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【小説】おこよゆったん霊園の三味

私はペット霊園に勤めるペット葬祭業者である。

ペット葬祭業といってもあまり耳慣れないかもしれないが、これはヒトではなくペット専門の葬儀屋ととらえていただいて何ら差し支えは無く、仕事内容からしてヒトのそれである。まずは依頼主、つまりペットの飼主から連絡を受けたらすぐに葬儀プランの相談と日程の調整を行い、飼い主のご要望通りに葬儀、火葬、そして骨を納めて供養したら最後に料金を精算して終了という流れの至ってシンプルな業務であり、私は二十年間に渡ってこの作業工程を繰り返してきた。長年勤めていると業務自体に飽きてきたせいか、ペットの命を尊重したり、飼い主の気持ちに寄り添って少しでもその苦痛を楽にしてあげたい、といった本来の目的を見失ってしまい、もはや私にとってペット葬祭は「葬儀遂行による報酬を頂戴するだけ」といった純粋なビジネスと成り果てていた。当然、ペット葬祭業はサービス業の一形態であるため、前述したビジネスライクな考えは顧客を前にして態度にこそ出さなかったものの、やはりどこか事務的に業務を進めていたことは否めない事実であり、その結果、仕事にやりがいを見出せない私はいつの間にやら非人情な従業員となっていた。しかしこれまでのそうした姿勢は一瞬にして払拭ふっしょくされた。私は生まれ変わったのである。

そのきっかけはある飼い主との出会いだった。

その日も私はなんとなく出勤してなんとなくPCを起動して与えられたタスクを淡々とこなしていた。どうということもない。それは今年度の売上高、利益率といった目標値達成に向けた薄情な生産活動、こんなものは数字に支配された冷淡ないとなみである。といつも通りの態度で業務遂行していたそんなおり、一本の電話が鳴った。当然またいつものペット葬に関する依頼である。私は取り急ぎご訪問させて頂く旨を飼い主に告げ、料金プランに関する書類を鞄に詰めて先方の自宅へ向かうと、現れた飼い主は今にも泣きそうな面持ちで私を迎えた。

この度は誠にご愁傷様しゅうしょうさまでございまして弊社へいしゃ一同、心よりお悔やみ申し上げます……という紋切もんきり型の挨拶を済ませて、では早速と料金プランの話を切り出そうとしたところ、それをさえぎる形で飼い主である女性は二棹ふたさお三味線しゃみせんを私の前に置いた。彼女は押し黙っている。この三味線、一体どういうことだろう。何かしらのいわれでもあるのかもしらんが皆目かいもく見当が付かない。まさか私の事をからかっているのか、いやそんな訳はないとは思うが最愛のペットが死んで錯乱状態におちいっているのだろうか。しばしの間、思案してもやはり何がなんだか分からずじまいのまま無言の時が過ぎていった。目の前の三味線だけを凝視している彼女は気でも抜けたのであろうか、まったくこちらを見ようともせずただうつろな様子である。仕方なく彼女を見守ってはいたがこれでは一向に話が進まない、とうとうしびれを切らした私は「この三味線は一体どういうことでしょうか。なにかしら葬儀と関係がおありかと存じますが、もしそうでしたら差し支えのない範囲で結構ですのでどうぞお話をお聞かせください。」と声をかけた。すると「聞いていただけますか。」とつぶやいた彼女はうつむいた顔を上げ、二棹の三味線のいきさつを語り始めた。

聞いていただけますか。
それではこの機会に何もかも全て打ち明けさせていただきたく思います。

話は約七年前にさかのぼりますが、今と違って当時の私は地主である両親と共に農村で暮らしておりました。我が家は地主でありながら自ら農業もしており、そのため私自身も畑へ出て米、麦、胡瓜きゅうり、トマト、茄子なす、ジャガイモ、等々の農作物を育てることに日々いそしみながらも高校へ通い、卒業してからはどこにも就職せずに引き続き親元で地主兼農業に従事してまいりました。そんなある日のこと、いつものように私は両肩に肥担桶こえたごかついで肥溜こえだめに向かったのですが、何やら村の子供たちが肥溜めの周りでわーわーと騒いでおり、これはどうしたものかと肥溜めを覗き込んで見ると、中に一匹の子猫がはまっていました。まだ目の開いてないその子猫は必至になってもがいて脱出を試みようとしていましたが、もがけばもがくほど肥えの中に沈み込んでいく無残な有様ありさまに子供たちは騒いでいたのです。私は子猫を見てたしかにかわいそうだなとは思いました。が、こうなった以上は仕方がない、次に生まれたときは肥溜めに落ちたらダメだよ程度の感想でその様子をぼんやり見物していたのですが、子供たちは肥担桶を担いだ私を見るやいなや、お姉ちゃんなんとかして助けてあげてと一斉に懇願してきました。それは私だってなんとかして助けてやりたいのは山々でしたが、それはできない相談だときっぱりお断りしました。が、子供たちは食い下がってきます。やれぼくたちじゃ腕を伸ばしても子猫まで届かないだの、やれお姉ちゃんなら届くだの、やれ肥溜めに慣れてるでしょだの、やれ子猫が死んじゃうだの、彼らは私を捕まえて放しません。

