「失恋の何が辛いのか?」
「それは失恋によって、自分を責める時間なのではないのだろうか」
と、『ナナメの夕暮れ』で若林さんが書いてらっしゃった。
「自信のない人は、失恋すると自分に価値がないと思い込む。相手とは合わなかったんだと思えず、自分が悪かったと思い込む」
そして、夜な夜な私は無印のほうじ茶ラテなんて可愛いものをお供に、この言葉について自問自答している。(←今ここ)
確かになんで私は失恋を経験するたびに、自分は無価値な人間なんじゃなかろうか、、、と落ち込むんだろう。
なんで、あの時、もっとああしていればよかったとか、こうしていればよかったとか、タラレバを繰り返して自分を責めてしまうんだろう。
「あの人と私は合わなかったんだ!!ただそれだけ!!」
そう思って、気持ちを切り替えられるのは天性の才能。そんな才能を持ち合わせている人が心底羨ましい。
「いや。でも、そもそも自責思考はそんなに悪いことか?」
自責の程度が過ぎてしまって、「私なんて所詮、、、」「私は無価値な人間だ、、、」みたいに、周りの人すらも「なんて声をかけようか、、、」と困らせてしまうのはよろしくないな!とは思う。
ただ、全く自責しない人も嫌だなぁと思った。
自責して内省することで学べることもたくさんあるはずなのに、「合わなかった!以上!」で丸っと終わらせちゃう人は、それを放棄しているのかも、、、?という回答がでた。
結論、自分なら全く自責しない人よりは自責してくれる人の方がよっぽど人として好きだ。だから、自分のこの自責思考もまぁ悪くないかもしれない。