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解像度が上がるということ

例え話だが、幽霊が見える人は幽霊が見えない人よりも数倍神経を使って生きていかねばならない。幽霊慣れをしているのならその限りではないが、やっぱり人についている背後霊や、土地に居座る地縛霊が可視化されているのだとしたら見たくなくても視界に入ってしまうだろう。見えてしまう、知ってしまっているからこそ見えない、知らない人よりも神経を使ってしまう。

この感覚は、人生のありとあらゆることにも起こる。それは、

  • 人の痛みが分かる人と分からない人

  • いじめられた経験がある人とない人

  • リーダーの経験がある人とない人

  • 会社経営をしたことがある人とない人

  • 旅をして人の優しさに触れたことがある人とない人

  • 一文無しになったことがある人とない人

  • 身体にハンディキャップがある人とない人

こういうのが無限に存在する。
余談だが、人生は年を重ねるごとに涙もろくなるという話がある。これは「脳のブレーキが緩みやすくなっているから」という加齢による前頭葉の機能の低下があるかもしれないが、僕はこう考える。

年とともに経験することが増え解像度が上がる、そして大切な真理とも言える何かに近づいていくので、知りたくないことでもたくさん知ってしまう。
故に楽しいこともたくさん増えるが、時には悲しいと感じることもまた増えてしまうのだ。結果として、相手の気持ちがわかってしまうので、泣いてしまう確率が上がってしまう。

リーダーを経験したことがある人がメンバーにいるとやりやすいというのがある。これはリーダーの苦労や大変さを肌身で理解してるので、例えばリーダーが「申し訳ないが、少しだけ一緒に残業をしてここのプログラムを直すのを手伝ってもらえないか?」とメンバーに伝えた場合にそのメンバーがその日どうしてもダメだったとして、リーダー経験がない極端な場合は、「いえ、今日はもう帰ります。他の人に言ってください。」となる。それがリーダー経験があると「今日はどうしてもこの後帰らないといけないのですが、明日の午前中早めなら可能なので、もしそこでもよければ一緒にやりたいです!」と代替案を出してくれる。この代替案を出せるかどうかが僕は解像度が高い人だと思っている。リーダーの大変さをよく理解しているという意味での解像度だ。
こうなると、リーダーはこのメンバーに感謝し、すまないが、明日午前中お願いするよ、本当にありがとう、となる。
これで良い。このやり取りで良い。むしろこのやり取りこそが人間同士のやり取りであり、リスペクトがある良き理解者同士の会話なのだ。

シンプルに物事の解像度を上げたければ、本を読むのが手っ取り早いが。やっぱり実際に経験してしまうのが一番腹落ちし、身体に真の体験として染み付くので、できればそっちの方がいいと思う。
本当に人生経験豊かで苦労した人は優しい。真の優しさを持っている。上辺ではない。そういう人に今後もたくさん出会えると思うとワクワクせざるを得ないな。


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