たしかに私は畑の肥料として欠かせない糞尿を集めるために、毎日のように肥溜めに通い続けてきました。しかしそれは自身の、いや農家としての生活の為にやむを得ない工程の一つなのであり、肥溜め無くして美味しい野菜は育たない、美味しくない野菜は売れない、売れないと儲からない、儲からないと生活が逼迫ひっぱくする、だから私はおけに糞尿を入れてそれを畑に散布しているのです。もし仮に子猫を助けたところで農業の成果が向上する訳でもなく、したがって子猫を助けるのは私にとって一ミリのメリットも無い行為ということですから、私はそこのところも含めて子供たちによくよく聞かせたのですが、彼らときたら「だってお姉ちゃんは腕も長いしウンコ慣れしてんじゃん。」の一点張りでどうしても承知してくれません。たしかに、六~七歳程度のこの子たちよりも、成人女性である私の方が腕のリーチは長く、肥溜めでもがく子猫を救助するのは一瞬の作業です。でも、糞尿まみれの子猫を手づかみしたくない。汚れたくない。いや汚れても洗えばいいだけではないかと思われるかもしれませんが、正直に申し上げて、身体に付いた肥溜めの臭いは何度洗ってもそう簡単には落ちません。これは私の経験からも言えることなのですが、私は六歳の頃に誤って肥溜めに落ちてしまった過去があって、その臭いはなんと十二歳まで取れませんでした。私はあらゆる手段を尽くして臭いを除去しようとしましたが糞尿臭を完全に消すことができないまま、小学校入学から卒業までの足掛け六年間、糞尿臭と共に過ごすという不遇な小学生時代を送りました。この臭いは二十歳を過ぎた今でも幼少期最大のトラウマとして昨日の出来事のように思い出せます。そうした過去の経緯から糞尿にまみれた子猫を絶対に助けたくなかったのです。しかし、そのトラウマ話を子供たちに告げても「お姉ちゃんの言ってることは、手がぬかみそ臭くなるからという理由で糠床ぬかどこの底にある古漬けを取ろうとしないヤツ、みたいな幼稚ないいわけじゃん。」と訳の分からない口ごたえをしてきます。もう全くらちが明かず平行線を保ったまま、私と子供たちは、子猫を救助する・しないという問題について双方譲らずに激論を交わし続けました。そして十数分が経った頃でしょうか。おりしも、一人の聡明そうめいそうな顔つきをした子供が私の元に近づいてきて次のように言いました。

「いいですかお姉さん。あなたは子猫を助けるべきです。なぜなら後悔するからです。あなたが助けたくない理由は、子猫救助と農業は無関係だから助ける価値が無い、という意味の反対意見を述べておられますが議論を進めていく中で判明したのは『小学生時代に肥溜めに落ちたトラウマがあるから助けたくない』というのが真の理由、つまりあなたの本心だということです。この子猫はもうじき肥溜めの底に沈んで窒息死するでしょう。唯一助けることができる大人のあなたが子猫を助けなかったからです。我々子供は助けたくても助けることができない、それは再三のご説明の通り、腕のリーチが短いことで子猫を捕まえることができないという子供ならではの物理的な理由であり、この一点に尽きます。一方、大人であるあなたは子供の私とは異なり、物理的な問題はクリアしているため腕を伸ばせば子猫を捕まえることは朝飯前の前の前です。にも関わらずなぜ助けないのですか?それはあなたが物理的な問題ではなく精神的な問題で悩んでいるからであり、要は糞尿を触るとそれをきっかけに自身の不快感だけでなく他者から不潔者として扱われてしまうから救助をかたくなに拒否しているのでしょう。ですが、もしここであなたが子猫を助けず見殺しにしたとすると、それ以上の精神的苦痛が待ち受けていることになぜ気付かない?!例えば、見殺しにした後もあなたは肥料調達のために毎日毎日この肥溜めを訪れますよね。その際、あなたは肥溜めを眺めては子猫見殺しの一件を思い出してしまい、良心の呵責にさいなまれることになりますよ。それでいいんですか。いやですよね?そしてこの先々で見知らぬ猫を見てもあなたは『ああ、そういえばあのとき周囲の反対を押し切って子猫を見殺しにしてしまったんだよなあ……』と都度の後悔が生じ、それは一生涯あなたを苦しめることになるでしょうね。もっと言わせていただくと、あなたは過去に肥溜めに落ちた経験があるにも関わらず、同様に肥溜めに落ちた子猫が今現在どういった心境なのか、なぜこの猫は必死でもがいているのか、どうして分からないのですか?相手の痛みがなぜ分からないのですか?それが大人のすることですか?大人って元来がんらいそういうものですか?違うでしょう?いい加減にしてください。子猫を助けるのはあなたにせられた義務です。言い訳はやめてすぐ助けなさい。今すぐにです。以上、僕の言ってること分かりますよね?」

―― この話をひとしきり聞き終えた私の頭にまずよぎったのは、このクソガキを肥溜めに突き落として生き埋めにしてやろうかという殺意でした。と同時に、今ここでコイツをぶち殺せばこれまでに私が受けた屈辱とそのストレスが一瞬にして吹き飛ぶのではないかという妙案もよぎりました。が、そうなっては元も子もない、私は犯罪者の仲間入りとなりますから流石にそれは断念しました。しかしよく考えてみるとこの子供の説得内容にも一理あるのであって、確かに子猫と私は「肥溜めに落ちた」という点に関して同じ境遇にあります。子猫の苦痛を身をもって知っているのはこの場に私だけ。ならば、私が助けるのがこの場合、最も適役なのかもしれません。そしてこのクソガキに言い返したいが言い返す材料も切り口すらも思い浮かばない。悔しいが仕方あるまい、今回は私の負けだ。やるしかない、そう腹をくくった私は「あーもういいわかった、あたしが助けるよ。」と低い声でつぶやきました。その声を子供たちは誰一人として聴き逃しませんでした。とうとう子供たちは私から子猫救助の合意を得ることに成功したのです。

