伸びるのは、やらなきゃならない環境
僕は昔アルゼンチンに住んでいました。
初めての海外で、飛行機に乗ったことも東京から北海道への往復のみ。
ドンキ・ホーテの看板のペンギンを見て、これは北海道にしかないと思って興奮をしていた。
今では地元にも2つもある。
僕はアルゼンチンに行く以前からスペイン語の勉強をしていた。
それは単純に英語以外の言語を取得したかったからだ。
そして、いつかサッカーの本場に行ってみたいという願望があったのだと思う。
ある程度の時間をかけて勉強をしたのだけれど、全くと言っていいほどそれを使いこなすことができなかった。
今朝、僕が参加している早起きコミュニティで「人生(日々)の納得度合いを「80%→100%にあげる極意」という題材のウェビナーに参加をした。
僕はこの話を聞いて思ったことは、
「しなくてもいい状況」と「しなければならない状況」という違いだと思った。
僕のスペイン語の話で言えば、話せなくても良い状況で勉強をしていた時と、
話せなければ生きていけない状況で勉強をするのとでは当たり前に大きな違いがある。
人生において言うのであれば、
自分が「しなければ納得ができない」と言うものが見つかっているかどうかが重要なのではないかと思った。
「しなければならない状況」と「しなければ納得できない」ものをいうのは違う。
前者の方はやらされている可能性もある。
後者の場合は、自分が望んで取り組んでいる。
そこには「やり甲斐」や「生き甲斐」、必要性や明確な理由があるんだと思う。
スペイン語が少しずつ話せるようになったのは、話さなければならない状況下で、自分が望んで話し始めた時だ。
話す理由や、話すことによって得られることがあるからこそ学びが加速した。
スペイン語を話すことで、僕は好きなタイミングでご飯を食べることができた。
話す努力を始めたきっかけはお腹が空いて仕方がなかったからだ。
それこそ日本でスペイン語を勉強していたときは、やらなくてもいい状況だった。ご飯が食べたければコンビニに行けば大抵のものは手に入った。
だけど、「Tengo hamble.(お腹が空いた。)」なんていうスペイン語を勉強していた。
そんな言葉を勉強しながらすでにご飯を食べていた。
サッカーでもそれは同じだったのだと思う。
自分は、別に試合に勝てなくても飯が食えなくなるわけではない。
日本に帰ればなんとかなる。
でも、そこに集まっている奴らには明確な「やらなければならない」理由があったんだ。
勝たなければ家族が生活していくことができないという状況で、それを背負ってあらゆる南米大陸から集まっていたんだ。
2週間でほとんどの選手が入れ替わるようなこともあった。
そんな中で切磋琢磨して残っていく選手だからこそ凄まじい。
「しなくてもいい状況」と「しなければならない状況」の違いを知ること。
そして、「(自分が)やらなければ納得できないもの」というのを自分の人生で見つけられるかどうかが重要ではないだろうか。
そんなことを改めて感じた朝だった。
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Noteを書き続けてきて、書く難しさを感じています。
書くことによって伝わる事と、話して伝わる事があると思いました。
書き終えて文章を見返した時に言葉が足りないなと思うことがあります。
またそれをずらずらと書き尽くしてしまうと非常に読みづらくなってしまう。
そんなことを思う中で、書くことと声で表現をしたいと思うようになりました。
なので、実際に自分の書いたNoteについて話しています。
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