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【掌編小説】死ぬこと

祖父が死んだ。

第一発見者は祖父と二人で暮らしていた祖母で、朝中々起きてこない祖父を起こしに行くと既に亡くなっていた。それから方々に連絡したり、手続きを済ませたりで色々と大変だったようだ。

独り暮らしの私の元に連絡が来たのは昼過ぎだった。私は昼休みが明けると、明日から数日休む旨を部長に伝え、足早に家に帰った。

東京から実家へは片道数時間かかる。私は急いで支度をして、必要なものだけ持って家を出た。電車に乗り、新幹線に乗り、また電車に乗って、実家についた頃にはもう夜中だった。東京から実家は遠い。帰る度に愚痴を溢していたが、今日は特に遠く感じた。

翌日、祖父母の家で通夜が開かれた。私の知らない人もいっぱいやってきた。近所で頻繁に会っている人もいれば、亡くなったのを聞いて遠くからやって来た人もいるらしい。みな口々に近況を報告しあっている。

ふと、老衰で亡くなった祖父に対し、「幸せそうに寝てるわね」と優しそうに誰かが言った。不慮の事故でも、突然の不幸でもない。老人になれば、死ぬなんてその程度のことだと言わんばかりに思えた。

次の日、葬儀を終え、祖父を火葬した。祖父は昨日まで人の形を保っていたのに、今では小さな骨壺に収まっている。不思議な気持ちだった。中の骨を見ても祖父だとは思えない。でもこの骨壺は紛れもなく祖父の分身である。人の認識の境界線とはなんともおかしなものである。

葬式後、食事会を済ませ、祖父母の家に帰った。両親や祖母は今後のことについて話し合っている。私はリビングのソファに座っていた。

祖父もいつもこのソファに座っていた。私が幼い頃からそうだった。いつも家に行くと、ソファから笑顔を向けて「よく来たなー」と言う。私は祖父に遊んで欲しくて、ソファに座っている祖父を無理やり庭に連れていった。

大人になってからはこのソファに座って話をした。私が東京に出てから年に一度しか会わなくなったから、毎年近況報告ばかりだった。私が東京の話をすると、祖父は決まって自分も東京にいたことがあると話した。毎年同じ内容だったが、歳を取るごとに祖父の話す速度は衰えていった。最後までボケることはなかったが、終わりが近づいていたのを私は微かに感じ取っていた。

ソファに座ったまま外の景色を眺めると、大きなくすの木が見えた。祖父が手を引いて連れていってくれた近所の公園。大きなくすの木が生えていて、祖父はその公園のくすの木を「こうじんさま」と呼んでいた。こうじんとはどういう字を書くのだろうと今更ながら思った。

そういえば、公園で遊んだ後はいつも近所の駄菓子屋に行っていたが、あの駄菓子屋はどうなったのだろう?

祖母に尋ねると、

「あのおっちゃん、だいぶ前に死んだよ」

と笑いながら答えた。確かに私が子供の時に既にいい歳だった。私が知らないだけで自分のまわりでも案外人が亡くなっているのかもしれないと思った。


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