子供たちが固唾かたずを飲んで見守る中、とりあえず私は腕まくりをしました。しかし、この動作に一体何の意味があるというのか。着物の袖口そでぐちまくろうが捲らまいが子猫に触れたその瞬間から糞尿および糞尿臭が我が手に染みこんでくるではないか。捲らなくとも同じことだ。結果的に子供たちに対して子猫を助ける意気込みを猛アピールしただけではないか。それが証拠にほらご覧、腕まくりのおかげで子供たちから歓声があがっている。まあいい、あたしがやればいいんでしょう。いいよ、やるよ。多くの声援を受けながら私は肥溜めへと進み、中の子猫を見るとその猫はまだ少し動いていました。ええいままよ、と私は腕をスッと伸ばして子猫の首筋を捕まえようとしたその矢先、奥の草むらからもう一匹、別の猫が子猫のほうに向かって飛び込んで来て、そしてこの猫も肥溜めに落ちて同様にもがき始めました。体格の大きさからして親猫と思われるこの猫は、沈もうとする子猫を助けるべく肥溜めに自ら飛び込んだ……まではいいものの、ミイラ取りがミイラとでも言いましょうか、親猫も子猫同様に肥溜めにはまって抜け出せなくなったのです。この光景を丁度ちょうど目の前で見ていた私はこの親猫に嫌悪感を抱きました。だってそうでしょう、この場の雰囲気から察するに子猫だけでなく親猫も助けないといけないのは誰の目にもあきらかだからです。当然すぐさま子供たちから「親猫も助けてあげてー」との声が湧き起こりました。先ほど私の事を子供のくせにさとしてきた、あの聡明そうな顔つきの子供を一瞥いちべつしたところ「至急、親も助けろ。」という一方的な指示を私に与えてきました。私は、子猫を助けるための一度きりの「汚れ」だけでなく、親猫を助けるために追加で汚れなければならないという、合計二回の汚れ作業に絶望しました。再び私は意味のない腕まくりをしてみました。子供たちから再び歓声があがります。その先はあまり記憶にないのですが、左手で糞尿まみれの子猫をつかんで抱きかかえ、いで右手にこれもまた糞尿まみれの親猫をかかえて、悪臭を発散させながら近くの川へと向かったように思います。

地獄のフレグランスを身体中にまとった私が二匹の猫を抱いてとぼとぼ歩いていると、その二十メートル後方をしっかりキープした状態で子供たちが私の後からいてきました。そして私が川で猫の汚れを落としている最中も子供たちは相変わらず二十メートル後方からそのさまをじっと見ていました。川の対岸からも子供の姿がちらほら見えます。私の心の内には沸々ふつふつと怒りがこみ上げてきました。なぜこの子供たちは私に対し、ありがとうございましたが言えないのか、猫の救助ご苦労様でしたが言えないのか、なにかお手伝いしましょうか、あとは僕たちがやっておくから先に帰っていいですよ、かわいいネコちゃんですね、何歳ですか、意外と臭くないのですね、今日は本当にお疲れ様でした、今後ともよろしくお願いします、つまらないものですがこれをお納めください、と私の労をねぎらおうとしないのか。その理由は私と猫が完全に臭いからだと思われますが、とにかく誰一人として私の元に近づこうせず遠巻きから様子を見るに終始しているだけです。これには普段温厚な私も流石に、クソ野郎がと怒鳴ろうとしましたがこの場合の「クソ野郎」とは誰あろう、私と猫親子の三者に他なりませんので口に出すのはやめました。以降、私は無心で猫の汚れを落とし続けてようやく終わったところで周囲を見渡すと誰一人として居ませんでした。ですから私は満を持してクソ野郎と言い放ち、二匹の猫を抱いてそのまま家に帰ったのです。

家の前まで来ると、家には入らず裏の母屋おもやへ向かい、今は使用していない納屋があったのでそこに猫親子をそっと横たえました。親子どちらも息はありましたがぐったりしており、衰弱している様子がうかがえましたので馬小屋からわらを持って来て猫を包んでやり、水、パン、煮干し等々のえさを適宜配置して取り急ぎ今日はこれでいいかなと私は納屋を後にし、つづいて今度は糞尿にまみれた私の身体を洗浄するため近所の銭湯へと向かいました。まず銭湯に併設されたコインランドリーで糞尿の付着した着物を洗い、それが乾くまでの間、私は風呂場の湯船で自身に付いた汚れをひたすら落とし続け、次に共用の石鹸を地肌に直接こすりつけて糞尿の匂いをかき消し、仕上げにシャワーで髪に付着した汚れを洗い流してすっかり綺麗な状態に戻りました。これで気分も晴れやか心機一転、とはいえ明日からあの猫親子をどうするか、そんな不安の中、ドライヤーで髪を乾かしていたのですがここまでの猫救助の一件で心身ともに疲れ果てていたため、その問題は明日考えることにしてとりあえず今日は帰ったらすぐに寝よう、と銭湯を出発しようとしたところで番頭に呼び止められて私は出禁を言い渡されました。

あくる日から私は家業の合間をって猫親子の看病に励みました。肥溜め転落初日は衰弱しきっていた親子でしたが、幸いなことに病気を患っているわけでもなく徐々に回復していき、一ヶ月後には元気に納屋の中を駆け回るようになりました。さらに数週間が経つと、元々は野良猫だったこの二匹は野良としての習慣を忘れてしまったのか、私が餌を持って納屋に入るとニャーニャーミャーミャー鳴きながら私の足元に擦り寄ってくるようになりました。そんなときふと私はこの猫親子に名前を付けてないことに今更ながら気づきました。といって別にわざわざ命名する必要もないのですが、名前で呼ぶことによってこの親子に対していっそうの愛着を覚えるかもしれない。そこで検討にあたりまずは親子の性別を調べるとどちらもめすでした。私と同じです。そうかなるほど……としばらく思案した結果、それでは肥溜めつながりということでこの母娘おやこを「運子ちゃん」「プチ運子ちゃん」というのはどうかなと思って両親に提案したのですが結局これは猛反対されてあえなく却下となりました。その後、幾度も命名案を両親に提出したのですが全て却下、不合格、NG、御破算ごはさんの連続でした。どうやら私にはネーミングセンスというものが欠落している模様です。そうなってはもう仕方ないので最終手段として私は町の辻占つじうらない師のところへ連日通い、姓名判断も踏まえた上でこの母娘を命名していただきました。母猫は「おこよ」、子猫は「ゆったん」といいます。

