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ストーリーMaker

私たち人間の脳は、ストーリーが好きだ。

よくできたストーリーを愛し、拍手を送り、自身のストーリーを重ね合わせる。

ではなぜ私たちはストーリーを好むのか?
それは「脳がストーリーで記憶したがる」からだ。

たとえば、「海岸」「太陽」「ダンスミュージック」という3つの言葉を目にすると、どうなるだろう?

おそらくは、さんさんと輝く太陽の下、海岸でダンスミュージックをかかっているところで人が踊っている、そんな場面を思い浮かべた方も多いのではないだろうか?

3つの全く違うものを、関連付けて並べ、流れをつくる。
そういうことが得意だし、好きなのだ。

なぜか?

一説には「いざという時に備えて脳の容量を確保しておくため」と考えられている。不安定、不確実な中で、弱い種族としてサバイヴせざるを得なかった我々人類は、不測の事態に対応しなければならなかった。そのためには脳内にすぐ使える空白の領域をなるべく確保しておきたい。

海岸、太陽、ダンスミュージック、を3つ独立させて記憶するよりも、ヴィジュアル化して、「ストーリー」にしたほうが、脳にとって都合がよかったというわけだ。

人はストーリーで記憶したがる。人はストーリーをつくりたがる。人はストーリーを愛する。そういったことを知ると、いろんなところにストーリーが見つかりはじめる。

格闘技術はどうだろう?

たとえばボクシングの試合も、かまえ、ジャブ、ステップ、ガード、ストレート、フック、ステップバック、などの肉体言語を選んだり、組み合わせたり、引いたりしながら、最適な局所的なストーリーを構築する作業である。今この瞬間に、次の瞬間を選びとっいくような。

また全体には、ストーリーを描く作業でもある。どんなにボコボコにやられていても、どこかでひっくり返せば「逆転の劇的ストーリー」が完成する。もちろん相手も相手のストーリーにしたいから、互いにストーリーの奪い合う勝負でもある。人々がスポーツや勝負事に魅力を感じる根本理由はここかも知れない。

音はどうだろう?

たとえば「ドレミーレド、ドレミレドレー 」は心地良い音のストーリー。これが「ドレミーレド、ドレミレドドー」になるとなんか調子が狂ってしまう。無限の音の選択の中から、ストーリーとしての音で紡いでいく芸術なのかも知れない。あるときは人間の予想をリードし、ときに裏切るような。

そういえば、僕はかつてこのようなツイートをした。

『人間には「ストーリーをつくる能力」がある。どんなことが起きても「前向きなストーリーを描ける人」は生き延びる力が強い。邪魔されても、裏切られても、辛い目にあっても「それらを客観的な素材とし、より良いストーリーをつくれる」は強く生きる武器となる。』


次の一歩をどこに置くか?
次の一音をどの音にするか?
次の言葉に何を選ぶか?
今、この瞬間、未来をどこに見つけるか?

それによって新しきストーリーが描かれ、その上をトレースするように現実が進んでいくのだろう。

私たちは誰もがストーリーMakerである。サイアクの状況でも、サイコーの救いのストーリーを描く才能を有している。

素敵なストーリーがたくさん生まれますように。

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