書いて叶える
思ってたことが実現したという経験がある。全勝ではないが全敗でもない。アレやコレやと実現したことがある。「人生捨てたもんじゃない!」と心から思った夜を十回ぐらいは超えてきた。
思い出してみると、自分の場合「何かに文字として書いたこと」はかなりの確率で実現しているし、「半ば諦めかけつつある」タイミングで実現することが多かった。
「書く」はガチなのである。道徳とかスピでもなんでもなく、事実として書いた事象は具現化する確率が跳ね上がる。
あくまで「自分が」の域は出ないのだが、あなたはどうだろうか。書いてから15年後に実現したことも、5年後に実現したことも、5年前に書いてまだ実現していないこともある。もしかしたらこれからもしないかもしれない。
それと書くだけじゃなくて、書いたものを毎日眺めるも加えると実現までの時間が短縮化され気味である。
「書いていないことは叶わなかったのかなぁ」とか考えてしまう。別にそんなこともない。
ただ、「末永くこのメンバーでバンドを続けること」と書いたりはしていない。書いていたら解散しなかったかもしれない。書いていても解散したかもしれない。
真偽のほどは分からないが、「書くほど望んでいること」という視点で日々を送ると、「その目的に近づくか近づかないか」で物事を無意識に判断するようになるのではないだろうか。
だからある程度の時間と濃密さが必要にはなるけど、近い位置にいきやすくはなるのだと思う。
期間を決めずに「いつか達成したらいいなぁ」ぐらいと気持ちで書いても損は無いかもしれない。ゼロ円でできるライフハックだ。
もちろん書いただけでは何も起きない。
運も良くならないし、収入も上がらないし、健康にもならないし、時間も手に入らない。
だけど、「書いただけ」で終わることも少ない。「書くほどのこと」というのはやはりそれだけのことだ。「書いただけだ!」というやつはもう何やってもダメだ。何を威張っているのだと思う。
人間結局それっぽいチャンスが来たときに、ヒヨるかヒヨらないかの違いでしかない。そのときにヒヨらない母数がある程度あるやつは、それなりに何かをキメている。
でも、いくつかの「書いた実現したこと」を今思うと何でもないとも思ってしまうのだ。叶えたから価値が見えなくなったのかもしれない。
やはりそれを叶えるというより、その叶えた先で何をするかが一番大切だったなぁとも思うのだ。アレもコレももうちょいうまいことやれればよかったのに。
あさって1/5下北沢ERAのライブですがLarge House Satisfactionがインフルエンザ病欠になりました。よって1バンド公募します。
1/5下北沢
juJoe
THURSDAY'S YOUTH
Egw Eimi
+1band(募集)
↓までリプライでYoutubeのURLを送ってください。1/4の18時までにお返事します。急遽すぎるけども!
音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!