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平凡な主婦、家が好き。そして料理好きに拍車かかる。
平和平凡おうち大好き人間
大阪で生まれ、結婚するまで実家暮らし。
家族が大好き末っ子。自分で言うのもなんだが愛情をいっぱいにうけて育ってきたと思う。結婚を機に29歳で上京し、31歳で息子を出産。
第二の住処は夫との共同作品(大げさ)
息子が1歳になったころ、子育てのしやすさや住みやすさを求めて横浜へ引っ越してきた。私たちにとっての「住みやすさ」を意味するものには家の空間のことも含まれていた。
ケチじゃない。「愛着」や「感謝」を形成してほしいだけ
キラキラなお部屋、キャラもののグッズ、溢れかえるおもちゃ。
子育てをするうえで、ある程度の範囲ならもちろん与えてあげたい。だけどなんでもかんでもはダメなのだ。ひとつ新しい物を買えば、少し前の宝物はあっという間にかすんでしまう。子どもとはそういうもので、私も幼いころはそうだった。
だから「あるもので遊びなさい」と息子によく言う。お祝いやいただきもの、私たち夫婦が思い入れを持ってプレゼントした物たちを
母の笑顔が家族を救う(これほんま)
私は、子育てのなかでも自分をわりと優先している。子どもをほったらかして遊びほうけるとかそんな意味合いではない。「わたし」を保つことを忘れないようにしていたいのだ。
息子が生まれてしばらく、外食やお出かけや一人時間を「子どもがいるから」で諦めることが当たり前になっていた。母なるものそうあるべきだと思っていたが、それがいつの間にか「子どもがいるせいで」になり息子に対してイライラカリカリと怒ることが増え
食べることをじっくり楽しめる息子について
ストッケもタオルをかまされるとは思ってもいなかっただろう
息子の離乳食期、誰もが通るであろう「食べない」で悩んだ時期があった。食べないもんは仕方ない、そんなふうには割り切れなかった。小さじ程度の離乳食のために、色んな食材を蒸しては濾して愛情手間暇かけて作ったのだ。母といえ人間だもの、悲しみや怒りに包まれることが多々あった。
そんな中でもただひとつ、徹底していたことがあった。「食事中は立たせない
守備範囲以外への敬意について尊敬する件
私の両親は、お互いを尊敬しあっている。
父は高校卒業から働き出し、自分で作った会社を65歳まで守り続けた。母は父の仕事を支え、そして私たち姉妹の穏やかな暮らしを守り続けた。
父が仕事を引退し5年以上たつが、ふたりを見ているとふとした時に「尊敬しあっているのだな」ということが感じられる。
たまに母は父の愚痴を言う。歳を取りお互い頑固になり、腹が立つことが増えたようだ。私はたまにの帰省だからと一生懸
食いしん坊の遺伝と、戦闘態勢の「彼ご飯」
「ほんまあんたに似て食い意地はってるわ~」
食事中の息子を見て夫はよく言う。「あんた」とはもちろん私のことである。
私の食いしん坊は、確実に母からの遺伝だ。母は食に対する好奇心がとても強く、家での食事も外食も「いかにおいしいものを作るか・食べるか」ということを常に念頭においている。
外食でおいしい物を食べたら「これはどうやったらこんな味付けになるんや・・」とつぶやいては家で再現しようと思考を巡ら