大連駅スナップ 2010-2019: あの頃、自分はどう撮っていたか
中国・遼寧省の大連は、仕事で短期間住んだことから縁が始まり、2010年帰国後も、東北地方(瀋陽、長春、延吉、ハルビン等)・華北地方(北京、天津)と組み合わせつつ、プライベートひとり旅で繰り返し訪れた印象深い都市です。
当然、写真も多数撮ってきました。
今回取り上げる大連駅(厳密には、南側駅舎のみ)は、日本では「満鉄(南満洲鉄道)工事科の太田宗太郎が設計し、1937年に竣工」「上野駅をモデルにしたと言われる」等、日本統治時代の説明付きで知る人が多いと思いますが、不勉強だった私は予備知識なしに大連駅と出会い、やがて関心を持つようになりました。
そんな私の写真を年代順に並べてみると、大連駅自体の変化は少ない一方、撮り方には変化があったと気付かされましたので、それを強調しつつ掲載します。
2010年: 何も考えずに撮影
これは、旅行ではなく、大連生活終了間際に街の風景を撮った中の1枚。
何も考えず、淡々と撮ったことが伝わってきます。
(カメラは、RICOH GX100)
実は、これを撮った数ヶ月後、夏休み旅行(大連の他、北京・長春・ハルビン)で大連を再訪しているのですが、その写真フォルダに大連駅は1枚も見当たりません。
今回のような記事を投稿するようになった今からは考えられないぐらい、当時の私は大連駅に対して何も感じていなかったようです。
そんな私の意識が変わったのは、2年後です。
2012年: 上と真正面から撮影
このとき初宿泊した駅前のホテルから見えたこの姿。
ミニチュア的と思えなくもない風景に興味が湧き、スマホ(iPhone 5)と
カメラ(RICOH GXR+A12 50㎜)でそれぞれ何枚も撮りました。
周囲を含む全体像、大連駅を取り巻く状況が見えたことで、大連駅に対する見方が変わった気がします。
そして、
とどめは、この1枚。
車を気にせず、標準レンズ(35mm版換算50mm)で真正面から大連駅を捉えたとき、私の中の何かが変わりました。
変な写真ですが、この後、大連駅を追い続けた原点がここにあり、自分としては印象に残る1枚となっています。
実は、この年は職場事情で夏に休めなかったため、珍しく12月の旅行でした。
そのせいで、日数少なめ、かつ
気温0度前後の中での活動となりましたが、冬の大連を撮る貴重な機会となりました。
そして、2年後。
2014年: いろいろ撮影
前年発売のRICOH GRを手にした私は、何度か大連駅に足を運びました。
このとき意識したのは、今までより近づいて撮ること。
そして、
全体だけを見ずに、
部分にも着目して撮ることでした。
その他、
夏っぽい周囲の状況や、
休暇シーズンを感じさせる人の動きも取り入れて撮影。
奥で霞んでいるビルは、
工事中でした。
その他、目に入るあれこれから、街も人も大きく変化していくのを感じた年だったような気がします。
そして、1年後。
2015年: ゴチャっと撮影
前年多めに撮ってしまったせいか、旅行全体が慌ただしかったせいか(高速鉄道利用で、瀋陽・長春・ハルビンあわせて4ヶ所)、この年、大連駅写真は少なめでした。
少ないながら、こんな感じで
駅周辺の状況も含めて記録することに留意していたようです。
一般的に好まれないと知りつつ、私は、こういうゴチャっとした写真、1枚の中で同時進行的にいろいろ動きがあるように見える写真が好きです。
おまけで、この年、大連の友人(中国人)来日時、一緒に撮った上野駅。
私は、大連駅に連動し、自然と上野駅も好きになりました。
ここを通る度、旅行欲が高まるのは言うまでもありません。
そして、2年後。
2017年: ライトアップ主体で撮影
この年から、ついにカメラを使わず、スマホのみ(この年は、iPhone 7Plus)で撮影するようになりました。
スマホの性能向上に加え、老眼進行で画面の大きさが必要になったことも影響していたと思います。
そして、いつの間にか、夕方以降ライトアップしていることに気づき、
心惹かれました。
夕食前に加え、夕食後も撮影。
アルコール効果で、更に撮影欲上昇。
新たに、取り付け式の超広角レンズも導入。
