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大連、冬の記憶 2009-2010, 2012

毎年、冬を迎えると、2009年から2010年にかけて短期間住んでいた大連(中国・遼寧省)の記憶が蘇ります。

もともと、こんな気温

なのに加え、
・窓ガラスからすきま風が入る(9月末時点で耐えられなくなり、テープで固定。4月ぐらいまでそのまま)
・暖房設備「暖気(ヌアンチー)」がほとんど機能しない(周囲から暑過ぎて困るという話もちらほら聞きましたが、想像しづらい状態)
・風呂のお湯供給量が不足(電気式で、タンク1台に貯めて使う方式)
・・・という部屋に住んでいたため、さらに寒さが身にしみました。

エアコンの暖房をつけても足りず、こんな器具を買って足元を温め、

あとはヒートテック着用で、なんとかしのぎました。

そんな中、汚れたガラス越しながらも見晴らしが良かったのはささやかな喜び。
特に雪景色。

この球形モニュメントは、大連のシンボルとして、よく観光写真に使われているので、ご存知の方も多いと思います。

当時発売されていたスタバご当地カップも、ご覧のとおり。
(その後、別デザインに変更)

この写真のみ最近撮影


起きたら、こんな状態の日もありました。

霧ではなく、春節の花火・爆竹の煙です。

以下3点、上の写真と別の日です。
強烈な音が記憶に残ります。


本当に霧の日も。

一番ひどいときには、視界が2メートルぐらいだった記憶があります。

日本料理店でのひととき。

会食・飲み会などもちらほらありましたが、普段は、遅めの時間帯にひとり夕食となることが多く、飲むのは主に焼酎お湯割りでした。
海産物が豊富で、日本食のレベルが高かったのもありがたかったです。

春節前夜は、少し贅沢してこんなものも。


長い冬が過ぎて帰国した後は、本・ネットから情報収集しつつ、関心が大連から中国東北地方全体に広がっていきました。

さっそく同年夏休みには、大連+長春・ハルビン・北京をひとり旅。
※この旅関連では、note開始初期に下記記事を書きました。


そして、次に大連を訪れたのは、2年数ヶ月後の2012年12月中旬。
仕事事情による消去法で、こんな時期に、遅い夏休みでした。

真冬かつ、年末年始目前の時期だったのに加え、同年9月に各地で発生した反日デモの影響もあってか、日本人旅行者らしき人はほとんど見当たらなかった大連。

そんな中、連日、昼夕食で先輩・友人たちに付き合っていただきながら、空き時間はできるだけ散歩しました。
もちろん、カメラ・スマホ持参です。

気温は、こんな状況。

大連含む東北地方4大都市比較。右から2番目は長春

私は、零下10度までなら、マフラー・手袋・ヒートテック上下着用で散歩可能でした。

友好広場のモニュメントとの再会。


統治されていた時代の名残の数々。


この時期進んでいた高層ビル建設。


夜も、夕食・飲みを挟みつつ、

できるだけ歩き回りました。

小腹が空いて、締めの野菜。

ご馳走さまでした。


その後も、東北・華北地方各地と組み合わせて大連には5回訪れ、変わっていく姿、変わらない姿を目にして、写真に残すこともできました。

最後に行ったのは2019年春。
この分だと、次回は2023年以降でしょうか。

夏の大連もさわやかで良いのですが、2012年以来ひさびさに冬の姿を撮れるよう、なんとか機会を狙いたいと思います。

以上、最後までご覧いただき、ありがとうございました。


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計7回の旅行から、大連駅だけにこだわってまとめました。

大連での朝食写真を数点掲載しました。

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