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英語の技能を保留する

英語科教育法IIIの授業ログ。
今回はリスニングに焦点を当てた模擬授業。

模擬授業と実際の教室での授業の最大の違いは、「生徒」である。普通の学校教育の中での授業に生徒がいるのは言うまでもないが、模擬授業では教員採用試験等で行われることもある生徒がいない(いるという想定で行う)ものと、実際の授業の対象とされている学習者ではない人が生徒役を務めるものがある。
上で述べたように私の授業では教師・生徒それぞれの立場からの振り返りを行うため、当然生徒役を務めてもらう必要がある。その際に大学生や教師教育者などの大人がただ単に教室の座席について、前を向いて授業を聞き、ノートやプリントに何かを書いていればいいわけではない。生徒役を演じる者は基本的にその模擬授業で教えられる内容を既に学んでいたり、そこで想定されている学習者のスキル・習熟度より高かったりする可能性が高い。
そういった既有知識で授業の内容を補完したり、持ち前のスキルでタスクをこなしてしまうと、そこでのパフォーマンスは本来の授業で想定されている学習者の表れとは全く違うものになってしまう。

よって生徒役には生徒らしく考えたり、振る舞ったりすることが求められる。
そのためには大学生として自分が持っている「知っていること・分かっていることを保留する」(渡辺, 2019, p. 61)必要がある。

それについては以前の英語科教育法Iの授業ログの中でも触れた。

上の記事では生徒役の「子どもっぽいふるまい」について検討した。
今回は生徒役のスキルに焦点を当てて、英語科教育法IIIのリスニングの模擬授業を振り返っていきたい。

読める文を読めないことにする

There is a pen on the desk.

この記事を読んでくださっている方の多くは英語教育関係者だと思うので、上の英文は難なく意味理解が可能だろう。この文を読んで、「Thereってなんだっけ。あ、『そこ』だっけ。『そこはペンです、机の上。』ん???」などとなる人はまずいないと思う。多分。

しかし、我々が中学1年生あるいは小学生として模擬授業を受ける際には、上のような反応を示す(生徒もいる)必要がある。全員が英語教師を志望している大学生であったとしても、There is a pen on the desk.を左から右に読み流すだけで理解できてしまってはいけない。

以前、同じ英語科教育法IIIの別の学生の模擬授業でリーディングを行った時に、ペアワークできる人数に揃えるために私も生徒役として参加した。その際に上のようなThere構文の文を理解できない生徒を演じ、(先生役の学生へのサインとして)プリントのThereという単語の上に「そこに」という訳を書くなどしていた。
それがリアルな生徒の思考として正しいかと言えば何の確証もないが、そういうふうに初学者の分からなさを想像して授業を受けることを英語科教育法IIIの履修者には求めてきている。

聞こえたことを聞こえないことにする

そんな中で迎えた今回の模擬授業のフォーカスはリスニング。リスニングにおける生徒役はリーディング以上に難しい。スピーキングやライティングであればとりあえず「話さない」「書かない」ことで「話せない」「書けない」ことを表現できる。リーディングなら、「読めないとしたらこの辺で躓くかなぁ」と想像しながら「読めないことにする」ことができる。上述の私の生徒役としてのふるまいがまさにそれだ。

リスニングではどうか。英語が流れた瞬間、もう聞こえてしまっていて、理解できてしまっている。それはリーディングと似た状況だが、「分からないとしたらどこか」を考えている間に、音声はどんどん先に進んでいく。
それでも学生たちは高校2年生の英語力を想像しながら、リスニングタスクに取り組む。リスニングの素材はYouTubeから探してきた"Disney+ vs Netflix: Which is Better?"という動画。
ネイティブスピードの動画で、それでも動画なので視覚的な補助も使ってなんとかやれるだろうと教師役の学生は期待していた。
一方生徒役の学生たちは問いの答えとなる字幕が表示されてもそれをワークシートに書き取れないことも多かったり、そもそも途中でワークシートのどこを見たら良いのか分からなくなったりしていた。

観察者として授業を見ていて、この生徒役の学生たちのパフォーマンスには正直驚かされた。「さすがに画面に字幕が出たら分かったことにしてしまうかなぁ〜」と思って見ていたが、そもそも画面とワークシートにバランス良く視線を移していなかったり、字幕を見てもそれがワークシートのどこに当たるのか分からなかったり、彼女たちなりにかなり具体的に高校2年生のリスニングの過程を想定していたように見えた。

上で触れた渡辺(2019)では算数の模擬授業を具体例として「知っていること・分かっていることを保留する」ことの重要性が述べられている。
一方で(これも渡辺先生にFacebookの投稿を通して指摘していただいたことではあるが)、英語の「技能」つまり「できること」を保留することはそれより難しそうだ。
英語でなくても、スポーツや芸術活動等を想像してもらえれば、習得済技能を発揮しないことの難しさは想像できる。

50メートル以上のロングキックができるサッカー選手が、全力で足を振り抜いても30メートルしか飛ばないという子どものキックを再現する、とか。
胸だけを身体の他の部位と切り離して動かせるダンサーが、首や腰ごと一緒に動いてしまう初心者の動きを再現する、とか。

生徒役の学生たちがやってのけたことはそれだけ難しいことだ。そういうことが出来たというのを自信にしてほしいし、自分が先生役に回った時にも、そして来年度控える教育実習、さらには卒業後先生になる人にはそれぞれの現場でその力は活かされるはず。

そういう生徒役の最大限のパフォーマンスを引き出すような模擬授業を忙しい中用意してくれた学生にも感謝したいし、彼女自身も生徒役の学生らのパフォーマンスのおかげで省察を深めることができるだろう。

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