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メトロポリタン美術館展へ

行ってきた。もーねぇ、たのしい。
もともと、外に行くだけでつかれるようなインドア人間なので、大阪まで出て、さらに広い美術館の中を全神経研ぎ澄ませて集中して見ていくと、すべて見終わった頃には、いつもぐったりして帰ることになる。でもそれが心地よかったりもする。

書きたいことだらけなのだけど、とくに印象に残ったことだけ。といいながら、だんだん長くなっていったので、ご注意を……

セザンヌが街の風景を描いた「ガルダンヌ」がね、もーーうつくしすぎて、淡い色使いも筆のタッチもたまらない。リアルで滑らかなタッチを重視するバロック、ロマン、新古典主義という時代にそった展示の流れの中で、この絵にたどり着いたときの気分は、なんとも、やってくれたなという感じ。こりゃ、当時の人たちはさぞ驚いただろうなぁと考えながら、それにしてもうつくしい……生で見られて、かなりうれしかった作品のひとつだった。

ゴーギャンの「タヒチの風景」もとてもよかったし、ドガの踊り子たちの作品は、生で見ると色使いのかわいらしさが際立ってうっとり。

今回、ドガやゴッホ、ゴーギャン、ルノワール、モネなどの印象派〜ポスト印象派の有名な作品もたくさんあってそのあたりも楽しみにしていたのだけど、モネの「睡蓮」は、わたしのよく知っている睡蓮とはちがい、最晩年のものだった。目の病にかかっていたモネに見えていた睡蓮…そう思いながらながめ、近づくとなにかわからず、でも遠のいて見ると、わかる。この不思議さも、かなり印象に残ったのだった。

そしてなによりわたしの心を射とめたのが、ウィリアム・ターナーの「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む」(タイトルながいのよ…) 。

かなり大きな作品で、白くモヤのかかったようなヴェネツィアの運河と空、船たちの幻想的な美しさがわたしの心を捉えて離さず、このまま絵画に突進すればこの世界の中に入れると言われれば、間違いなくそうするだろうとよくわからないことを考えながら、吸い込まれるようにその絵の前から動けなくなったのだった。

もうほかにも感想を書きたすぎて割愛するしかないのだけど、今回は、ほんのすこし聖書の内容が把握できているので前より宗教画にのめり込んで鑑賞できたような感覚があったのも、うれしかったことのひとつ。絵の前後の物語を思い出しながら見るのはとてもたのしい体験だった。

その中でも、自分のつくった彫刻に恋をしてしまう作家の姿を描いた、ジェロームの「ピュグマリオンとガラテア」がすきで、帰って調べてみると、絵の物語もしっかりとあり、別角度で描かれたものもあって、ジェロームがこだわって描いた主題なのだと知り、なおさらすきになる。

あと、さいごに……
クレオパトラとへびの絵の透き通るような肌の美しさとピンクの頬の艶かしさも忘れられない。

わたしは新古典主義あたりの写実的で実直な印象を与える作品よりも、19世紀以降の個人の視点が強く出ている作品がすきなのだなぁと改めて確認できた展示だった。この時代のものは、作家の自由な想像力によって絵が生き生きして、美しさ以上に喜びが伝わってくるかんじがする。見る側にも余白が残されているというか…

でも、一緒に行った友達は、正直19世紀以降はよくわからなかったと言っていて、逆に写実的な絵の魅力について語ってくれたので、そうだよな、そういう見方もあるよなぁ。とおもしろかった。これだから、ひとり美術館もたのしいけど、人と行くのもいい。

それにしても、ながいね。
ここまで読んでくださった方ありがとうございました。

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