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PLAN75

75歳以上の高齢者を対象に、国の支援のもとで安らかな最期を迎えるという、いわゆる安楽死の権利を認め、支援する制度
このプランが国会で可決されていますね。
来年には、5人に1人が75歳以上の方が占めると言われています。若い世代から、高齢者への国家予算支出は無駄だと言う声に応えての国の回答なんでしょうか?これを取り上げた映画も話題とされましたが、日本国内では然程大事な問題とは思われていない様に見えますね。

年金の現実を見ても、実際には70歳過ぎまで就労しなければ生活ができない様な現実も多々伺えます。70歳過ぎまで就労し75歳になったら、国家財政を鑑みてお国のために、面倒かけるお宅の家族の為に、老人よ死ぬ権利を積極的に検討してねと言っている様に感じます。コロナ以降海外では時に、日本は人命より経済優先と揶揄されることがありますが、こう言った現実を見ていても確かに感じます。

このブログで何度か書いていますが、人間には生きる権利があるように、誰にも死ぬ権利も同時に存在すべきと書いてきています。それは年齢人種宗教問わず全員です。不治の病で苦しんでいる人も、心が傷つつき苦しんでいる若者も、さまざまな思いで生きる事を止めたいと思う個人の自由意志は、基本的には尊重されるべき事だと個人的にも思っています。

しかしこのプラン75は、75歳以上の老人だけを対象としています。まさにこれは年齢による差別じゃないでしょうか?死ぬ権利を認めるなら、対象は年齢制限など付ける必要はないと思いますね。昔、士農工商と言われた時代は、きっと経済優先の社会価値観は弱かった、もしくはそうならない様に抑制されていたんだと思います。それが戦後多くを失くし、貧しくなった日本は、それを取り戻すかの様に我武者羅に労働しバブルを迎えるまで経済を復活させました。
そしていつしか、お金が全ての優先事項と意識が植え付けられ、言いたくもない事を言い、やりたくたくも無い事をやって、自らの感情を殺して、目の前の生活維持を最優先として生きている。
そして「仕方がないよね」「現実だよね」と自らも周囲に対しても、みんながみんなが言い聞かせて生きている。そのストレスが又、社会に多くの副作用を及ぼしている。非常に殺伐とした社会に見える時があります。目の前の生活や今の自分の価値観を変えられるのも人間ですよ!

お金さえ、経済的に裕福になった者だけが勝者の様な、画一的に正解は一つと思い込み、疲れた精神を引きずって生きている様に見えます。

勿論、経済至上主義が不正解でも悪でもありませんね。それはあくまで一つの選択肢です。そこが忘れられているんじゃないかと思います。
老人に向かって「はよ、死んでくれ」と思うのも個人の自由意思です。歴史を見ても実際に親を捨てて生き抜いてきた人間の歴史は存在します。決して老人を捨てると言う側面だけはないですね。戦争だって我が子に向かって死んでこいと言ったわけですから。人間という動物は、いつだってそう言う思考をもって、行動をとって生き抜いてきているわけです。窮地に追い込まれた感じが増すと、人間は社会の中に疑心暗鬼や憎悪を増す特徴があります。追い込まれたら誰もがそうなるわけです。

ですので、留意すべき点、普段から心がける点は、自らを追い込まない事だと思います。経済至上主義はあくまで選択肢の一つでしかないのです。一つの失恋は、たった一つの選択肢なんです。目の前の挫折も悲しみも、全てそれは貴方の人生において、一つの選択肢であり、時には本人の自由意志は無視され、強制的にその選択しかできない環境に陥ることもあるけど、それだってその瞬間のことであり、今後の選択肢は幾つでも作って行くことは可能です。勿論全てが人間の思うようになるとは言いません。我々がどんなに願っても、頼んでも、思い通りにならない事はたくさんあります。しかしそれもあくまで、選択肢の一つなんです。自分で選べるか選べないかの違いなだけです。

今悲しい老後を過ごされている方も、今後虚しい時間が訪れるかもしれない高齢者の方も、逆にまだまだ経験不足なのに、これ以上無理だと限界に打ちひしがれてしまう若い人でも、多くの責任を背負い、これ以上自分では無理だと人知れず涙に明け暮れている人も、目の前の現実はあくまで選択肢の一つである事を思い出して欲しいと思います。
正解は一つじゃ無いですよ。正解は無数にあるんです。貴方にとっての正解は、貴方が作れば良いんです。周囲と違う、周囲の波に乗れない、それは思い悩まなくていいんです。時に嫌なことから逃げて、怖いことから逃げれば良いんです。そして元気になったら今度は逃げずに挑戦してもいいんですよ。友達を全部変えてみるのもいいんじゃないですか?家族が嫌いなら、好きになれる誰かを探してみましょうよ。親が自分の負担になると感じたら、一旦逃げてみるのも良いかも知れませんよ。誰かに相談してみるの良いかも知れません、もしそれができるなら。音楽を聴いてみるのも良いかも知れませんね。

忘れないで欲しい事は、目の前の現実は色んな選択肢がある中での一つだって事です。自分を閉じ込め追い込んでいけば、疑心暗鬼を生み出し、妬み恨みが増していき、終いには周囲を傷つけるか、自分を傷つけるかと言ったような決断に追い込まれます。自分を追いこまなないように、留意しながら生きて欲しいと思います。

人間の死ぬ権利の是非なんて議論しても、正解はあってないようなもの。
当然、法や決まりで管理できるものでありません。
当然、国家や他人様から強制的に言われることでもないのです。
正解は何か?なんて議論しても然程意味はないのです。
貴方が思う分だけ、多くの人が多くのことを考える分だけの正解があるんですから!!大勢が賛同するからそれが正解ってないでしょ?大勢が賛同して殺戮を繰り返すのが戦争ですよ?戦争が正解なんて最終的には、ほとんどが願わないですよ。怖いのは集団に流されることです。過去の戦争などの反省を見れば、怖いのは自然となんとなく、その方向へ向かってしまった。NOと言えなかった。とよく見聞きします。何となくの無自覚の流れが、終いには極度の不安を生み出し、追い込まれていく人間と言う動物。

少子化、老人の増加、収入格差、様々な経済的負担や不安が増していきますが、大事なことは貴方の正解は貴方が作る事です。たとえそれが周囲と違ってもいいんです。周囲と違うという事だけで、自分を追い込まないで欲しいですね。
周囲の雰囲気に流されて、知らぬ間に不安や恐怖に巻き込まれていくことが、最も恐ることです。ヤバいなと感じたら一呼吸して、誰かと語り合ったり、音楽を聴いたり、スポーツしたり、そしてその後でよく考えることです。考えて考えて自分なりの正解を見つけて、自ら選択していくことです。




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