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【エッセイ】日々の含(第二回)

日々のごん (第二回)
『まーた雨が降ってやがらァ』

ニュース番組を見ていたところ、ある社会学者の方が「現代はストレス社会である」としょうしてその弊害へいがいを語っていた。

ストレス社会、全くその通りである。だってそうだろう、令和のこの時代は昭和や平成といった一昔前と比べると、経済活動から情報技術に至るまで高度かつ複雑に発展しており、その結果、一見して我々は便利で豊かな暮らしを享受きょうじゅできている様でいて実はそんな事は無く、確かに肉体的・物質的には目に見えて便利になったものの、では一方で精神的・道徳的にどうなったかというと何やらとぼしくなったことを実感できるからである。言い換えれば、便利になったはずの生活にはその便利からなる心労、不安、不快が絶えず付きまとい、つまり、こうした各人におけるストレスが合わさった結果、誰も望んでないであろう「ストレス社会」なるものが誕生したといってよい。

身近な例を挙げると、SNSは現代特有のストレス温床地帯おんしょうちたいといえる。もはや説明不要かもしらんが、FacebookフェイスブックInstagramインスタグラムXエックス(旧Twitter)といったSNSはインターネットの発展に伴う所産といえ、これらを用いることで世界中に居る不特定多数の者に対して情報を発信、共有、意見交換、果ては不純異性交遊ふじゅんいせいこうゆうを自由に取り交わすことができる画期的なサービスであり、率直に申し上げて便利この上ない。にも関わらず、このSNSなるものがストレス社会の一要素をになっている。どういうことか。ではこれより我が身を犠牲にしてストレス社会の実例をデモンストレーションさせて頂く。で、早速私はXに「○○亭で味噌ラーメンを食べたらおいしかったです (・ω・)ノ」と投稿した。すると、この投稿を見た他者から次の様なコメントがせられた。

▼コメント(その①):
 ○○亭の味噌ラーメンはゲロマズですよ。味覚バグってます?

▼コメント(その②):
 味噌ラーメン、ツケメン、僕イケメン!

▼コメント(その③):
 それはよかったね。

以上、①~③の返信コメントを見た私は不快感を覚えた。
では早速、この不快感について順を追って説明しますけど、まず①における「ゲロマズですよ。味覚バグってます?」に関して、なぜこの方は自身と異なる感性を持つ者(私)を否定するのか。おのれにとって都合の良い事を「常識」だと思い込み、それを正当化するべく私を非難しているのであろう、要するに不快である。
で、次のコメント②における「味噌ラーメン、ツケメン、僕イケメン!」に関してだが、はっきり言ってこの手の意味不明なコメントをしてくる者は割と多い。そしてたちの悪いことに上記の文章から経緯や意図が読み取れないため、こうしたコメントに私は何を返信すればいいのか困り果ててしまうが、まあもし仮に返信するとすれば「お前はユーザー名を『クソリプ製造機』に変更しろ」ぐらいしか思い浮かばない、要するに不快である。
で、最後のコメント③における「それはよかったね。」に関しては、なぜ見ず知らずのお前はこの俺に対してタメグチなのか……不快だ、辛い、傷つく、鬱陶うっとうしい、もう嫌だ、こんなストレス社会からは一刻も早く逃れたい。そう思い立った私は家を飛び出して新宿駅へ急行した。

JR新宿駅は東口、つまりアルタ前は非常に多くの人でにぎわっていた。
この賑わいは今日が金曜の夜だからたる土曜を祝して賑わうのではない。曜日に関わらず新宿駅は賑わいをもって平生へいぜいと判断され、それはこの街が日本随一の歓楽街であることの証左に他ならない。周囲を見渡せばサラリーマン、OL、大学生、浪人生、ポン引き、バレリーナ、塾講師、塾長、団地妻、落ち葉、犬、猫、亀、つぶ貝、剣道部一同、バレーボール部OB、インフルエンサーといった非常に雑多なものが新宿駅前をうごめいており、そのうごめきの中に私も居た。だから鬱陶うっとうしくて不快だ。先程から私の足を容赦なく踏みつけては謝りもせずその場を立ち去っていく者が後を絶たず、また、前方から早足で向かって来てはけようともせず己の肩を私の肩にぶつけてすれ違う者が続出している。それ程までに人がうごめいている。ふと前方を見上げるとアルタの超大型スクリーンには、毒々どくどくしいコスチュームを身にまとって踊りを踊っているコスチュームプレイヤーとおぼしき女性に思わず目がくらんでよろめいてしまったと思いきや、車道には広告宣伝車がスピーカーから「バニラ」なる文言を大音量でわめき散らしながら走行しており、これには温厚であるはずの私も「さっきからバニラバニラやかましいんじゃこのバニラ野郎がァ!!」と周囲をはばらず怒鳴ってしまった。といって私は動じない。何も恥ずかしくはない。こうした私の声は街の喧騒によってすぐさま掻き消されてしまうのだから。あのバニラ野郎め。

