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引き込まれるのも癒されるのも、いつもコーヒーだったから【part1】~佐藤昂太バリスタインタビュー

インタビュー連載、4人目のゲストはバリスタの佐藤昂太さん。東京スカイツリーの麓にある アンリミテッド・コーヒー・バー( unlimited coffee bar )で佐藤さんに出逢ったのは、約3年半前の2016年秋。淹れてくれたコーヒーのクリアな美味しさに衝撃を受け、「どうしたらこんなコーヒーが淹れられるんだろう?」と思っていたところ、その年のジャパン・ハンドドリップ・チャンピオン( Japan HandDrip Champion )と知って納得。

2019年春に dotcom space tokyo に移籍して、コーヒーのクオリティコントロールとヘッドバリスタを務める傍ら、自身のblogやyoutubeでコーヒーに関する情報発信を始められました。

コーヒーに対する愛と向上心はそのままに、新しい道を切り開きながら変化していく佐藤さんに、コーヒーとの出会いから、これから進んでいこうとしている方向までをじっくり聞いていきます。(全4回)

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佐藤昂太(さとう・こうた)
1988年、茨城県に生まれる。学生時代にタリーズでアルバイトをしたのがきっかけでコーヒーの道を志す。身体を壊して一旦は諦めるが、コーヒーへの興味は消えず、再びバリスタに。2016年ジャパン・ハンドドリップ・チャンピオンシップ(JHDC)で初出場で優勝に輝く。現在、dotcom space tokyo のクオリティコントロールとヘッドバリスタを務めながら、自身のblogやyoutubeでコーヒーに関する情報を発信している。

コーヒーの美味しさに初めて感動したのは、イタリアンバールのカプチーノ

--- unlimited coffee bar で初めて佐藤さんにコーヒーを淹れてもらってから、もう3年半なんですよね。お店に行く度にコーヒーのことを色々教えていただいてありがとうございました。

そんなになりますか。早いですよね。聞いてもらえるのは嬉しいので、こちらこそありがとうございました。

--- とてもストイックにコーヒーに打ち込んでおられますが、そもそもコーヒーを好きになったきっかけは何だったんですか?ご両親がコーヒーがお好きだったんですか?

いいえ、両親は特にコーヒー好きというわけではなく、今でもコーヒーのテイストに全然拘りはないんですよね。考えてみると、大学生になるまでは積極的にコーヒーを飲む機会はありませんでしたね。中学生の時は、茨城でよく販売されているマックス・コーヒー(*1)っていうのを飲んでました。でも、コーヒ―を飲んでる感じではなかったですね。練乳が入っているめちゃくちゃ甘いものなので。

*1) マックスコーヒ: コカ・コーラボトラーズが展開する「ジョージア マックスコーヒー」。全国展開されたのは2009年だが、茨城県では1975年から発売されていた。

高校に入ってからドトールなどに行くようになりましたけど、コーヒーを飲みに行っているわけではないので、ブラックではなくて、ミルクや甘いのが入っているものを飲んでました。

--- 初めて「コーヒーって美味しいな」と思ったのはどんなコーヒーだったんですか?

大学生の時にイタリアンバールで飲んだカプチーノですね。その頃、タリーズでアルバイトをしていて、マネージャーがイタリアンバールに連れて行ってくれたんです。12年くらい前になりますけど、その時のバリスタの一番上っていうと、Bar Del Sole横山千尋さん。当時、コーヒーはイタリアンバールの文化だったんですよ。COFFEE HOUSE NISHIYA の西谷恭平さんもバールで働かれてました。

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--- タリーズでアルバイトを始めた理由はコーヒーが好きだったからではないんですね。

違いますね。全然かっこよくないんですけど、最初のアルバイトはスーパーのレジだったんです。時給がよかったんでやってみました。でも、そんなに面白くないなと思ってしまったんですよね。それに比べて、カフェのバイトは接客とかも楽しそうだし、充実してそうに見えました。自分も成長できて、いいモティベーションで働けそうだし、ドリンク作るのもやってみたかったので、タリーズに移りました。

コーヒーに引き込まれて大学を中退

--- 大学は東京だったんですか?何を専攻していたんですか?

