引き込まれるのも癒されるのも、いつもコーヒーだったから【part2】~佐藤昂太バリスタインタビュー
ジャパン・ハンドドリップ・チャンピオン2016 佐藤昂太バリスタのインタビューpart2。
part1 では、学生時代にコーヒーの魅力に憑りつかれ中退してバリスタの道を志すも、心身を壊してしまい、止むなくリタイアして茨城の実家に戻ったところまでをうかがいました。
part2 は、静養から復帰して、またコーヒーの道に戻るまでのお話です。
佐藤昂太(さとう・こうた)
1988年、茨城県に生まれる。学生時代にタリーズでアルバイトをしたのがきっかけでコーヒーの道を志す。身体を壊して一旦は諦めるが、コーヒーへの興味は消えず、再びバリスタに。2016年ジャパン・ハンドドリップ・チャンピオンシップ(JHDC)で初出場で優勝に輝く。現在、dotcom space tokyo のクオリティコントロールとヘッドバリスタを務めながら、自身のblogやyoutubeでコーヒーに関する情報を発信している。
コーヒーは人生を賭けるものから趣味に変わった
--- どれくらいご実家で静養されてたんですか?
多分、半年か1年くらいした時にはアルバイトを始めましたけど、完全にフルタイムの仕事に復帰できたのは2,3年後ですね。
--- フルタイムで復帰した時は、どんな仕事だったんですか?
その時は、工場で封筒を作る仕事でした。
--- もうコーヒーの仕事は断念するつもりだったんですか?
コーヒーは断念というか、自分の興味がコーヒーには自然といかなくなって、趣味くらいになりましたね。
静養に入った時はコーヒーはもうできなくなっちゃったし、飲めもしない状態になって、何もすることがないから、向かうのが自分の身体と心しかない。だから、どうすれば身体と心がちょっとよくなるかばっかり考えてました。
そういうことばっかり考えてたんで、その2年間くらいはコーヒーには前のような強い興味は持たなくなってたんです。
2年経ってフルタイムの仕事に復帰した頃からは、休日などにちょっとコーヒーを楽しむようになりました。茨城県だったんで、スペシャルティコーヒーを飲めるお店は少なくて、ひたちなか市のサザコーヒーなど、家から少し遠いお店にも行ける時は行きました。そこでエスプレッソ飲んでくるとか、そんな感じです。
全快の手ごたえを感じて、次のステップへ
--- 封筒を作る工場に入ったのは何か追求したい新しいことがあるからというよりは、フルタイムで復帰してみなくちゃっていうことだったんですか?
それもありますし、25歳になる年で、年齢的にもそろそろフルタイムの仕事に復帰して正社員になんないと、みたいなプレッシャーがありましたね。親からも、「今後どうするの?」などと言われますし。
その封筒の会社は未経験でも正社員で採用してくれたし、しっかりした会社という感じだったんでやってみようと思いました。
--- 入社した時点では全快してたんですか?
「これで全快!」という明確な基準のあるものではないので、入社した時はまだそこまでは思えていませんでしたね。その会社で1年、フルタイムでずっと続けられた時に、「フルタイムで働けている」という意味では全快はしたと思いました。
--- やっていけそうと思えたんですね。
そうなんですけど、そこでまた考えたんです。フルタイムで仕事をするってことは、1日の殆どの時間をそれに費やすことになる。このままこれを仕事にしてずっとやり続けて会社の中で出世していくのがほんとにいいのか、それともなんか違う人生があるのか。
そこで改めて考えて辿り着いたのは、「また東京に出て自分が最も興味が持てることをやりたい」という想いでした。そして、封筒の仕事をしながら週末に東京に行って転職活動をする日々が始まりました。
「結局、コーヒーだよね」
--- その時は、「やっぱりコーヒーの仕事がしたい」と思って、コーヒー関係の仕事を探したんですか?
