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浪漫

浪漫という言葉の響き

感情的、理想的に物事をとらえること。夢や冒険などへの強いあこがれをもつこと。

明治大正昭和初期まで「貧しさが未来への希望」だったと思える。

途中戦争や内紛などの歴史も刻むが、概ね庶民の暮らしは「貧しさの中に浪漫」が生きている実感だったのでは無いかと思える。

「愛に生きて愛に死す」

「理想に生きて理想に死す」

「夢に生きて夢に死す」

文豪はじめ多くの芸術家などが愛情劇に生きて死んでいった時代

「貧しさは未来への希望」だった時代、日本人は多様性に満ちた寛容な社会に生きていたと思う。「生きる」とは希望であり、愛であり理念だった。

しかし、、、高度成長時代に入り、貧しさは苦痛や虚無感に変化した。

時代の変化を早めるが如く若者は愛だ自由だと叫んだが、その純粋な心の叫びは「貧しさ」に負け静かにフェードアウトしていった。

「愛じゃ飯は食えないよ」

「夢じゃ飯は食えない」

「もう若くないから」

三畳一間の小さな部屋で、温もりを確かめ合いながら抱き合った時間は過ぎ去り、小さな日常に自由を満喫していた楽しい時間は既にそこにはもうない。

「こんな暮らしはもう沢山だ」

「私は貴方がいればそれでいい、貧しさなんか気にしない」

男は窓際に座り遠くの空を見つめる。

女はその男の横顔を見つめる。走馬灯のように無邪気に笑い抱き合っていた頃の2人が脳裏に浮かぶ。それが幸せだと思っていた。

いつかしら男は苛立ちを感じ始める。

既に「貧しさは未来への希望」ではなくなった日本。

「愛はいつもいくつかの過ちに満たされている もし愛が美しいものならばそれはこの男と女がおかす過ちの美しさにほかならぬであろう そして愛がいつも涙で終るものなら それは愛がもともと涙の棲家だからだ」

「生きる」とは悲しい事だと知った者達が多くいた。

多くの者達は「浪漫」を捨て新たな未来へと羽ばたいた。

そして70年代多くの者達は口にした。

「経済的豊かさは本当に人間を幸せにするのだろうか?」

こんなに争いあって、寝ずに稼いで、愛も感じず、夢も捨て、笑う事も許されず何かを誤魔化すかのようにただただ労働に勤しむ。三畳一間のアパートは消え去り、綺麗なマンションに人々は暮らし始める。多くの若者は「自分探し」の旅に出た。

80年代立ち止まる暇もなく日本は駆け抜けた。あの頃の切ない思い出を胸に多くの者達は思った「これでいいんだよ」「仕方がないさ」日に日に手にする便利な暮らしを肯定的に捉え自分に言い聞かせるように多くの者達は言った。

自分探しにでた若者は「これでいいんだよ、きっと」その目は既に笑うことはなかった。凡そ100年前の日本「漠然とした不安」と共に死んでいった若者がいた。80年代の日本の若者はこの「ぼんやりとした不安」をそのまま受け止めた。

「そうさ、、きっとこれでいいのさ」と。

90年代バブルはハジける。勢いだけで幸福を感じていた多くの者達は貧しさとはかけ離れた世界にいた。一度手に入れた物は失いたくない。拡大成長が望めないとなった以上、失う方を抑えるしかない。リスク回避が賢さと呼ばれた。

目立たず騒がずジッと息を殺し、失うものを少しでも減らす、余計な火の粉は絶対に被らない、人々は隙間を縫うように生き始める。「生きる」とは今を失わない事だと口にした。

ミレニアム。時代はデジタルの世界へと突入した。アナログな曖昧さは悪と時代は叫ぶ。明治時代、昭和初期に「夢」と呼ばれていた物が社会に現れ始めた。テクノロジーは刺激を人間に与え始めた。世界中を繋げ忙しく語り始めた。人々は画面に向かって会話を始めた。

間も無く車は空を飛び、映像は宙に映し出されるだろう。

人間は何処に向かっているんだろうか?

2021年「生きる」とはどう言う意味になったのだろうか?

「生きる意味がわからない」と言う若者が増えているという。

「愛は大切だよね」と口にする若者も多いという。

100年前、貧しい日本へ来た多くの外国人が共通して書き残した事がある

「我々は豊で文明的でプライバシーの概念がある社会に住んでいるが、こんなに貧しくプライバシーの概念も持たない日本人が見せる笑顔に胸を打たれるのは何故か?」

「男も女も子供もお構いなく裸で一緒に風呂に入るような野蛮な日本人が、なぜこんなにも賢く、自律し、真面目に笑顔でいられるのだろうか?」

「我々が思っている豊かさの根底が崩れ去る音がする」そう当時の外国人は記録している。

明治から昭和初期まで間違いなく「貧しさが未来への希望」だった日本で「生きる」とは「夢」「愛」「理想」「理念」「希望」だった。

高度成長時代へ突入し日本人にとっての「生きる」とは「悲しいこと」という現実に変化した。失った何かを求める様に自分探しの旅に出た日本人。その答えをわかる事もなく時代に生きた日本の若者達。

80年代後半からミレニアまで日本における「生きる」とは「リスク回避」と言う呼び名に変わった。既に日本人の心にある「幸福」の姿は大きく変化した。過去に日本人が「失ったもの」と探し続けた「もの」の影はそこには既に無い。

愛に生きるには勇気が無い、夢に生きるには希望がないと言いながら、それでもどこかそれらを捨てきれない自分たちがいる。

「生きる」って言うことはそんなんじゃないと心が叫ぶ。

「生きる」ってなんなんだよ、、、、。

十人十色、みんな違ってそれでいい。

「生きる」ってことは無限の色形があるんだろう。

デジタル世界へ突入した現代「死」ですら何を指すのか解らなくなる。

「死」が解らない現代「生きる」ことは当然解らない。

私は今でも温もりの中に生きている。時代を追い掛けなかった生き方は、多くの者の目には「愚か」に映ったことだろう。私が出会った人々は「貴方だけは変わらずにいてね」と言った。時代と言う歴史の中で変わらずに生きるのも、変化を繰り返して生きるのも、色んな生き方があり其々が人生の中で生きている。

「生きる」とは意味もあり意味もなく、悲しいことでもあり楽しいことでもあり、限りなくブルーに近い透明でもあり、藍よりも青い。人間が生きていく以上いつの世も誰もが思い悩むテーマである。

人間の一生なんてものは本当に短い。例え100歳だろうが120歳だろうが悠久の流れに比べれば瞬きの時間。

どんな生き方をしてもいいから、、、「笑顔」でいて欲しいと心から願う。

パンドラがゼウスからの受け取った箱を開けた時、多くの災難が世界へ飛び出したと言う。そしてたった一つ最後にはこの中に残った物は、、、、、

「希望」だった。

昔日本は「貧しさが希望」だった時代がある。

そして今でも私はその温もりを持ったまま生きている。

愛だけでは美味しい食事も贅沢な暮らしは得られないだろう。

でも愛の無い贅沢な暮らしは自分にとって虚しさしか生まなかった。

愛に満ち足りていれば寒さも浪漫に変わる。

愛に満ち足りていれば贅沢できなくても笑顔は絶えない。

愛に飢え愛を求め愛に生きて愛に死んでいく。

21世紀の今日も120年前の日本人と同様に生きている日本人もいる。





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