で、私は何のために新宿駅前にやって来たのか。
それは先程のSNS投稿デモンストレーションによって私の心が大いに傷つけられ、そうしたインターネット社会のストレスを現実社会でいやすべく私は新宿駅東口までやって来たのだ、タクシーで。最近、我が物臭ものぐさな性格がたたったせいかタクシーで移動する頻度が多くなり金の消耗が激しい。それにしても最近のタクシーは便利だ。だってそうだろう、スマートフォンに搭載したタクシー配車アプリを使用することで、家に居ながらにして今現在その辺を走っているタクシーに位置情報を連携、そして自宅前までスピーディーにタクシーを呼び寄せることができるのだから。いわゆる「時短」というやつである。とはいえ、タクシーで駅前にやって来たところで私のストレスが解消されるわけではない。さてどうするか。あ、そういえば、仕事用のかばんを新調したいな。私は新宿駅から程近い「伊勢丹新宿店いせたんしんじゅくてん」の本館へ向かった。

伊勢丹本館の一階で主にあきなわれる品は化粧品および宝石である。私は本館一階が好きだ。いや、一階が好きというよりも「一階にある化粧品売り場と宝石売り場から漂う香りが好き」といった方が適切である。あの独特の香りの正体はなんだろう、毎日香まいにちこう青雲せいうん?香りにうとい私にはその正体がよく分からないため説明は割愛させて頂くが、とりあえず伊勢丹の正面入り口を通じて一階に足を踏み入れた途端、やはり正体不明ではあるがものすんごい良い香りが我が鼻腔びこうを刺激、そしてそれは私にとって「かい」なる感情をもたらした。気分良く入口を通過した私はまず宝石売り場を通過、その先の化粧品売り場も通過、そのまま最奥にある出口も通過、そしてとうとう伊勢丹の店外に出てきた。つまり、入口から出口までただ歩いただけ。この行為に一体何の意味があるのかというと、意味はある。私は意味の無い事はしない。私には因果的必然性がある。

入口から出口まで歩いただけで何もせず店外に出て来た理由、それを説明する前に今回の目的を改めてお伝えすると、目的は仕事用の鞄を購入することである。しかるに、ここ伊勢丹本館は各フロアのほぼ全てがご婦人向けの品で占められており、紳士向けの鞄や靴といったものは販売していない。だから私は店外に出て来たのである。では我々男性諸氏は一体どこで鞄を求めればいいのかというと、それは本館の裏にある別館、即ち「伊勢丹メンズ館」である。伊勢丹メンズ館とはその名の通り男性向けの商品が揃いに揃った百貨店のことであり、我らメンズたるもの本館ではなくメンズ館で買って然るべきである。すると、ここで私に対し「そんなら君は最初から本館ではなくメンズ館に行けばいいではないか」と異議を申し立てるやからが現れるかもしれないので、ここでようやく本館を訪れた理由を説明させてもらうけど、私は本館一階の匂いをただ嗅ぎたかっただけだ。

伊勢丹メンズ館の店内に入り、エスカレーターに飛び乗ると三階へ向かった。そしてお目当ての「BOTTEGA VENETAボッテガ・ヴェネタ」という店舗に辿り着いたので早速私は鞄を物色した。前から欲しかったんだよねー、ボッテガの鞄。どの鞄もお洒落でハイセンスで流行の最先端をぶっちぎっていたが、そうした様々な鞄の中でも一際ひときわぶっちぎっていた鞄を発見した。で、その鞄がどんな風にぶっちぎっていたのかというと、複雑なデザインゆえに説明が難しいのだが取り急ぎ四文字で説明すると「編みこみ」である。なかなか良いなあ、と編みこみ鞄をじっと見ていたところ背後から「どうぞお手に取ってみてください」「えっ、いいんですかあ?!」

