自信とはどこから付けるもの?
ちょっと気付いたんだけど、
自分には自信が無いって思ってる人って、たくさんいると思う。
ある分野ではそれなりに自信あるけど、別の分野では無いという人もいれば、
あらゆる全てのことにおいて自信が無い人もいる。
僕もそうである。
特に対人関係に関することだ。
他人の意見を聞くと、相手の方が正しくて、自分の方が間違っているという思考の癖があるみたいで、
他人に対して自分の考えを言うというのが、ひどく苦手だ。
たぶん、他人から見たら僕は自分の考えが無い人間のように見えるかもしれない。
だけど、自分の意見が無いわけではない。
こんなふうに、時間を掛けて文章にすることで表現することはできる。
とは言っても、他人に思うように意見が言えないというのは、自信を失わせるのには十分だ。
そんなとき、なんで自分はコミュ力が無いんだろうとか、堂々とできる度胸が無いんだろうとか考えることがある。
だけど、ちょっと思ったことがある。
自信が無いというのは、
何かができない、何らかのスキルを持っていない、何らかの物なり資格なりを持っていない、現在とある状態になっていない、から自信が無いのではなくて、
自分自身に対する理解が低いから自信が無いのではないのか、と思った。
漫画なりアニメなり、物語の中のキャラクターたちの中にはとても自信に溢れているキャラが大勢いる。
彼ら彼女らは、なぜ自信に溢れているのか、またはなぜそう見えるのか。
それはキャラが自分のことを理解しているからだ。
このキャラはこういう時、こういう行動を取る、とはっきりしている。
作り手がそうやってキャラ作りしているのだから当たり前だが。
大抵のキャラは同じ状況のとき、特別な理由が無い限り同じ行動を取る。
現実の人間は違う。同じ状況でも、昨日できたことが、今日できなかったりする。
体調が悪いとか、心配事があるとか、そんな理由が特に無くても、
何となくできたりできなかったりする。
でも物語でそれをやると、キャラがブレていると思われ、受け手が混乱してしまう。
だから物語のキャラたちは、基本行動が一貫している。
それは、自信を持っているように見える。
キャラたちが、自分自身のことを理解し、そういう自分のことを信頼して行動しているように、見ている側は感じているから、物語のキャラたちに憧れを持つのかもしれない。
と言うことは、大切なのは、何かのスキルや知識を身につけるとか、資格を取るとかではなくて、
とことん、自分を理解する。ということをするしかないのではないか。
ちょっと自分に当てはめて考えてみた。
さっき、僕は対人コミュニケーションがあまり得意ではないと言ったが、
考えてみれば、もしかたら僕は「人」には興味があっても、「他人」にはあまり興味が無いのかもしれない。
自分で言っても、ちょっとフワっとしているのだが、
何て言うか、人ってこういうものだよね、とか、人が幸せになるにはどうすればいいのか、みたいなことには興味あるけど、
一人一人の個人の細かいところまでは気にしないというか・・・
まだ上手く言語化できていない。
とにかく、僕は他人の顔や名前を覚えるのにすごく苦労することは間違いない。
こんなふうに、自分のことを理解する。
そしてそこに、これは「正しい」これは「間違っている」とかの判断を持ち込まない。
ただ、自分はそうなんだと理解だけする。
そうすることで、自信みたいなものは自然と付いてくるのではないかと、思ってみたりした。
ここで重要なのは、あくまで「今」の理解であるということだ。
もしかしたら、明日は「あ、もしかしてこれが自分なのかも」と思うかもしれない。
そうなったら、そうなったでいい。
下手に「これが自分」と固定化すると、かえって苦しむかもしれない。
人は何かと忙しい。日々、何かに追われ、自分自身を理解することを疎かにしているかもしれない。
今、自分に自信が無いと思った時は、
少しだけ時間を取って、自分を解ってあげることも大切だと思う。
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