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犯罪、事件、

多くの犯罪者が逮捕され、徐々に様々な情報が収集され、いつも共通して上がってくる事実は、犯人の家庭環境、犯人の置かれた現状、犯人が狂気に至って行った過程、つまり「孤独」

社会との繋がりが少なく、思い込みが強化していき、被害妄想的に狂気が個人を支配し、狂った正義が正当化を促し、大きな犯罪へと繋がっているケースが多い。

この背景から、犯罪者を切り捨てるのではなく、更生させる思考が存在する。

人間は誰でも潜在的犯罪者であると言える。

この潜在的犯罪者を本当の犯罪者にさせないよう防御策をうつ。

万引きし難い環境を作る。空き巣が出来難い環境を作る。地域で声を掛け合い地域の安全を高める。個人を孤立させず色んな繋がりを維持して行くように務める。

人間社会には理不尽な事象が転がっている。純粋無垢な人間が、裏切り、騙し、搾取、いじめ、無視、策略など思いもよらない事実に遭遇し続ければ、優しい愛情は狂気へと変化する。映画ジョーカーなどが取り上げている「日常の無関心」「日常の悪戯」「日常の無知」である。

現代社会は「小さな親切大きなお世話」の時代を通り過ぎて「リスク回避」余計な事には首を突っ込まない。余計な事は言わないしない聞かない。見ざる聞かざる言わざるの時代。増して自分の生活維持で精一杯、他人の事などかまっている余裕はない。自分の権利。どんどんと社会は「お節介時代」から「すり抜けの時代」に拍車をかけている。つまり社会との繋がりを持つことが悪になっている。

無関心、無知、触らぬ神に祟りなしが生き延びる便利な術と化している。

だって「人それぞれだから」「だってその人の権利だし」「余計な事と言われるし」つまり「面倒くさい」手間暇かけて関わっている余裕なんかないということ。社会的繋がりを「面倒」とジャッジしている現代。

時代は短略化、簡素化、見える可、効率重視、スピードの時代。

人間同士のつながりの範囲は狭くなり広がる。手間暇かかるような密度のある範囲は小さくなり、あっさりとしたサクッと繋がる範囲は異常に広がる。

SNSなどでの広範囲な関係づくり。それは浅く広く。一方的な情報の提供。食事風景や旅行状況をバンバンアップして自身のプライベートを無数の人間と共有しネット上での会話が「人の繋がり」と化している。相手の顔を見る事もなく、息遣いも聞く事もなく、一方的なコミュニケーション。

買い物も同様、行ったこともない店から、行った事もない国からネットのクリック一つで簡単に物が入手できる。店員と話す事もない。店を訪問するために移動することもない。

ちょっと前まで「繋がり」という言葉には「温もり」「息遣い」と言ったものが含まれていたと思う。今は側にいなくても「繋がっている」

確かに非常に便利な側面もあるが、人間同士の繋がりとみた場合、手軽で一定の距離感を保った関係に思える。肩を抱き合う事もない。握手する事もない。頬を撫でる事もなく画面の向こうの笑顔と無言の会話を繰り返す。

それが「悪」とは全く思わないが、孤独は都会の雑踏中にあり、深夜のテレビの中にある孤独もある。孤独とは決して人里離れた山中だけにあるわけじゃない。孤独は集団の中にある孤独もある。今年話題になったジョーカーも大都会にいる若者だ。近年テロや無差別な殺人などを起こしている人物たちも都会に住んでいる人間たち。そして彼らは「孤独」に押しつぶされたと叫ぶ。

人間は動物である。

決して言葉もかけない、決して同調もしないが、ただ側にいて肩を抱く、頬を撫でる、涙を拭う、指に触れる、そう言った繋がりが人間と言う動物の心を和ませ、穏やかにし、狂気への扉を開けずに済む布石となる。

突然の若者の自殺。誰かが側にいて歌を口ずさむ、手を握る、肩を抱き寄せる、髪を撫でてやる事を普段できていたら、きっと孤独に押しつぶされる事もなくいつもの様に「繰り返し」の日常を紡げたかもしれない。

繋がりとは「触れ合う」「息遣いを感じる」と言った側面も維持しなければいけない。無数のサクッとした関係も否定はしない。今時の繋がりも時に便利で時に安らぐ事も事実だからだ。しかしその一方で偏ってはいけない。温もりが欲しいのが人間なんだ。不倫が絶えないのはそう言う側面もある。動物だもの、人間だもの。理屈じゃない愛がある。理屈じゃない想いがある。理屈じゃない身体が求める。

手間がかかり、面倒で、気を使い、時に苛つき、時に重荷になる「触れ合う繋がり」

面倒だから温かい。気を使うから気付く。イラつくから恋しい。重荷になるから大切になっていく。

日々悲惨な事件を人間は生み出す。潜在的犯罪者である我々は、一人じゃ生きていけない。

何も語らず、、

ただ側にいて、、

肩を抱いてあげたい、、

君と繋がっていたい

たとえ君が怒っていても、イラついていても、

ただ側にいて、、

手に触れていたい、、、

声をかけてあげたい、、

君にとっては邪魔かもしれない

君にとっては余計なお世話かもしれない

君にとっては面倒なことかもしれない

それでも、常に側にいて

僕は君を見ていたい

僕は君に触れていたい

だって君は大切な友達なんだ、、

だって君は僕たちの仲間なんだ

だって君はもう僕の人生の中に入り込んでいる

「おはようございます」

「よくお見かけしますね」

「今夜は遅かった様ですね」

「この間、街でお見かけしましたよ」

「お元気ですか?」

「こんばんは」

「おやすみなさい」

そう言った言葉が町中に溢れ出したらいいのに

犯罪を防ぐには、そう言った温もりが町中に溢れ出させる事

潜在的犯罪者を狂気に導かぬ様、温もりが町中に必要と思う。

人間は動物なんだ、誰もが潜在的犯罪者。

天使にも悪魔にもなる。

優しく穏やかに振る舞う事も、攻撃的で威圧感を持って振る舞う事もできる。

そう言った人間と言う動物の心を穏やかに慰めてくれるのは

温もりが一番だと思う。

息遣いが聞こえる温もりが、、、

一言も語らずに、側にいて、肩を抱いて、指に触れ、、、そっと、、


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