母猫のおこよは勇敢というか大胆というか豪快な猫でした。それもそのはずで、肥溜めに落ちた子猫のゆったんを助けるべく一目散に汚物の中に飛び込むなんて、これはなかなかできないことではないでしょうか。人間の私ですらあれほど嫌がったのにおこよときたらほぼ確実に死ぬことを承知で肥溜めに飛び込んだに違いありません。ただ、これは子を持つ親としては当然といえば当然な行動だったのかもしれませんが、そんなことよりも私がおこよを豪快だと思ったのは、彼女は盗みが非常に得意であるという点です。例えばある日の朝、私が両親と一緒に畑仕事に出かけようとすると、おこよも何やら用事ありげな様子でどこかへ出かけていき、それから仕事も終わり家族で晩御飯を食べているところへさして、おこよがようやく帰ってきたのですがその口には本マグロの大トロがくわえられていました。別の日には中トロを咥えて帰ってきました。またある時はカンパチが、またある時はスズキが、ヒラメが、キンメダイが、ブラックタイガーが、ブラックバスが、スジコが、タラバが、といった具合に近所の魚屋に侵入して盗みを繰り返していたのですから豪快なものです。そのおかげで我が家の食卓はうるおいましたが魚屋の経営は傾きました。私の親は、盗むのは猫の勝手かもしれないけどほどほどにねーとおこよに忠告していましたがおこよは加減というものが分からないのか以降も盗みを繰り返し、そしてとうとう一匹の猫が一軒の魚屋を閉店にまで追い込んだのです。これを豪快なくしてなんと言うのでしょう、いやまあ単なる泥棒猫の最たるものなのかもしれませんがこの偉業を達成したのは猫界でもおこよだけだと私は思っています。ではそんな母親の一方で子猫のゆったんはというと、おこよを反面教師として育ったのか、盗みもしなければ狩りもしない、納屋に終日引きこもって爪をいだり、庭に出て蝶々ちょうちょを見てぼんやりしたり、空きビンのフタをコレクションしたりと非常に地味でおとなしい性格をしており、これを人間に例えると、開館から閉館まで図書館にいる老人、後輩に敬語を使う先輩、旅行先で金をケチる友人、ラーメン屋に一人で入れない社会人、ガンプラオタク、ハガキ職人、といったところでしょう。母のおこよに比べてゆったんは華やかさというものがまるでない猫でした。とはいえ母の様に魚を盗んだりしないわけですから人畜無害なことは良いことかもしれません。そして唯一、ゆったんに母親ゆずりの部分があるとすればまあ毛色ぐらいしか思い浮かびませんがこの親子はどちらも三毛模様をしていました。そうしたあべこべな性格の母娘おやこと暮らし始めて二年が経とうとしていたころでした。おこよが失踪したのです。

おこよが外出して三、四日ほど姿を見せないのはよくある事だったのですが、今回は一週間経っても一向に帰ってきませんでした。そして二週間が経過した頃、これは流石に変だと思った私はゆったんを連れて近所だけでなく畑、山、川、町のあちこちを一ヶ月かけて探し回ったのですがおこよを見つけることはできませんでした。失踪から半年が過ぎてもとうとうおこよは我々の前に姿を現しませんでしたが、ただ、あの豪快なおこよのことだから今もきっとどこかで無鉄砲な人生を送っているに違いない、破天荒なやつめ。まああいつなら一人ででも余裕で生きていけるだろうし奴のことだからきっと今頃どこかで盗んだ大トロでもかじってるに決まっている。でもまたいつでも我が家に帰っておいで、待ってるからね。そう自分を無理やり納得させた私はゆったんにも同じことを何度も何度も言い聞かせました。ゆったんも納得したのかあるいは諦めたのかは分かりませんがミャーと小さくうなずきました。そうしたおこよの失踪は、おりしも私が芸者になった頃の話です。

口入屋くちいれや……と言っても分かりにくいかもしれないので言い直すと桂庵けいあん、とこれまた分かりにくいかもしれませんが、要するにこれらは今で言う人材派遣会社みたいなものだとお考えください。で、お話の冒頭で申し上げた通り、私の家は代々地主で食うに困らない裕福な家庭だったのですが、ここ数年の間は戦後の農地改革のあおりを受けて没落の一途を辿たどっており、そしておこよが失踪してあちこちを探し回っていた頃、とうとう両親に呼び出され我が家の経済事情を聞かされました。私はその時になって初めてうちが貧乏だったということを知り、親は、頼むから農業ではなく町に出て働いてくれと私に言いました。しかし、町で働けと言われても手に職といえば農業と猫救助ぐらいなもので、とても私なんて雇ってくれないだろうし、もし運よく雇ってくれたとしても職場で通用するわけがないだろうと思って、両親の頼みは断りたかったのですが父も母も高齢であり頼みの綱は私に懸かっているのですからやむを得ない、とりあえずやるだけやってみるかと承知して、あくる日から私は職を求めて人材派遣会社、つまり口入屋に向かったのです。