最初っから「絶対、コーヒー」と決めていたわけではないけど、結局はコーヒーの仕事しか受けませんでした。
「転職活動しよう」ってなった時に、25,6歳になってたんですよね。その当時は今とはまだ時代の流れが違っていて、何かしら経験がないと厳しかった。今だと、「20代後半だったら全然なんでもありでしょ」、「未経験でもチャレンジしたらいいじゃん」みたいな流れですけど。
--- 未経験で応募できるところが少なかったんですね。
はい。全くなくはないけど、それなりの待遇になるのは結構厳しい感じでした。自分に経験があるのは、封筒以外にはコーヒーしかない。
それに、自分が仕事に復帰してから癒されたのがやっぱりコーヒーだったし、結局、休日、何を楽しみに出かけるかっていうと、やっぱりコーヒーだったんですよね。
封筒の仕事をやってて、仕事きついなってなった時に、朝、エスプレッソマシンでアメリカ―ノを作って水筒に入れて持って行ってたんです。正直、結構、仕事きつくて、現実逃避じゃないですけど、そのコーヒーを飲む瞬間だけちょっと満たされるみたいな(笑)
--- 工場の仕事のどういうところがきつかったんですか?
今、改めて思うと、かなりハードな肉体労働でしたし、危険と隣り合わせに感じる部分もありました。高速で回っている大型の機械をネジをいじったりして調整する仕事なんですよね。常に集中していないと、危ないし、音とかも凄いんですよ。そういう機械が幾つも並んでいるから、常に「ゴゴゴ、ゴー!」って音がしている中にいました。封筒につけるノリやインクも凄くて、それを洗うのもなかなか大変な仕事でした。
その時にコーヒーで癒されてたし、前の名残もあってコーヒーの味をとるのが凄く好きで。またコーヒーが飲めるようになってからは、コーヒー飲んで「あ、今日はこういう味だな」とか思うのが、楽しいし、癒しだったんです。
転職活動する時、やっぱり仕事を長時間やるんだったら、自分が一番興味あることをやりたいなって思ったから、結局、受けたところは全部コーヒーです。
レストランなどでも、コーヒーがあってバリスタの募集があるところに絞ってました。正直、他のことをがっつり専門でやるっていう気持ちになれなかったですね。同じ飲食でも、例えば、今からシェフになるとか、思えなかったんですよね。
--- コーヒーなら、がっつり専門でやるって思えたんですね。
はい。
フルタイムの仕事に復帰する時は割り切って、コーヒーじゃなくていいと思って、封筒の仕事を始めました。でも、蓋を開けてみたら、「結局、コーヒーだよね」っていうのは多分親から見ても友達から見ても、明らかだったと思います(笑)
--- 回り道をしたことで、ほんとうにやりたいことがはっきりした?
そうですね。静養していた時、いい意味で一回内に入れたんで、僕の人生の中では結果的には凄くよかったと思っています。
東京のカフェのアルバイトでコーヒーに戻る
--- それでバリスタの求人だけに応募したんですね。
そうです。それで、最初は正社員の仕事を探しました。封筒の仕事は正社員でしたし、親からも「次も絶対正社員にしなさい」って、言われて(笑) 実家だとやっぱり親の影響大きいですよね。心配してくれる気持ちもわかるし。
でも、受けてみると労働環境がまずかったんですよね。いろんなところで、「給料的には僕は問題ないですが、毎月、どれくらい働いてるんですか?社員の方は」と聞くと「いやー、240とか、270くらいですかね」ってさらっと言われて、ヤバいなこれは!みたいな(笑)
まだ復帰して1年ちょっとで、そんな働き方したらまた身体壊しちゃうな、絶対無理だな、と思いました。何社か内定貰えたんですけど、絶対、まずいなって思って。
--- え?全部まずかったんですか?内定もらったとこ?
そうですね。今から6年前ぐらいになると思いますが、飲食は本当にそういうところが多かったですね。今とは比較にならないですね。是正されてないというか。
その数年後ですよね、流れが変わってきたのは。大きな事件があって話題になって、社会全体が「そういうのもうやっちゃダメだよね」という流れになりましたけど、それより前だったんでもう、全然、当たり前。
コーヒーやりたい、でもそれはやばい。最初っからそんなところで働いたら、続ける自信もないし、ってなって、結局、アルバイトからやることにしました。アルバイトなら、働く時間を自分でコントロールできるんで。
サードカフェという店で、社会保険とかもあって融通がきく感じだったんです。アルバイトしてみて、もし合うようだったら正社員にという話もありました。東京でまたチャレンジするには一番いいかなと思って、そこで働くことにして、コーヒーに戻ってきましたね。
タイトル写真: leo_ja
プロフィール・インタビュー写真: Ikuko Takahashi
撮影協力: dotcom space tokyo
続きはこちら >>> 【part3】
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