私はペット霊園に勤めるペット葬祭業者である。
ペット葬祭業といってもあまり耳慣れないかもしれないが、これはヒトではなくペット専門の葬儀屋と捉えていただいて何ら差し支えは無く、仕事内容からしてヒトのそれである。まずは依頼主、つまりペットの飼主から連絡を受けたらすぐに葬儀プランの相談と日程の調整を行い、飼い主のご要望通りに葬儀、火葬、そして骨を納めて供養したら最後に料金を精算して終了という流れの至ってシンプルな業務であり、私は二十年間に渡ってこの作業工程を繰り返してきた。長年勤めていると業務自体に飽きてきたせいか、ペットの命を尊重したり、飼い主の気持ちに寄り添って少しでもその苦痛を楽にしてあげたい、といった本来の目的を見失ってしまい、もはや私にとってペット葬祭は「葬儀遂行による報酬を頂戴するだけ」といった純粋なビジネスと成り果てていた。当然、ペット葬祭業はサービス業の一形態であるため、前述したビジネスライクな考えは顧客を前にして態度にこそ出さなかったものの、やはりどこか事務的に業務を進めていたことは否めない事実であり、その結果、仕事にやりがいを見出せない私はいつの間にやら非人情な従業員となっていた。しかしこれまでのそうした姿勢は一瞬にして払拭された。私は生まれ変わったのである。
そのきっかけはある飼い主との出会いだった。
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その日も私はなんとなく出勤してなんとなくPCを起動して与えられたタスクを淡々とこなしていた。どうということもない。それは今年度の売上高、利益率といった目標値達成に向けた薄情な生産活動、こんなものは数字に支配された冷淡な営みである。といつも通りの態度で業務遂行していたそんな折、一本の電話が鳴った。当然またいつものペット葬に関する依頼である。私は取り急ぎご訪問させて頂く旨を飼い主に告げ、料金プランに関する書類を鞄に詰めて先方の自宅へ向かうと、現れた飼い主は今にも泣きそうな面持ちで私を迎えた。
この度は誠にご愁傷様でございまして弊社一同、心よりお悔やみ申し上げます……という紋切り型の挨拶を済ませて、では早速と料金プランの話を切り出そうとしたところ、それを遮る形で飼い主である女性は二棹の三味線を私の前に置いた。彼女は押し黙っている。この三味線、一体どういうことだろう。何かしらの謂れでもあるのかもしらんが皆目見当が付かない。まさか私の事をからかっているのか、いやそんな訳はないとは思うが最愛のペットが死んで錯乱状態に陥っているのだろうか。しばしの間、思案してもやはり何がなんだか分からずじまいのまま無言の時が過ぎていった。目の前の三味線だけを凝視している彼女は気でも抜けたのであろうか、まったくこちらを見ようともせずただ虚ろな様子である。仕方なく彼女を見守ってはいたがこれでは一向に話が進まない、とうとうしびれを切らした私は「この三味線は一体どういうことでしょうか。なにかしら葬儀と関係がおありかと存じますが、もしそうでしたら差し支えのない範囲で結構ですのでどうぞお話をお聞かせください。」と声をかけた。すると「聞いていただけますか。」とつぶやいた彼女はうつむいた顔を上げ、二棹の三味線のいきさつを語り始めた。
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飼い主の話を聞き終えた私は流石に困った。
まさか三味線の葬儀をしてくれとは夢にも思わなかった。とはいえ、この三味線はただの三味線でないということは承知の上であり、おこよとゆったんという二匹の猫の霊魂が今現在も宿っているのだという。であれば無理に葬儀をする必要もないではないか。火葬するなんてかえって可哀そうではないか。むしろ飼主であるこの女性は今後もこの二棹の三味線と共に暮らしていけばいいではないか。なのにどうして。そうした疑問もあって、私は女性に葬儀はしない方がいいのではと伝えたところ、彼女は二棹の三味線にそっと触れながら、「先に申し上げた通りこの母娘は今も悲しんでいます。それは現世から逃れられず成仏することができないという悲しみだけではなく、母は娘に、娘は母に会えない悲しみです。母は娘が望まないにもかかわらず盗みを繰り返し、そして事故で死に、娘は母が望まないのに後を追って自ら命を断ちました。その霊魂は三味線の中に今だにとどまり続けており、おこよとゆったんの悲しみは永遠に続いていきます。それは私が死んでこの世からいなくなってもです。おこよとゆったんの魂は未だに再開を果たしていないのですから、この悲しみから解放されるためにもどうか葬儀を執り行っていただきたいのです。」と繰り返し私に訴えるので、本当にそんなことがあり得るのかと悩んだのだが彼女は至って真剣でありそこには嘘や偽りの印象は微塵も感じられなかった。 この三味線から発せられる猫の意志を知りえるのは彼女だけ。そして葬儀により心の底からこの母娘を成仏させてやりたいということ。それが彼女にとって、そして猫にとっての供養であり本望だというのであればその意志を尊重してあげようと私はふと思い立ち、そしてこの二棹の三味線の葬儀を請け合うことに決めた。承知した旨を告げると彼女の顔から少しだけ笑みがこぼれた。
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葬儀の当日、招かれた住職は二棹の三味線を前にしても一切動じることなくお経を唱え始めた。読経を終え、私は飼い主の女性と共にこのペット霊園に併設された火葬場へと向かい、三味線の入った棺を火葬炉の係員に引き渡すとすぐに火葬が始まった。火葬炉の前に設けられた祭壇の前で彼女は左手に数珠を持ち恭しく一礼の後に合掌、そして線香に火をともした。香炉に立てられた線香から煙が上がりはじめる―― するとどこからともなく一棹の三味線の音色が聴こえてきた。次いでその音に重ねるかの様にもう一棹の三味線が鳴りはじめ、二棹の三味線は今まさに炎の中で燃え盛る炉の内で共鳴を続けたのである。
彼女は涙を流しながら何かを得心した様子で深く頷いており、火葬が終わるまでの間、三味線は園内中に鳴り響いた。そしてふと三味線が鳴り止むと煙突からは煙と共に三毛模様をした丸い塊が二つ、まるで遊ぶかのごとく嬉しそうに絡みあったまま空へ昇っていき、私と彼女は母娘が雲に溶けていくまでいつまでも見ていたのである。
【完】