口入屋に入ると暇そうにしていた店主のおじさんがいたので、取り急ぎ我が家の経済事情を説明したところ「なんか資格とかって持ってる?」と聞かれたので、アロマテラピー検定二級と答えたのですが相手からは何の反応もなく、続けざまに「じゃあ免許は?」と聞かれたので、原付免許……それとアロマテラピー検定二級も持ってます!と繰り返しました。おじさんがアロマの件を聞き逃していたかもしれなかったからです。おじさんはメモすら取らずに、もしかしてそれだけ?他に何かないの?国家資格とかは?と言うので「簿記二級程度ならガチれば明日にでも合格すると思います」「学生の頃に無免許で車運転してたけど無事故無違反でした」「一級肥溜め運搬士は取得済みですけど?」と強引に返したところ、じゃああなたはアロマと原付以外は何も持ってないんだね……とおじさんはため息交じりにそう言って書類の山をあさり始めました。この時点で私は家に帰りたかった、帰ってゆったんを抱きしめて布団にくるまって一緒に寝たかった。なぜって、このおじさんは私の事をダメな奴、使えない奴、パッとしない奴と認定したことが容易にうかがい知れたからです。こんな調子で本当に就職なんてできるんだろうかと不安に思っていたところへ、あなたにできそうな仕事はこれぐらいしかないけど……とおじさんは求人募集用紙を数枚、机の上に並べました。なんだ、こんな私にでも仕事はあるのかと安堵した私は求人募集を一見したのですが、どの仕事もつまらなさそうで、なんていうか、なんかもっとこう、やりがいが感じられる仕事というか、クリエイティブな仕事はないのかと思いましたのでそれをおじさんに告げたところ「あなたは職を選べる立場にない。」と一蹴されてしまいました。ですが、私だってなにも負けてばかりではない、私の強みであり最大のアピールポイントであるアロマ検定二級と原付免許を生かせる仕事はないんですか?あるでしょう?もったいぶってないで早く持ってきてくださいよ、と詰め寄ると「原付にアロマオイルを塗るといった馬鹿げた求人は無いね。」と言われてしまい、さらに、「さっきも言ったけどあなたは職を選べるほどの経歴も実績も資格も免許も無いということをいいかげんに自覚しなさい。今、家計が火の車なんでしょう?一人娘のあなたがお金を稼いで一家を助けたいんでしょう?そんなら、やりがいがどうしたクリエイティブがどうしたアロマがどうしたとかグズグズ言ってないで何でもいいからさっさと働きなよ。現実を見な。高齢で働けない親御さんのためにも若いあんたがちゃんと働きな。いいかい、わかったね。」と直面したくない現実を叩きつけてきました。―― うすうす気づいてはいたものの、やりたくない仕事であったとしても働かなければ生きていかれないというのは辛い。やりたくないからやりたくない、しかしそんな理屈は通らない。そんなこと私だってとうの前から知っている。今の私に必要なのはやはり金。お父さんとお母さん、そしてゆったんを養えるほどのまとまった金。おじさんの言う通り今は金のために働かなくてはならない、やりがいはその次だ。私はひとしきり検討した結果、それならば……と思い立ち、「わかりました。おじさんの言う通りちゃんと働きます。そのうえでお聞きしますが、何でもいいから手っ取り早く即金でお金を稼げる仕事はないでしょうか?本当にどんな仕事でもいいんです、何でも構いません、本当です。」と懇願すると、手っ取り早く即金かあ、そんな求人あったかなあ、と言いながらおじさんは私の顔をじっと見ていました。しばらくして「まあ、あなたはそこそこ器量も良いし若いから……」と何か思いついた様子で「今日から働けるの?」と聞くので、はい大丈夫ですと私も答えて「じゃあ付いてきな。」と後を付いていった先はとある置屋おきやでした。こうして私は芸者の身の上となったのです。

初日の勤務を終えた私は頂いた報酬の金をそっくりそのまま両親に渡して、ゆったんの居る納屋に向かいました。―― ゆったん、あたしは芸者になったんだよ。すごいでしょう、で、今日がその初めての仕事だったんだけどね、なんていうかもう、楽勝だったね。だって知らないおじさんの晩酌のお供をすればいいだけなんだもん、簡単簡単。あとは先輩のねえさん達が踊ったり歌ったりするのを横からぴーぴーはやし立てて盛り上げればいいだけなんだからさ、あたしはこんなのでお金もらっていいんですかあと思ったね。梅はー咲いーたーかー桜はーまだかいなー柳ャなよなよ風しだい、山吹や浮気で色ばっかり、しょんがいなーってな感じでまあなんていうかチョロいわこの仕事。じゃあまた明日ね。おやすみ、しょんがいな。と初日の感想を報告、それを聞いてゴロゴロと喉を鳴らすゆったんの背中をでて私は納屋を後にしました。

あくる日も、そのまたあくる日も私は置屋に通い続けては宴席での晩酌仕事にいそしみ、報酬をもらってそれを両親に渡すといった生活を続けていたのですが、芸者になって三ヶ月が過ぎた頃でしょうか、まったくお座敷に呼ばれなくなったのです。つまり、仕事がないという状態です。なんでだろうと思ったのですがこれといった打開策も思いつかなかったので、しょうがなく私は置屋でぼんやりしながらお声がかかるのをひたすら待ち続けました。が、やはり呼ばれない。おかしい。これでは失業者と同じではないかと絶望していたところ、それを見かねた置屋の女将さんが「アンタなんだい、またお茶引いてんのかい。なんでアンタにお呼びがかからないかまァだ分からないの?」と言うので、分かりませんと正直に答えますと、「アンタは芸者のくせして何の芸も無いから呼ばれないってだけさ。芸をするから芸者ってんだよ。アンタ、お酌してヘラヘラ笑ってるだけだってねェ、そんなのは芸でもなんでもなくって、家で親父の晩酌に付き合う母ちゃんと一緒じゃないか、だから酌に加えてもうひとつ何か『芸』が要るってことなのサ。よく周りを見な。他の姐さん方をよおく見てごらんなってんだよ、踊り、鳴り物、唄、何だってできるじゃないか。だから芸の無いアンタはいつまでたっても見習いの半玉はんぎょくってわけなのサ。」この女将さんの助言を受けてなるほど納得、何かしらの芸が必要なのかと遅まきながらようやく気が付きました。では姐さん方を見習って早速今日から芸を披露しようそうしよう、と思ったのですがそういえば私には踊り、鳴り物、唄の経験が無く、仮にそれらを学ぶにしてもああいった芸事は一朝一夕いっちょういっせきに習得できるといった代物でもない、あれは何年も稽古してやっと身に付くものだ、当座の金に困っている私にそんなことをやっている時間はない、ということはまたしてもお茶引きの毎日となってしまう、ああ困った困ったとなげいているところへさしてまた女将さんが「いやちょっとアンタさあ、芸っていっても踊り、鳴り物、唄じゃなくったっていいからサ、得意なことって何かないの?それをみがいてアンタの『芸』にすればいいだけなんだから。ホラ、昔からよく言うじゃないか、『一芸は道に通ずる』ってね。だからアンタもそれにならえばいいってわけ。で、アンタの特技ってなんかないの?」と言いますから、なんかあったかなあと色々と過去の記憶を呼び起こしてみたところ、あ、そういえば私にはアレがあるじゃん、とひらめいたので、実は私……アロマテラピー検定二級持ってます!と女将さんに告げました。「で、そのアロマの資格を使ってどんな芸をするのサ?」「きアロマオイルというのはどうでしょう?」「あーダメダメ、全然ダメ。だって分かりにくいもん。考えてもごらんナ、お座敷にアロマをズラっと並べて目隠しされた状態のアンタがさァ、あーこれはラベンダーですねえ、これはゼラニウムで、えーとあとこれはサンダルウッドかしら?だなんて見てて楽しいかい?分かりにくいってんだよ。ソバ五十枚早食い、醤油一升一気飲みをやろうってんなら見てて分かりやすいし盛り上がるかもしんないけど、アロマの香りを鼻で嗅ぎ当てるなんて目で見てなんにも楽しくないじゃないか。ダメダメ、却下。」「では私は一体どうすれば……」「そんなことアタシに聞かれても知んないやね、ほんとなにもやってこなかったのかい、アンタは。学生の頃になにかやってなかったの?部活とかは?」「軽音楽部でした。」「パートは?」「ギターを弾いてました。」「そんなら三味線しゃみせんればいいじゃないか。」「そんなすぐに弾けるようになるのでしょうか。」「弾ける弾ける、ギターも三味線も似たようなもんさ、利きアロマなんかよりも三味線やりな。そしたらアンタにも客がつくようになるからさ。それが一番てっとり早いね。よし決まった。決まったんだからあとは精出してがんばりな。」その翌日、私はゆったんを連れて三味線を買いに出かけました。