はい、首都大学東京というところで、専攻は化学でした。

--- なんかわかる気がします。抽出方法を変えながらのコーヒーの味の検証とか、化学実験に似てますよね。

そうかもしれませんね。

--- タリーズに入って、コーヒー面白いなって思ったんですね。

そうですね。当時のマネージャーが凄い仕事ができる人で、ドリンクづくりも上手いし、所作も綺麗だったんです。バリスタという仕事に拘りがあって、最初に話したようにイタリアンバールに連れていってくれたりしてました。一緒に働くうちに自然と尊敬するようになり、バリスタの面白さに惹かれていきました。

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--- タリーズにはどれくらいいたんですか?

タリーズにいたのは、だいたい2年ぐらいですね。

--- 卒業まで?

いや、違うんですよ。タリーズで働いて、僕、それで大学を辞めているんです。

--- え?何故?もうコーヒーで生きていこう、化学はいいや?

そうですね。コーヒーにとても深くはまって、もうコーヒーやろうって感じです。自分でどんどんスキルや知識をつけて起業しようかな、みたいな。

--- お、凄い。

そういう風な気持ちで辞めましたね、大学。

--- 起業しようと思った時はどういう業態を考えていたんですか?カフェなのか、ロースターなのか、あるいは貿易とか?

カフェですね。その当時は情報も少なかったし、聞けた範囲でのいろんな人の話や集められた情報だと、お店持つっていう流れが多かったんですよね。自分も若かったし浅はかだったんで、情報聞いたら、それがいいんじゃないかと思ってしまうので、お店で起業しようと思ってました。

--- その当時だとそうなりますよね。

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頑張りがセーブできず、心身をやられてリタイア

--- それで、大学を辞めて、どうしたんですか?

個人店に行きました。その店舗自体がそんなに長く続いてないんで調べても名前も出てこないような店舗ですけど、マルゾッコのエスプレッソマシンを置いて本格的なコーヒーを提供するところでした。そこでオープニングスタッフを募集してたんです。バリスタとしてさらにステップアップしたいと思っていたので、受けて入りました。

1年間そこで働いたんですけど、そこからですね。ちょっといろいろあったというか…。

--- いろいろ?

1年経った時に、体調悪くしたんですよね。普通のちょっと体調崩したというものじゃなくて、かなり崩したんで、もう辞めざるを得なかった。

--- あぁ、それは過労とか、メンタルとか…。

そうですね、症状でいうと、自律神経失調症みたいな感じだと思います。元々、そんなに身体が強くないというのもありましたし、大学辞めてコーヒーの仕事やった時に、頑張ろうという意識が凄く強いから制限ができないみたいになって。

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体調悪い、体調悪いなって感じつつも、いや頑張んなきゃいけないって思って、どう頑張るか、さらにどうやってコーヒーを美味しくするかみたいことを常に考えて。でもその体の状態ではうまくいかないですよね。

そこで休めばいいんだけど、そういう感覚がわかんなくて。

--- 経験がないとわからないですよね。特に若いうちはある程度無理がきいてしまうし。

大学も辞めたからというのもあったし、若いうちに頑張ってどうにかしたい、という想いがやっぱりあって、その体調悪い中、ずっとやってて…ですね。

なので、完全に崩した状態になって、コーヒーの仕事ができないんじゃなくて、働くこと自体が無理になってしまいました。

カフェで仕事していても、立っていられなくて座り込んじゃう。頭も凄く痛いし、気持ち悪いし、吐いちゃってトイレから出てこれなくなっちゃうほどで。もう無理だと感じました。

その時に、落ちるとろこまで落ちたんですよね。身体もそうですし、同時にメンタルも落ちていきました。身体の症状的には自律神経失調症、メンタル的には鬱みたいな感じになってました。それで、仕事を辞めて実家に帰ったのが、ちょうど2011年でしたね。

写真: Ikuko Takahashi
撮影協力: dotcom space tokyo

続きはこちら >>> 【part2

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