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「希望」の2文字を入れていい

あの田原総一朗氏と、不肖・二重作拓也の対談、そしてクロストークが2月17日に早稲田大学近くの「喫茶プランタン」での田原カフェにて開催されました。当日参加くださった「演劇の学校」主宰の演出家・木村龍之介さんがレポートを記してくださったので、この場にてご紹介させていただきます。

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田原総一朗氏×二重作拓也氏 対談を拝見して
演出家・木村龍之介


僕たちが想像しているものの一つに「国」という概念があります。地理的に確かなものとして存在もしていますが、それは国土というべきであって、国というワンワードが内包している意味はもっと広いように思います。 その概念について、僕らは時に絶望し、時に関係のないものかのように振舞ったりします。

「今、日本という国の概念をどのように定義したらいいのか?」 そんな漠然とした問いは、ぼくらの中に意識的にせよ、無意識的にせよ、あるのではないでしょうか?

そんなことをぼんやりと考えていた矢先(そう、僕は『ジュリアス・シーザー』という政治劇を演出している最中だったんです。)に、田原総一朗さんと二重作拓也さんのガチバトルが開催されるという一報がありました。

バトルとはいっても「田原カフェ」というユニークな対談。 これはいかねばならないぞ、と確信しました。

田原×二重作のタッグは、「この国をどのように再定義するか」という抽象的な問題を、一方は〈政治〉という物差しで、もう一方は〈強さ〉という物差しで測りながら、解決に向けて行動力を伴って踏み出せる、数少ない日本の専門性を伴ったジェネラリストです。 フィジカルが伴った議論ができるお二人です。

「これは何かヒントになるようなことが得られるかもしれない」

僕は、早馬に跨って早稲田のカフェ「ぷらんたん」に向かいました。

そのバトルは、面白かった。 「いいシェイクスピア劇をみているような」という言葉がぴったりくる面白さ。

人間のリアルを、あらゆる角度から言葉を変えアイディアを変えながら探求し、その結果、観客の人生の深部に希望の光を灯し、絶望から這い上がる足腰を授けてくれる、そんないいシェイクスピア劇をみているようなリアルで劇的な対話でした。

戦中、そして戦後からの激動の歴史を疾走してきた田原さん。 強さを追求し続け、日々奔走する二重作さん。

政治をインディペンデントな立場から見つめてきた男の眼光の中にある青き炎。 格闘技医学という独自のジャンルから強さの概念を炙り出し、「人と場」をプログレスする男の胸の中に宿る紫の炎。

二人の炎が、会場に奇跡的に集まった一人ひとりの「情熱の火柱」と絡み合い、田原カフェは、その日、燃えていました。

このカフェをつくる若者たちの1年分の熱エネルギーもあいまって、燃えさかるカフェの真っただ中にいた僕は確信しました。 この国の概念に「希望」の2文字を入れていいのだ、と。

僕らが想像する国は、僕らの信じる力にかかっている。でも、怖れることはない。過去の過ちに学び、素晴らしきものに敬意を払い、学んで、行動して、新しく想像すればいい。

この国のドラマは(五幕構成のシェイクスピア劇になぞらえれば)まだ第二幕あたりでしょうか。第三幕が転換点です。一人ひとりがこれからの物語のキーパーソン。

『さあ、希望と共に「強く」進もう!』

その日の「田原カフェ」は、そんな劇的な一夜でした。
演出家・木村龍之介

写真:@shandiyosuke さん

追伸、あるいは秘密のエピソード…
田原さんと二重作さんとの打ち合わせに同席の機会をいただきました。 目の前に座る田原さんは「老齢な」という言葉が一切似合わない、溌溂とした「若者」でした。僕はいつも思います。 どうして才能があり行動する先輩たちはこんなにも若いのだろう? 田原さん、二重作さん、僕。三人で「鴨せいろうどん」をすすりながら過ごした時間は、高校時代の放課後のように自由闊達! 目の前には、途方もない未来が広がっていました。

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いかかでしたでしょうか?
演劇、演出、演じる、文化と恩恵をもっと多くの皆さんと共有したい、と自身の理想を追い求める、木村龍之介さん。彼の唯一無二の視点から綴られたレポートは、やはり劇的な魅力があるように思います。
このような貴重な場をつくってくれたオーガナイザーの田中渉悟さん、運営の皆さん、喫茶ぷらんたんと早稲田OB/OGの皆様、ご参加くださった皆様、そして何よりも「この国をどうするか?」について問い続ける田原さんのスピリットに心から敬意を評します。二重作拓也

フル映像は田原総一朗チャンネルにて
【前編】


拙書『強さの磨き方』おかげさまで、いろんな方に届いています。


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