「楽器の街」として古くから多くの演奏家に親しまれている御茶ノ水おちゃのみずに着きますと、そこかしこに様々な楽器店が居並んでいましたので、私とゆったんは目の前にあった和楽器店にとりあえず入りました。さて入ったはいいものの、先程申し上げた通り、私はギターならそこそこ弾けるのですが三味線に関してはズブの素人ですから店内に並べられた数多くの三味線を見たところでその良し悪しが分かる訳もありません。この中から一体どれを買えばいいんだろうと私がその場に立ち尽くしていましたら、それを察してくれた店の主人がこちらへやってきて「とりあえず弾いてみて良さそうだなって思ったら買えばいいんですよ。」と優しくアドバイスしてくれたので、それでは、と手近にあった三味線を試しに弾いてみることにしたのですが、ここでもまた問題が生じました。とりあえず弾いてみてと言われても三味線で何を弾いていいのかよく分からなかったのです。というのも、芸者になったはいいが数ヶ月に渡って座敷に呼ばれなくなった私ときたら、長唄、端唄はうたといったたぐいの三味線でよく演奏される曲をすっかり忘れていたからです。困り果てた私は、店主から手渡されたバチを握ったまま硬直してしまいました。ゆったんが心配そうに私を見つめています。「曲を知らないならテキトーに弦を鳴らせばいいんですよ。だってお客さんは初心者なんだから。仕方ないですよ。」と店主は私を気遣ってくれましたが、テキトーに弦を鳴らすだなんてそんな無様なマネはできません。なぜなら、この店内には私、店主、ゆったんの三名だけでなく、他にも多くの客がいるからです。そしてこの客はどの方々も三味線の腕に覚えのある経験者であると思われ、ここでもし仮に、私がテキトーに弦をべんべん鳴らしてしまったとすると「なーんだこいつ、クソど素人じゃん。へたくそ。やめちまえ。」と客にあなどられてしまい、私だけが赤っ恥をかいてしまう恐れがあるからです。もし今この空間に、私が三味線初心者だと知っている店主とゆったんしかいないのであれば、さっき店主がおっしゃったように私は大いにテキトー弾きをしたことでしょう。しかし、他の客がいる以上はそんな恥さらしは「断じてできない」ということであり、元・軽音楽部としてのプライドがそれを許しません。

三味線でどんな曲を弾いていいのかわからない、という状況から十数分が経過しました。他の客は楽器を見るフリをしつつ、私がこれから行う演奏に耳をそばだてている様子です。やはり失敗は許されません。「あのー、もうなんでもいいから早くしてほしいんですが。」という店主の苛立いらだちの声を聞いた私は ―― ああそうかいそうかい。オマエは今「なんでもいい」って言ったよなあ?なんでもいいってことは要するになんでもいいってことなんだよなあ?いいよわかったよ、そんならオマエのおおあつらえ通りってやらァ、耳の穴かっぽじってよく聞いとけッ。となかばヤケになり、軽音楽部だった頃によく演奏したジミ・ヘンドリックスの『Voodoo Chile(Slight Return)ヴードゥー・チャイル (スライト・リターン)』という曲のイントロを弾き始めました。これを聴いていた他の客からはどよめきが起こりましたが、そんなことはおかまいなしに私はジミヘン史上最高難易度とされる「Voodoo Chileヴードゥー・チャイルの二回目のサビの後の爆撃機のようなギターソロ」をド根性で弾き倒し、その後はもう無我夢中になって『Purple Hazeパープル・ヘイズ』『Machine Gunマシーン・ガン』『Hey Joeヘイ・ジョー』『Crosstown Trafficクロスタウン・トラフィック』といった曲を立て続けに三味線で演奏したのです。―― それから三十分後、店外の歩道にはみ出すほどのギャラリーによる拍手喝采とくうを飛び交うオヒネリの嵐の中で私は、今日はみんなどうもありがとう。アンコールもありがとう。ではとうとう最後の曲になりましたが聴いてください。お別れはこの曲、『Red Houseレッド・ハウス』。またどこかで会おうぜ……と惜しまれつつも弾き始めたところで、「ちょっとお客さん、お客さんってば!」と店主に呼び止められ「上手いのはもう分かったから、で、結局その三味線を買うの?買わないの?」とかされてしまい、せっかくの演奏は中断、ああそういえばそうだったそうだったと私はこの店に来た本来の目的を思い出したので、えーと弾いてみていろいろ考えてみたんですけどどうもさおの部分を握ったときの感触?っていうかフィーリング?が合わない?っていうかビビビッと来ない?っていうかいやまあ音色はそこそこ良い感じだったんですけどやっぱなんか決定打に欠けるって感じの三味線って感じなのでまた機会があればまた訪れたいなあ的な感じで思ってるんですけどとりあえず今回はご縁が無かったということで……と購入しないむねを店主に告げてそそくさと店を後にしました。

