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【感想文】ある崖上の感情/梶井基次郎

『石田流・ノゾキの極意』

本書『ある崖上の感情』読後の乃公だいこう、愚にもつかぬ雑感以下に編み出したり。

▼あらすじ

オバハンとの刺激の無い性生活に苦しむ生島 → 打開策「性行為を他人に覗かれると興奮間違いなし」を考案 → 知人の石田を利用 → 知る人ぞ知る覗きスポット「崖上」に石田を導く → まんざらでもない石田 → 崖上で性行為&人間の死を垣間見る → ああ無常 → 【完】

▼読書感想文

過去に掲載した『冬の蠅』読書感想文を以て、『ある崖上の感情』の読書感想文に代えさせて頂く。【完】

▼余談

上記判断に至った経緯を説明するため、ここでは『ある崖上の感情』と『冬の蠅』の類似点を挙げることにする。まず、本書ラストで石田が感じた「崖上の感情」なるものは、

人間のそうしたよろこびや悲しみを絶したある厳粛な感情であった。彼が感じるだろうと思っていた「もののあわれ」というような気持を超した、ある意力のある無常感であった。

青空文庫より抜粋
底本:「檸檬・ある心の風景 他二十編」旺文社文庫

との事である。本書における「もののあわれ」とは、石田の解釈によると <<なにかはかない運命>> および <<浮世>> を指しており、彼が感じたのはそれらを超えた意力(=意志の力、何かを為そうとする力)による無常感なのだという。つまり、石田は「意力を持つ者」によって無常感という感情に支配されたのだが、ではそれは一体誰のしわざなのかというと分かりようがない。この「人知を超えた第三者の存在の示唆」という点が『冬の蠅』と共通しており、過去に私の感想文で示した通りである(以下に抜粋)。

「きまぐれな条件の実行者」という人知を超えた第三者の示唆により、人間である彼は死ぬことを知っていようが知らまいが恣意的に殺される存在、つまり、蝿と同様の価値に過ぎず、人間としての自尊心が傷ついた(※注1)のである。
注1・・・石田の自尊心に関する描写は作中に無いためこの箇所は本書との相違点となる。また、この相違は本稿に影響を及ぼすものではない。

『冬の蠅』読書感想文より抜粋

▼といったことを考えながら

最後に、著者・梶井基次郎の構成力について一言申し上げると、崖下の生島は石田を己の欲望と空想して <<戦慄と恍惚があるばかりだ>> とし、性的興奮を自身にも、そして石田にも期待しているが、それとは反対に崖上での石田は興奮ではなく <<厳粛な感情>> であったという。つまり、人間・生島の「意力」では石田の感情を制御することが叶わなかった。これにより、人知を超えた第三者による意力がよりいっそう際立ち、崖下↔︎崖上↔︎認識外、という構図が浮き彫りとなる効果を与えている。

以上

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