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全ての生き辛さを抱える人たちに贈る花

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やっと、最後のワンピースがはまった感が得られた。私は、今流行の繊細さん(HSP)ではないかと思っていたけれど、それにしては根性図太いしと、やや疑っていました。

なんてことはなかった。ADHDだったのだから(笑)。夫に言ったら、「え?知らなかったの?」と。なんだ、周りは知っていたのか…ウケるんですけど〜!

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(画像は昨日の生徒作品)

甥っ子は誰が見ても生粋のADHDで、両親は大変だなあなんて、上段から構えていたけれど、思い起こせば、私も両親には苦労かけっぱなしだったなあと。

どうして自分は人と同じことができないのか、随分悩んだこともありました。本当はいじめられたのに、母からは「目には目を」とハムラビ法典式教育を受け、やり返したら腕力が強い私の方がいじめっ子扱いされてしまったり…と、どうにも周りと協調することが苦手だったのでした。

今思えば、突発的にフランス語も話せないままパリへ単身で渡ったこともそうでしょう。「なぜパリへ行くの?」と人は聞いたけれど、その質問の意味が私にはわからなかった。

そして、どうして周りの人たちは私に「なぜ?」といつも理由を聞くのだろうか、そんなに理解不能なの?と思っていました。

なんとなく、自分は日本社会に馴染めないのかもしれないと、ずっと思っていて、新しい世界が待っているかもしれない!とパリ行きを決めた。

求めよさらば与えられん。その新しい扉は開かれ、私は自分が生きる世界を得ることができた。なんて自由で素晴らしいのだ!と。

子供の頃からずっと、叱られてばかりいたから、叱られている子供を見るのが今でも辛い。子供の花のクラスを始めたのも、勉強以外の時間を花で満たしてあげたいと思ったのかもしれません。

そして、レッスンに来る生徒さんたちに、ダメ出しはしない方針でいるのは、欠点なんてないと、全てを肯定したいからです。

オリジナリティにずっとこだわり続けてきたのは、自分自身を肯定したいと願い続けて生きてきたからなのだとようやくわかった。

ちゃんとしようと、結構頑張って克服してきたこともあったけれど、そんな無駄なエネルギー使うことなかったんだなあ…自分を肯定できればそんな遠回りする必要ないのですから。

もっと言えば、欠点と思えることにこそ、その人の宝が隠されている。そこを磨くからオリジナリティーが輝くのだと確信しています。

全ての生き辛さを感じている人たちに、花を贈りたい気持ちです。人生って素晴らしい!

リリー


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