あれだけ弾いておいて最終的に買わなかったのは流石にお店の人に悪いことをしてしまったかもしれない。ただ、もしこの先芸者で失敗しても三味線でジミヘンを弾くという大道芸で私は食っていけるかもしれない。そんなことを考えながら私は他にいい店はないか探し歩いていたのですが突然、ゆったんが私のふところから飛び出して一直線に走って「トラ屋」という和楽器店の前で立ち止まるとそこでミャーミャーと鳴き始めました。普段から非常におとなしいゆったんがあれほどまでに主張してくるとは珍しい、まあせっかくだから入ってみるか。そう思った私はゆったんを抱きかかえて扉を開けてその店に入ったのですが、またしても私の腕から飛び出したゆったんは一目散に走って店の最奥に展示されていたある三味線の前まで来ると今度はそこでギャーギャーと騒ぎ始めました。どうかこの三味線を買ってくれろ、というゆったんなりの強い主張だと思った私は店主の許可を得てその三味線を手に取った瞬間 ――なつかしい香りに全身が包み込まれていくのと同時にもうそこから一生抜け出すことのできないような怖くて苦しくて悲しい感情が私を襲い、ゆったんの鳴き声でようやく正気を取り戻したのですが自分のほおに触れてみると、そこには涙がつたっていました。でもそれは私の涙ではない。おこよの涙です。

大騒ぎするゆったんを尻目に私はこの三味線の経緯をトラ屋の店主に尋ねました。「ああそうだよ。たしかにこの三味線は猫の皮だね。その皮でわたしがこの三味線を作ったんだよ。元々この猫はこの界隈の魚屋で盗みをはたらく町内でも有名なドラ猫だったんだけどね、三毛模様のね、それで先月わたしが散歩してるとコイツが道の真ん中で倒れてたもんだから、あれ、コイツはあのドラ猫、と思って近寄るとどうも車かなんかにかれたらしくぐったりしてたからそのまま引き取って看病してやってたんだけど一週間ぐらいして死んじゃったんだ。まあ一週間っていってもなんだか情が出ちゃってねえ、有名なヤツだったし。それでかわいそうだなあと思ってコイツの腹の皮を使ってこの三味線をこしらえたってわけさ。」それを聞いてすぐさま私はこの三味線を売ってくださいと店主のおじさんに尋ねました。二十万円とのことでした。二十万。さてどうするか。あ、そういえば……とたもとを探ると先程の三味線演奏で稼いだオヒネリの四十万円が出てきましたので、そこから二十万を取り出して、ではこれでお願いしますと店員に告げて有無を言わさずその三味線を持って店を出たのです。その帰りがけ、ひっきりなしに騒ぎまわって疲れたのか、それとも母親のおこよに会えて安堵したからなのか、ゆったんは家に着くまでずっと懐の中で寝ていました。そして家に着いて納屋の引き戸を開けるとゆったんはすぐに自分の寝床に入り、またしても寝始めましたので、よっぽど疲れたのだろう、その隣におこよの三味線を横たわせてやり、私も自分の部屋に戻って寝ることにしました。

おこよが盗んできた魚を食べるゆったん。食べ終えるまでその様を見届けるおこよ。そしてまた次の獲物を盗みに出かけようとするおこよに追いすがるゆったん。お母さん行かないで、ということなのか、いつまでも母にまとわりついている。その訴えを振り切っておこよはまた魚屋の方へ駆けていってしまうと、ゆったんはあきらめきれず母の後を追おうとするのだが、やめときなよ、危ないよ、と私はゆったんを抱き上げるとそれでもなおゆったんはあきらめようとせず私の両腕から飛び出そうと何度も何度も必死でもがいている。―――― ふと目覚めるともう夕方過ぎでした。どうやら寝すぎてしまった、早く置屋おきやへ行かなくてはと私は急いで支度をして家を飛び出すと、ああ、そういえば三味線も持っていかなくてはと三味線を取りに納屋へ寄ったところ、三味線は置いてあったのですがゆったんの姿がありません。あの出不精でぶしょうのゆったんが外出するとは珍しい、そのときは大して何も考えずに三味線を抱えて納屋を後にし、置屋へ向かって歩いていたのですが、その道中にある肥溜こえだめの周りで子供たちがわーわー騒いでいる様子が目にとまりましたので近くへ寄って肥溜めの中を覗き込むと、そこにはゆったんが沈んでいたのです。

お姉ちゃん早く助けてあげてー、またあの子猫が落ちちゃったー、と子供たちは私に懇願してきます。その中に一人、あの聡明そうな顔つきをした子供がいて、彼は私を見るなりあごをクイッと肥溜めの方へしゃくって「大至急、お前が助けろ。いけ。」と言いましたので、私は彼の髪の毛を引っつかんで、相手の頭蓋骨が割れる程に強烈な頭突きを叩き込んでから、「そんなことテメーに言われなくても分かってるよ。」と地面をのたうち回る彼に告げるとその場はシンと静まりかえりました。すぐさま私は肥溜めに両腕を突っ込んで糞尿にまみれたゆったんを抱き上げると、肥溜めに落ちてからかなりの時間が経っていたせいかぐったりして動きません。その後、私は三日三晩に渡りゆったんを看病し続けたのですがとうとうゆったんは息を吹き返すこともなく死んでしまったのです。あのとき私が夕方過ぎまで寝ていなければ肥溜めに落ちたゆったんを無事に助けられたのではないか。そう思うと悔しくて涙が止まりませんでした。その翌日、私はゆったんの亡骸なきがらと共に、御茶ノ水の和楽器店「トラ屋」へ向かいました。