編みこみ鞄を手にして試着室の大鏡の前に立ち、鏡に映った自身を見てみると、あんたこれ嘘でしょ……我ながら似合っていた。つまり、編みこみ鞄と私の相性は良い。なお、鞄が備えている機能性・利便性に関しては基本気にしない。そんなものにこだわってどうする。鞄なんてなァ使ってたら慣れるんだからガタガタ言うなィ。よって私はデザイン重視だ。ここで改めて編みこみ鞄と私の姿を慎重に確かめてから──よし決めた、これを買おう。果たして値段は……ところが鞄には値札が付いておらず、その代わりにBOTTEGA VENETAのタグがこれ見よがしにぶら下がっていただけであった。こうなっては仕方ない、とりあえず私は店員を呼んで値段を尋ねた。「三十八万円」との事。少し胃が痛いのでとりあえずスマートフォンを取り出してカメラを起動、店員に写真撮影の許可を得てから編みこみ鞄を持つ我が雄姿ゆうしを撮影してもらい、そして礼を言うとすぐさまBOTTEGA VENETAを後にした。

胃痛をこらえてフロアをウロついていると「SAINT LAURENTサン・ローラン」の店舗が目にまった。私はサンローランも好きだ。で、陳列された鞄を眺めまわしていたところその様子に気付いた男性店員は言った「いらっしゃいませ」と。たったこれだけの言葉に私はやられた・・・・。振り返って彼の顔を見て再びやられた。即ち、サンローランの男性店員は総じて良い男なのであり、これは同性の私が言うのだから間違いない。だってそうじゃん、昔から「〽男惚れさす男でなけりゃあ、いき年増としまは惚れやせぬ」という都々逸どどいつもあるように、男が他の男に惚れてしまう程に魅力を感じる事は滅多になく、相手に対して嫉妬や劣等感をいだいたりするのがほとんどだからであり、そうした嫉妬や劣等感といった負の感情を飛び越えて、同性からも「良い男」だと言わしめるサンローランの男性店員、彼は一体何者なのか。まあその素性は全く知らぬが一見して爽やかで賢そうで背丈もスラッとしてて鼻も嘘みたいに高くて目もキリッと引き締まってていい感じの感じで、これを簡単に言うと「〽役者見るよなイイ男」である。ただ、その役者見るよなイイ男が私にすすめてきた鞄の価格は「四十二万円」であった──この大根役者がッ。

伊勢丹メンズ館を出て、駅に向かって歩いていると「赤札屋あかふだや」という自虐的な名を掲げた居酒屋が目についたので少し飲んで帰る事にした。窓際の席に着くと店員がすぐにお通しを持ってきてくれた。相変わらず胃痛が痛く、加えて頭痛も痛かったがそれらをかえりみずにお通しの「かっぱえびせん」で四級酒を飲んでいたところ、雨でも降るのだろうか、窓の向こうには先程からどんよりと重苦しい雲が立ち込めている。ならば長居は無用、この一杯を飲み終えたらぐに帰ろうと思った。
二時間後、五杯目の四級酒を片手に考えていた事はやはり伊勢丹メンズ館、BOTTEGA VENETAならびにSAINT LAURENTにおける鞄購入断念の仕儀しぎについてであり、あまりの高額に驚いてしまったのは元を正せば我が身の分際ぶんざい、つまり、わきまえないおのれの行動を恥じて自らで不快におちいったのであり、だからこの場合、伊勢丹メンズ館に非は一切無い。そして普段なら酒を飲むと陽気になるはずの私なのに今日は陰気な理由、それはこの四級酒のせいでもなければ重苦しい天気のせいでもない、非なる私のせいである。だから胃痛も痛いし頭痛も痛い。不快だな。不快は嫌だな。何とかしなければ。そこで私は考えた、自らでこしらえた不快は自らで解消して自らで「快」を生み出せばいいじゃん、と。私はスマートフォンを取り出すと、カメラロールから先程撮影した写真──BOTTEGA VENETAの編みこみ鞄を持つ我が雄姿ゆうしを誰かに見せびらかすことで快を生み出すことにしたのである。

誰に写真を見せびらかそうかな。電話帳から手頃な知人を探していると「下柳しもやなぎ(キャバ嬢としての)」と登録されたホステスの女性が目に付いた。よし、ここはひとつ下柳に自慢してやろう。では早速と、私はホステス下柳に「ボッテガの鞄を買いました」というメッセージと共に、その証拠として「鞄を持つ我が雄姿ゆうし」の写真を添付してメール送信した。おそらく下柳はこのメールを見て、まずは「すっごーい!」と私に羨望せんぼうの眼差しを向けるだろう、それだけにとどまらず「超似合ってる!素敵!」という憧れを抱き、最終的に「ボッテガを購入できるほどに裕福で紳士な貴方様と懇意こんいになりたいわあ」と心かれるに違いない。私にとってこれぞ「快」である。早く返事来ないかな。楽しみだな。遅いな。仕事中かな。返事を待ちわびながらしばらく飲んでいると下柳からようやく返事が来た、「本当ですか?」と。

