SNSは物語渦巻く魔境
最近、意識してSNSから離れている。
そうしてみて分かるが、やはりSNSを見ているときの時間とエネルギーの消費はすさまじいことに改めて気づかされる。
SNSには大勢の人間がいろいろなことを書き込む。
当然それらは全て、人の思考が形になったものだ。
喜びにしろ、怒りにしろ、不平不満にしろ、思考であることに変わりはない。
たぶん、人間というのはそんなに一度に大量に他人の思考に触れることはできないのだと思う。
だから、こちらの脳や心が機能不全を起こすのだ。
当然と言えば、当然だ。
SNSに大量に投稿された、人々の思考。
それを言っている人間の名前も顔も分からない。
そんな状態で僕たちは何をするか。
それらの投稿一つ一つに物語を作って理解しようとするのだ。
こういう投稿をしているのは、こんな性格で、こういう環境で生きてきて、普段はこういう生活をしているはずだ、と。
そうすることで自分にとってある程度カテゴリに分けることができる。
そうするほうが、分かりやすくて安心できるからだ。
得体の知れない存在より、はっきり分かる悪の存在の方が僕たちは安心するのかもしれない。
正義だとしても、悪だとしても、それらに対するこちらの態度を決めることができるから。
だけど、ほとんどの人はそんなに分かりやすいほど正義でもなければ、悪でもない。
しかし、一つ一つに、細かな物語を付けるにはSNS内の情報は多すぎる。
結果として、単純な善と悪、正と邪、曲と直に振り分けるほうが楽なのだ。
その方が単純で分かりやすいし、何より善と悪の物語は、人の快感に直結しやすい。
そして単純なものは、シンプルゆえに刺激が強い。
だが、どんなに刺激が強かろうと、時間と回数を重ねるにつれて人はそれに慣れていく。
正義の物語に、刺激を求め続けようと思ったら、前回よりさらに過激にしていくのが最もシンプルな方法だ。
そうして人はSNSの中の物語にはまっていくのだと思う。
物語が毒になることもあるいい例がSNSだ。
だから、SNSからはなるべく距離を取ったほうがいいと思うが、使う必要もあるのが今の時代だ。
そんなSNSのまだマシな使い方として考えられるのが、
時間を決めて使う。
例えば、19時から20時の1時間だけ使うとか。
ただ、寝る前にSNSをやるのはやめた方がいい。
頭の中で無意識の内に作った物語が暴れて寝つきが悪くなる。
二つ目は、覚悟することだ。
SNSを使うということは、これから自分は心が乱される確率が高いということ、むしろSNSで混乱することが好きな変態だ、くらいに思ったほうがいいかもしれない。
とにかく人は常に物語を楽しみ、物語に翻弄されている生き物ということだ。
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