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DAY1

週1回、noteでの振り返りがすっかり習慣になってから3年目を迎える。

自身を取り巻く「音楽」との関りをダラダラと書いた雑記も100本を超えた。

我ながら、暇を持て余しているなあと思う。それでも、細々と書き続けているとnote上での交流や出会いからの学びを得ることも多く、ダラダラ流れていくタイムラインと、最近流行りのショート動画を見ているよりも振り返りが進んで良い。(ショート動画、面白いですけど。笑)

思い返してみると、元々、このnoteは「誰かに何かを伝えたい、発信したい」というよりは、自分自身「新たな生活習慣」を作り込むために始めた取り組みだった。その結果として「誰かの参考に何かしら役に立てば一石二鳥かな」という、どちらかというと「自分の欲求」に従った書き方だったと思う。

今年で35歳になる。新しい生活様式は徐々に確立され、20代の頃とは様変わりした。年末の振り返りでも書いたが、2023年はとにかく決めたことをやり切る、実行力を磨いた1年だった。

今年のチャレンジは「周囲との関係性や、自分の置かれている状況の変化を目指す」ということになると思う。20代の頃に挫折して諦めてしまった「多くの人を巻き込む動き方・仕事の進め方」であったり「他者を通じた自分」を意識しながら、自分の信念(やりたいこと)と、どう統合させていくか?を考えるタイミングに来た。(20代の頃は、とりあえずこの状況を変えるには「個人」として変わるしかない、と、半ば置かれていた状況から逃げ出した、と振り返っている。)

そのために終わらせることも、年末まとめた。
ふと立ち返れるように、記載しておきたい。

そして、ここ数年いずれにしても「没頭」できたことがあるわけだし、そのおかげで今があると思うと、新たに設定した目標に対しても同じことが再現できるか?が試されるように思う。バランスを欠いても今はいいから。

幾度かの没頭体験を持つと、没頭には深さに違いがあることに気が付きます。ちょっとした集中と、深い集中と、自分と対象のみにどっぷり入り込んでしまう世界はそれぞれ違います。

最も深い段階では自分不在になります。自分というのは、意識が創作したものであって、客観的に見れば自分も環境の一部です。野生で出くわす鹿を見て自然だと感じるように人間の身体も環境の一部です。

本当に没頭すると、「自分がいる」という意識自体がなくなり対象とその行為のみになります。

為末さんの下記noteより抜粋

身体感覚を伴い、没頭できるかどうか。「自分の意識」を認知している段階では、没頭出来ているとは言えないのだろう。

弱肉強食・自然淘汰・自己責任の時代、スタートアップに勝ち抜き従前の大企業に苦汁をなめさせるためにはポエムを語っている場合ではない。スタートアップ企業が真っ先に考えなければならないのは従業員ではなく利益を生み出す仕組みであり、あなたのプランに沿って従業員に仕事をさせ、それに乗っかるものを報い、そうでないものをカットすること。でないと、あなたがつぶされます。従業員を平等に扱う必要などない。

昨年、強く突き刺さった下記note

本業や関わっている事業に関しても、上記への意気込みが試されるのだろう。改めて、年始のこのタイミングで胸に刻みたい。

シンプルに物事の解像度を上げたければ、本を読むのが手っ取り早いが。やっぱり実際に経験してしまうのが一番腹落ちし、身体に真の体験として染み付くので、できればそっちの方がいいと思う。

本当に人生経験豊かで苦労した人は優しい。真の優しさを持っている。上辺ではない。そういう人に今後もたくさん出会えると思うとワクワクせざるを得ないな。

昨年出会った勇気づけられたnote

本を読むことは続けていくが、元々、人生経験を豊かにしたいと思ってスタートアップ・ベンチャーの世界に飛び込んだ。既定路線よりも、自分でなんとか藻掻いていく人生を選びたい。ワクワクドキドキに偏重しすぎるのもどうかと思いつつ、今年1年も楽しみなことが多い。

上記で触れた「読書」に関しては下記を意識していきたい。

この投稿に出会えたのも、下記noteのおかげだった。このあたりも、関係性を意識して、社内の読書会の取り組みも生かしながら、自分のものにしていきたい。

昨年の学び直しを経て、下記の記事の感じ方が変わっていることに気付けた。「よし、では個の好奇心を大事にしよう!」という話ではなく、すべての階層は繋がっていて、日本社会が良くなるためにも、一人一人の生き方が大事なのである。

好奇心を元に違う世界に接触する→自分が何を抑圧していて何に抑圧されているかがわかる→抑圧から放たれ思い切って違うことをやってみる→抑圧感がなくなり他人を抑圧しようという気分ではなくなる→社会全体が豊かになるかはわからないけれど個人の幸福感は高まる、です。

人生は一度しかなく、いつ終わるかわからず、いつかは終わります。最後までお互いを抑圧し合って本当にやりたいことを遠慮して我慢して生きるより、ちょっとぐらい周囲に白い目で見られても生きたい人生を生きる方が幸せではないでしょうか。我慢を止めることは同時多発であるほど良いです。まるでクールビズでみんな一斉にネクタイを外したように。そういう生き方をする人が増えればこの国は変わると思います。

下記noteより抜粋

今年のnoteの活用についても、関係性を意識したものに切り替え、自分のためにアウトプットを続けていきたい。改めて、下記を参考にしてみる。

というわけで、結局、性懲りもなく自分語りが多くなってしまいましたが、本年もどうぞ、よろしくお願いいたします!!

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