50人としかつるめない
「人間関係は150人が限界」という説がある。ダンパー数といって、なんだかんだそれ以上の数になると霊長類は脳がパンクするらしい。
この150人にはたまにしか会わない親戚や同窓生とかも含んでいる。そう考えると、つるめるのは50人ぐらいかもしれない。
50人しかつるめないのであれば、好きな50人で固めたいものだ。
その50人も人生の中で入れ替わり立ち替わりなのだろう。別れて出会ってを繰り返していく。となると「そのひとの50人」の中から自分が外れたとも考えられる。
僕たちは常に流れの中にある。
出たり入ったりする人間関係が常なのであれば、せっかく巡り会えた縁は大事にしたいものである。
ボケーっとつるんでいて、本当は素晴らしいパートナーになるはずだった存在と別れていくのはもったいない。
かといってどうすれば仲良くなれるのだろうか。わざとらしいとウザイし、好きでもないと喋りたくないし、人間関係ってじつはけっこう詰んでいる。
そこでひとつ使えるのが「共感力」だ。
共感力が強いひとは友達ができやすい、というやつだ。
アメリカのドレクセル大学で行われた実験にこういうものがある。
被験者を2グループに分け、一方には紙やすりを触りながら、もう一方にはサランラップを触りながら、同じ映像を視てもらう。
すると映像のなかの「痛そう」なイメージに対する脳の反応が、より大きかったのは紙やすりを触ったグループだった。
自分が不快な思いをしているときの方が、他人の不快にも敏感になったのだ。つまり共感能力が高まったわけである。
またもうひとつの実験では、石鹸で手を洗ったグループと、軽石で手をこすったグループとでは、軽石グループのほうがチャリティにより多く募金する意志を示した、という結果が出ている。
ここでも不快を感じることによって共感能力が高まっている。
この結果を用いると「目の前の相手への共感力」をその場で高める方法に応用できる。
たとえば、苦労話を聞いたり悩み事の相談に乗ったりするときは、自分の手に爪を立てるのも良い。
相手が楽しい話をしてるのに「何がおもろいか分からん」と冷めた気分になってしまったときは、時折楽しいことを思い出しながら聞くと共感しやすい。
共感しているうちに、相手の面白さや痛みがスムーズに心に入っていくのではないだろうか。
どんな相手でも面白いところとつまらないところがある。それが自分と合うか合わないかだ。
「合わない」がほとんどだと思うが、本当にそうなのだろうか。「合わせ方」を知らないで終わってしまった関係もあるんじゃないかなぁと思ったりもする。
共感能力についての本をワサワサ読み漁るなんて、10代の自分からしたら想像も付かなかった。
化ける、と言ったら大げさだが、ひとは変わる。
10代の頃は全量的なもので人間関係を計りがちだが、大人になるとだんだん質を求めだす。
距離感を正確にしながら、深くガッチリと他者と付き合っていたくなるみたいだ。
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