「本当ですか?」この一文に関しては大いに吟味を必要とする。
まず何が「本当」なのか明らかにすると、それは言うまでもなく「私がボッテガの鞄を購入した事」であり、この出来事について下柳は真偽を問いただしている。
次に考えるべきは「本当ですか?」の語調や語気といった、つまり文章のトーンについてであり、たったこれだけの文字列を下柳はどういった心情で語ったのかを検討しなくてはならない。で、下柳の心情は二つの可能性が存在する。一つ目は「本当ですか?(え待ってマジで?ボッテガ買うとかすごくない?!)」という、にわかに信じ難いけど私がボッテガの鞄を購入した事はいちおう事実として認めてくれている可能性。二つ目は「本当ですか?(はい絶対ウソ。お前がボッテガなんて買えるわけないじゃん)」という純粋な疑いの目を私に向けている可能性。つまり、この二点はポジティブかネガティブかの違いであり、果たしてどちらのトーンで下柳は「本当ですか?」と言ったのか、それを見極める必要がある。で、見極めた。下柳はポジティブに「本当ですか?」と言った可能性が濃厚である。
なぜなら、前回の話でお伝えした通り、下柳は愛嬌に満ち溢れているから。つまり彼女は非常に親しみやすく、他者から好感を持たれやすいのであり、そうした性格の下柳が私の気分を害する様なネガティブ発言をする訳がない。だからこのたびの「本当ですか?」もポジティブなトーンで発したものととらえてしかりである。ここまで考えたとき私は一安心した。ボッテガの鞄を購入したという私の嘘を下柳は信じ込んでいるのだから。
私は安堵のトーンで下柳に「本当ですよ。この鞄、前から欲しかったんですよね」とメール返信した。すると直ぐに下柳から「本当ですか?」という前回と全く同じ返事が来たため、えっこれは一体どうしたことかと困惑していると間髪かんぱつを入れず下柳から「鞄買ってないでしょ。この写真、ボッテガの店内で撮影してますよね。ボッテガの商品が大量に映り込んでますよ。あと鞄にタグが付いてますよ。本当に買ったの?店内で撮影して買わずに帰っただけじゃないの?怪しいなー(笑)」これを受けて私は取り乱しながらとりあえず「はい、本当は鞄なんて買ってません。嘘です。私はあなたを試したのだ。そしてあなたは私のついた嘘を直ぐに見破った。おめでとう、合格です。合格祝いとして今度あなたの店でシャンパンを開けるから首を洗って待っててね」と意味不明な回答を送信したところ、下柳から「はーい待ってまーす!」と返事が来た。徐々に酔いが醒めていくと代わって後悔の念が込み上げてきた。相変わらず胃痛も頭痛も痛い。

そろそろ店を出るか。窓の外では多くの人が行き交っていたが、どの人も早歩きだった──外は雨が降っていた。ということは、このまま店を出ると私も雨に濡れる事になる。濡れるのは不快だ……そうだ、タクシーで帰ればいいじゃん。私はスマートフォンからタクシー配車アプリを起動した──現在メンテナンス中のため利用できませんとの事であった。ストレス社会で受けた傷を癒すべく街まで出てきたというのに何たるざまだろう、とりあえず店の外に出て雨の中タクシー乗り場へと急いだ。途中、通り過ぎる人々は望まない雨粒を受けて不満の表情であった。それは私も含めてである。
もしこの世界に「満足」といったものがあるとすれば、それは全てがおのれの意のままにできる状態の事であり、この雨が不満だというのなら誰かが雨をませればよく、そうすることで我々は満足を得ることができる。で、それは誰がやるんですか、え、もしかして僕ですかい。そんな事がこのあっしにできるんですかい。
それにしても随分と濡れてしまった。やはり傘を買うべきであった。雨はいっこうに止む気配がない。道行く人々と同じ表情をした私は自然の必然と必然の自然の中、タクシー乗り場へ向かったのである。

とそんな事を思った、雨の日のごん

以上

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