと騒ぐ、公園の遊具を市がきちんと管理してないから我が子供が怪我をしたと叫ぶ、先生が真剣に子供を監視してなかったから我が子が怪我をしたと騒ぐ、勿論自分の家族が犠牲になれば、誰でも傷つき悲しみ怒りも覚えるだろう。だからと言って全てが他人のせいだと犯人作りに傾倒するは、中世の魔女狩り同様狂気であると思う。

バイクで時速150kmで走り、事故で子供が死んだ。何故バイクメーカーに「バイクに乗れば子供はスピードを出したがるのが普通だ!親は子供がバイクに乗る度に同乗して監視は不可能だ!何故メーカーはスピードが出ないように対策を打たないのか?何故時速200kmで走っても事故が起きない対策品を出さないのか?」と責め立てない???危険な製品を売るメーカーとして、対策を怠っている!と何故メーカーを訴えない?何故インターネットやSNSだけが、企業が悪いのか?
はっきり言って、車もバイクも時速60kmまでしかスピードが出ないように調整することは可能だし、実際にそうすれば利益も減るが事故死も大幅に減るだろう。何故民衆はそれをしないのか?乗り物が開発され普及しどれだけの年月が流れた?そしてどれだけの人数が事故によって死んでいった?そうとうの人数が犠牲になっているのに、乗り物に関してはインターネットのようの騒ぎにはならない。

三面記事的なネット投稿も全く同様。普段は面白かしく他人様の批評に飛びつき喜んでいるくせに、一旦悲劇が生まれるとなると手のひら返しで投稿者達を責め立てる。普段からそう言った投稿に飛び付かなければ、普段からワイドショーなど見なければ、そう言った存在も姿を消していく。つまりネット投稿もSNSもニーズを高めているのは、個々の使用者達であり、拍車をかけてそれらを広めている。なのに一旦問題が起きれば、他人事。自分には責任は無いような顔して、企業や個人を責め立てていく。その狂気を誰も省みもせず、物事の負の影響に対する対策や規制を強めたところで何ら効果は薄い。

ネットなどでの投稿の是非、SNSなどの影響の是非、そんなものは幾ら水掛け論の議論しても正解も解決策も生まれるわけもなく、使う側が先ず使い方を工夫していく必要性がある。投稿閲覧を自動的に子供は見れないようにするなどと、他力本願的な要望だけじゃ不十分、子供は興味あるものを隠れて規制の網を潜り抜けてくのが、いつの世の子供の自然な心理である。ダメだと言われれな余計にやりたくあなるのが、子供と言う存在だ。24時間監視なんてできない、いくら注意しても子供は言う事を聞かない、どうしろって言うんだと開き直る事しかできないような幼稚な親が増えた事自体大問題である。

多くの者達が自らの工夫や努力を怠り、自分の負担は軽減し、その分他人様へ負担を強いて、対策しろ改善しろと喚き散らしている。我が子の面倒さえ見ずに他人様へと預けて、施設が悪いと文句を言う。お金がないから共稼ぎを強いられ、仕方がなく子供を施設に入れるんだなどと反論する。まるで机がないから勉強できない、自分の個室がないから勉強できない、携帯ないから虐められる、SNSしないといじめられると喚き散らす子供と同様のレベルにしか見えない。

これからも様々な便利なものが生まれ、人間は飛びついていくだろう。その度に価値は光と影を同時に放ち、また一部の犠牲者は生まれるだろう。その繰り返しの日常で、個々の人間が先ず取るべき対応策は、自分の家族は自分が守ることだ。自分の子供は自分が育てる。自分の体は自分が守る。決して他人様を批判したり責め立てたりして、自分の正当性だけを訴え責任転嫁をする事ではない。
文句を並べ立てても、家族を守ることはできない。大変なんだよ、苦しんだよと、泣いて喚いて家族が守れると思っているなら、大きな間違いだ。

資本主義の原理原則としての側面に、物を作る事は罪にならない、物を売ることも罪にならない、それを悪用した時に初めて罪になると言う側面がある。それが資本主義である事を、よくよく認知しておいた方が、貴方の家族を守る事に繋がると思う。作るのも勝手(自由)、売るのも勝手(自由)、どう使いこなすかも消費者の勝手(自由)、その利己主義的な欲望が経済の原動力になっている事を、きちんと認知すべき。
当然、だからと言って、生産者や国が何も対策を打たなくて良いと言うことではなく、並行して想定し得る負の影響を減らす努力と改善の歩みは止めてはいけない。









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