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自故日記(30)

交通事故に遭って腓骨と脛骨を開放骨折して、手術から3ヶ月が経過しました。

事故に遭ってから、歩けない時間をこれだけ長く過ごしているので行動範囲もとても狭くなっています。

行動範囲が狭くなることで思考も狭くなってしまう。これはおそらく脳に対する刺激が少なくなっていくことになるのだと思う。

だから、なるべく本を読んだりいろんな人と話をしたりして考える事を増やすことが必要なのかなと感じています。

当初、

「3ヶ月で歩けるようになる」
「4ヶ月目からは軽いジョギングができる」
「6ヶ月目からはボールを使ったトレーニングを開始できて、試合復帰はそこから1年の間となるだろう。」

こんなふうに言われていた。この時点でも結構苦しい。サッカーを全力でプレーした結果であれば仕方ないと受け止めるしかないかもしれない。

しかし、そうではないのでなかなか気持ちは難しい。

ケガはメンタル勝負だとよく言われるのだけれど、本当にメンタルは限界を既に越しているくらいだと思う。

いまはバンコクに移動をして治療をしている。

環境が変われば少し気持ちも変わると思っていたけれど、バンコクでは雨や渋滞に悩まされている。

タクシーに乗って移動すれば良いと思っていたけれど想像を超える渋滞がある。

徒歩で治療に通いやすいエリアにしているのだけど、駅近のために駅周辺の渋滞は半端ない。

どこかに出かけてしまえば、帰りは相当大変な目に遭う。移動に松葉杖が必要なことにより、さまざまな難しさに直面している。

それによって気持ちも落ち込むことも増えるので、大変な時期を過ごしています。

筋肉や体力も相当に落ちてしまっている。
本来であれば、この時期は新たなチームを探すためのトライアルが始まる時期だ。

シーズン開幕を控えてプレシーズンキャンプを行うチームも多くある。

ラオスに関してはリーグが終わり、来季に向けての準備が少しずつ始められている。リーグが少し変わるようで、来季のスタートは年内になるようだ。

いまは毎日を乗り越えるだけで精一杯だ。
朝起きて、いまだに歩けないという現実と向き合うことから1日がスタートする。

その時間を少しでも短くしたいからこそ、治療の時間を朝イチにしている。

コロナによって人との接触や移動がなくともいろんなものを得ることが可能になった。

このサービスにおいて、「非接触型」というのを選択できるようになっている。
それによって、接触しないことがサービスになっている。

僕は何かを部屋から注文するときは最大のサービスとしては部屋まで運んでくれることだ。

しかし、怪我も何もない人からすれば配達完了を知らせてくれて、ロビーかなんかに置いておいてもらって自分の好きなタイミングで受け取りに行けることがサービスかもしれない。

でも、今の僕にとってはそれは違う。
便利になる一方で不便になる人もいるのかもしれない。

その一つの理由としてコミュニケーションの欠如、消滅があるのかなと思った。

今の僕は片松葉杖でも歩くことはできるのだけれど、バランスが悪くなるとか、バンコクの不安定な道の中で転倒のリスクなどを考えると結局は両松葉杖になる。

そして、両松葉杖での移動になるからこそ、いろんな行動の制限が生まれる。歩きながら携帯に触ることなんてできないし、足元を確認しないと怖いので目線も下がる。

ラオスにいた頃は、僕が怪我をしている様子を見て周囲の人たちは道を開けてくれたり、僕が歩行しやすいようにいろんな配慮をしてくれた。

いまバンコクに移動して、多国籍なエリアに滞在している。街を開けてくれる人もいれば、お構いなしに僕が避ける必要があるくらいな場合も少なくない。

怪我をしている僕が悪い。
だけど、怪我した側に立ってみると、そういう時の優しさや配慮がとてつもなく大きく記憶に焼きつく。

そうやってイメージって形成されていくから、小さな心遣いとかは特に異国では大切だなと改めて思う。

小さなことでも何かしてくれたら僕はありがとうと伝える。それが当たり前ではないからこそ。

内容がまとまっておらず、申し訳ないですが怪我をして立ち位置や目線が変わることで感じることも大きく変わった。

経験しなければわからないことは本当に多くある。
経験しなくていいことも多くある。

怪我や病気に関しては経験してしまうと、本当に辛い。だからこそ、みんな気をつけてね。

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