撮り方は難しいものの、
画角の選択肢が増えることに喜びを感じました。
孤独感が写っているのはお恥ずかしい限りです。
1枚だけ昼間の写真も。
2年前の写真と比較すると、1階・2階に関する表示(文字)がなくなったのが分かります。
そして、1年後。
2018年: ふたたび上から撮影
初めてゴールデンウィークに行った大連では、6年前と同じ大連駅前のホテルを予約。
チェックインした部屋から駅が見えず、あわててフロントに相談したところ、少し費用アップはするものの、無事にステーション・ビューの部屋に移れました。
このサイズでは分かりづらいと思いますが、駅舎の時計上のポールに赤い国旗がかかっています。
前年までの写真にはなかったものです。
昼も
ライトアップ時も
消灯後も撮影。
地上からも、
雨が降っても、
時間・場所を変えつつ、
ずっと撮影。
他にすることはなかったのでしょうか・・・。
最終日、ホテルから空港に向かう際の1枚。
真ん中のタクシー位置はともかく、旅行最後の感傷的な気分が写っている感じは気に入っています。
そして、また1年後。
2019年: 中国スマホで撮影
前年に続いてのゴールデンウィーク、そして令和初の大連。
自分にとって重要なのは、前年から愛用するようになった中国スマホ(ドコモ版 HUAWEI P20 Pro)で撮れることでした。
当時、LEICA協力の3眼カメラ+AI機能で話題になり、スマホとしては夜景撮影に強いP20 Proは、ライトアップ大連駅撮影にも向いていると考えたのです。
また、やはり中国スマホだけあって、中国的色彩のライトアップと相性が良いのではないかと期待もしました。
細かく言えば色々あるでしょうが、
当時の私は、これぐらい写ってくれれば満足でした。
このときは、中国での正味滞在時間3日半ぐらいで遼寧省4ヶ所(大連の他、瀋陽・撫順・鞍山)を回る旅だったので、大連駅撮影は前年より大幅に減少。
それでも、前年までと少し異なる大連駅写真が残せた点では、満足しています。
この後、親の入院、そしてコロナと続いたため、今のところ、これが最後の大連、最後の旅行となっています
次回行ける日が来たら、機材レンタルも視野に入れて、また違った大連駅写真を撮りたいものです。
私の写真はここまでです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
大連駅 参考情報
写真とは関係ないですが、この機会に、自分用の備忘録も兼ねて、まとめておきます。
■Wikipedia 大連駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%80%A3%E9%A7%85
■1937年竣工当時の大連駅(着色写真)
『大連・国都の玄関大連駅』(1937年|京都大学附属図書館所蔵)
※「二次利用自由」ページ表記に基づき、下記ページ画像を掲載
「大連」の文字がないこと、広場部分の違いを除くと、今とほぼ変わらないように見え、改めて驚かされます。
■その後の大連駅
・駅前に毛沢東象が立ち、時計の下に肖像画が掲示されていた時期あり。
(中国語で画像検索したところ、文化大革命の頃と思われるモノクロ写真がいくつか出てきました。詳細は不明)
・1981年当時は、「大連」の文字が緑ではなく赤。
(『満洲の旅 1981大連』文:北小路健 写真:渡部まなぶ 1981年 国書刊行会刊 に写真掲載あり)
・1989年発売の曲『大連の街から』(尾形大作)の本人出演カラオケビデオ最後に、遠景かつ一瞬ながら大連駅の映像あり。
(PV流用にも見えることから、1980年代後半のものと推定しています)
・1990年代後半は時計の両脇に「SEIKO」表示あり。その他、駅舎上部等にイトキン・三洋・Salem等の看板が掲示されていた時期あり。
(1998年発売『地球の歩き方 大連と中国東北地方 1999〜2000版』等に、少しずつ異なる写真の掲載あり。いつまで掲示されていたかは不明ですが、2005年1月発売の『地球の歩き方』では、現在と同じ状態の写真が掲載されているので、少なくとも2004年までになくなったことは分かります)
<完>