私は店に入るとすぐに店主をつかまえて、どうかこのゆったんを使って三味線を拵えてください、お金はちゃんと払います、とお願いしました。事情を聞かされた店主は「へえ、そうだったのかい。そりゃまあ三味線にできないことはないけど、この猫がまさかあのドラ猫の子供だったとは驚きだねえ。親知らず子知らず……は違うか。まあかわいそうなことにこの子は母親の後を追って肥溜めに飛び込んで死んじゃったのかもしれないね。とりあえず、この子の皮は使えるよ。で、三味線は特注になるけどお金は大丈夫?まあ今回は事情が事情だから安くしとくけど。」と言いますので、あのときジミヘンで稼いだオヒネリの残金二十万円を取り出して、これで大丈夫でしょうか……とおそるおそる尋ねると、「ああ、これだけあれば大丈夫。じゃあまた二ヶ月後に三味線を取りにおいで。」と店主は請け合ってくれました。

それから二ヶ月後、私は再びトラ屋を訪れて「よくきたね。子猫の三味線ならちゃんとできてるよ。試しに弾いてみるかい?」と店主が言うので、別に弾こうとも思ってなかったのですが、手渡された三味線を持ってみて、不思議と弾いてみようかなという気がしてきました。何の気もなしにばちで弦を弾くと当然「べん」という音が鳴ります。もう一度、べんと鳴らしてみる。さらにもう一度。しばらくそうしていると、またあのときの女の子が三味線でジミヘンを弾く、という噂を聞きつけてギャラリーが徐々に集まってきました。私は何も考えず三味線をただテキトーに弾きました。店内にはメロディーもハーモニーも存在しない、ただの不協和音がこだましています。ギャラリーは「なーんだ、やっぱ素人じゃん。」「下手だなあ。」「なんでジミヘン弾かねーんだよ、さっさと弾けよ、ジミヘンをよー。」とあちこちで愚痴ぐちり始めて知らぬ間にどこかへ行ってしまいましたが、何ひとつメロディーにもなっていない、おそらく他人からすれば不快で仕方がないこの音の連なりを鳴らし、そしてその不完全な旋律を自分の耳で聴けば聴くほどに私は涙が止まらなくなり、その後もゆったんの三味線を弾き続けました。それからしばらくして店を後にした私は家の納屋へ行き、寝床に寝かせてあったおこよの三味線の隣にゆったんの三味線を寝かせました。片方の手でおこよに触れ、もう片方の手でゆったんに触れてみると、二人の悲しみが三味線を伝って私に響いてきました。

―― 随分と長くなってしまいましたが、今あなたの目の前にあるこの二棹ふたさおの三味線に関する経緯は以上となります。私はあなたにこの三味線の葬儀をり行っていただきたいのです。どうかお願いします。

飼い主の話を聞き終えた私は流石に困った。
まさか三味線の葬儀をしてくれとは夢にも思わなかった。とはいえ、この三味線はただの三味線でないということは承知の上であり、おこよとゆったんという二匹の猫の霊魂が今現在も宿やどっているのだという。であれば無理に葬儀をする必要もないではないか。火葬するなんてかえって可哀そうではないか。むしろ飼主であるこの女性は今後もこの二棹の三味線と共に暮らしていけばいいではないか。なのにどうして。そうした疑問もあって、私は女性に葬儀はしない方がいいのではと伝えたところ、彼女は二棹の三味線にそっと触れながら、「先に申し上げた通りこの母娘おやこは今も悲しんでいます。それは現世から逃れられず成仏することができないという悲しみだけではなく、母は娘に、娘は母に会えない悲しみです。母は娘が望まないにもかかわらず盗みを繰り返し、そして事故で死に、娘は母が望まないのに後を追ってみずから命を断ちました。その霊魂は三味線の中に今だにとどまり続けており、おこよとゆったんの悲しみは永遠に続いていきます。それは私が死んでこの世からいなくなってもです。おこよとゆったんの魂は未だに再開を果たしていないのですから、この悲しみから解放されるためにもどうか葬儀を執り行っていただきたいのです。」と繰り返し私に訴えるので、本当にそんなことがあり得るのかと悩んだのだが彼女は至って真剣でありそこには嘘やいつわりの印象は微塵みじんも感じられなかった。 この三味線から発せられる猫の意志を知りえるのは彼女だけ。そして葬儀により心の底からこの母娘を成仏させてやりたいということ。それが彼女にとって、そして猫にとっての供養であり本望だというのであればその意志を尊重してあげようと私はふと思い立ち、そしてこの二棹の三味線の葬儀を請け合うことに決めた。承知した旨を告げると彼女の顔から少しだけ笑みがこぼれた。

葬儀の当日、招かれた住職は二棹の三味線を前にしても一切動じることなくお経を唱え始めた。読経を終え、私は飼い主の女性と共にこのペット霊園に併設された火葬場へと向かい、三味線の入ったひつぎ火葬炉かそうろの係員に引き渡すとすぐに火葬が始まった。火葬炉の前に設けられた祭壇の前で彼女は左手に数珠を持ちうやうやしく一礼の後に合掌、そして線香に火をともした。香炉に立てられた線香から煙が上がりはじめる―― するとどこからともなく一棹ひとさおの三味線の音色が聴こえてきた。いでその音に重ねるかの様にもう一棹の三味線が鳴りはじめ、二棹の三味線は今まさに炎の中で燃え盛るの内で共鳴を続けたのである。

彼女は涙を流しながら何かを得心とくしんした様子で深くうなずいており、火葬が終わるまでの間、三味線は園内中に鳴り響いた。そしてふと三味線が鳴り止むと煙突からは煙と共に三毛模様をした丸いかたまりが二つ、まるで遊ぶかのごとく嬉しそうにからみあったまま空へ昇っていき、私と彼女は母娘おやこが雲に溶けていくまでいつまでも見ていたのである。

【完】

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