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欲望の取説

「秋をいっぱい盛り込んだ作品」

そろそろ夏に飽きて、秋の花が恋しい頃となりました。
夏休みが終わった子や、来週から新学期という小学生がワイワイ集まる"こどもみらい塾"のフラワークラス。

「K君の花いけスタイル」

ヤンチャなK君だけれど、後ろ姿は可愛らしいねえ〜。花いけの時は必ず正座する子ども侍(笑)。

私の勝手な主観ですが、なんだかんだ言っても日本の子供はお行儀が良いです。日本人のDNAというものなのでしょうか。

日本の大切な宝です。
大人はその宝を守り育てる責任があります。

DNAと言えば、ジェンダーの問題に関して、今の小学生はとても敏感です。性差別的な表現をしないという教育がなされていますから。うっかり「男の子でしょ!」なんてこちらも言えません。

決めつけるのは良くないけれど、しかし、持って生まれた性(さが)には抗えないのが人間。

散々騒いで、暴れる様に花を生けていた男の子が、お迎えに来たママに、余った花材で作った小さなブーケを「はいこれ」と、渡したその横顔が男のそれだったんですよね。。ちょっとドキリとしました。

女の子たちは、余った花を髪にさして飾る事に熱心だったり。そこに「なぜ?」なんて理由はないんです。そういう性だから。

大人になると人目を気にして封印してしまうことが増えて行きます。人の意見に傷つきたくなかったり、周りと価値観が合わない事に不安を覚えたり、そうして本音を闇へ葬ってしまうこともあるでしょう。

でも持って生まれた性はそう容易く消えない。苦しみはその闇の中から生まれてきます。

「自由な表現を遊ぶ子供たちの作品」

私は”純文学”には全く興味がありませんでした。谷崎潤一郎の本は、母の独断と偏見により(?)我が家にはなかったし。。

母曰く「単なる変態」だそうです(笑)。ただ、大人になってから私が触れた谷崎の世界は変態でなければ築けないバベルの塔の様に思われました。

人が抱く欲望を汚らわしくするのはやはり人です。そして、屈折した欲望ほど恐ろしいものはない。

もっと自分の欲望に心を開いて、女の子たちが花を髪に挿す様に楽しめれば、その欲望はもっと強くなりやがてその人の信念となって人生を支えてくれるでしょう。

大衆文学が純文学へ昇華していく過程も同じことだと思います。芸術とはそういうものです。

芸術鑑賞とは、自分の欲望を明らかにする為にあるのです。
そして、素直にその欲望を受け入れて、ストレスに晒さないこと。

9月の「文学と花講座」は、谷崎潤一郎の「刺青」を取り上げます。稲垣麻由美先生の独自の視点から谷崎ワールドを読み解いてまいります。

この初版本の装丁も怪しく美しく…興味深いところです。

お楽しみに!


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