僕たちは欲しいものが手に入らない国からやってきた
清冽な水で洗ったような秋空だった。今日も昨日も。ここのところ、毎日が毎日の続きみたいに晴れている。
秋になる度、たまごっちのことを思い返してしまう。1996年の11月にリリースされたオモチャだ。
あの手のひらサイズの育成ゲームは、何故あんなにも流行ったのだろう。
『育成もの』だからだろうか。たしかに一時期ポケモンやモンスターファーム、ダビスタなど『育成』ブームがあった。
しかし売り切れ続出で全然手に入りませんなんて社会現象は、たまごっちだけだった。
僕は小学三年生だった。もちろんたまごっちが欲しかった。どうしようもなく面白そうすぎた。手のひらの中で何かを育てるなんて、こんなに愉快なことがあるだろうか。
ある日、教室に行くと、隅っこに人だかりができていた。
「お父さんがバンダイのひとと知り合いでね」
人だかりの真ん中から声がした。一際背の低い、その人物の声色はじつに誇らしげだった。
僕たちは彼を『御曹司』と呼んでいた。
長所は自室にテレビデオがあるということ、風呂にスチームサウナが搭載されているということ。それのみだった。平たく言うと、骨皮スネ夫を実写化したような男だ。
みんながたまごっちをぶらぶらさせる御曹司に向かって、「すげー…たまごっちだ」と称賛を浴びせていた。
御曹司は時折り、「おっとメシの時間だ」と言ったり、「おっとそろそろ遊んでやらなきゃなぁ」などと笑い、三つしかないボタンを得意げにいじっていた。
ピッコピッコピッコピッコとメトロノームのような規則的な電子音がした。
小さなオモチャにクラス中が羨望の眼差しを向けていた。
たしかにたまごっちの入手難度は凄まじかった。iPhone12の入手困難さなど比較にならない。というより現代では、ありえない難しさだ。
当時はインターネットが生活の一部に組み込まれていなかった。欲しいものがあってもAmazonでポチるなんて夢のまた夢、発想すらない時代だ。
足を使って町のオモチャ屋を探すしかなかった。
それでもなければ隣り町の中古ショップ、果ては三宮や元町まで出かけて、怪しげな高架下のショップを漁るしかなかった。
それでも買えない、見つからない、手に入らない。
世の中に「手に入らないもの」がちゃんとあったのだ。僕はデジタルネイティブ世代じゃないので、この飢餓感覚が心に残留している。
「金を出せば、流通さえしていてれば、何だって手に入る」
この環境は恵まれているし、僕自身慣れてきてもいる。ほとんどの買い物をAmazonで行う。
でも当たり前じゃない。僕たちの世代はその当たり前じゃない国からやってきた。
「すごい!わたしも欲しいねんけど、なんとかならへん?」
僕の大好きな深沢さんが、御曹司を濡れた目で見つめていた。
「まぁお父さんに聞いてみるよ。何とかならないこともないと思うよ!」
政治家みたいな喋り方がぐっと癪に触った。御曹司は唇の端を歪め、ニタニタしながら深沢さんを舐め回すように見ていた。
銀色のキーホルダーチェーンは親指と人差し指で吊られ、催眠術師のツールみたいにたまごっちをぶらぶらさせていた。深沢さんの黒目が右に左にと振り子になる。
それを見て、僕はつま先で軽く椅子を蹴った。誰にも気付かれないぐらいの小さな金属音がした。
バンダイの落とした『たまごっち爆撃』は最初、小さな火種だった。しかしやがて炎になり、一帯を焼き尽くした。町とモラルが焼け果てた。
やがては神戸の暴力団の資金源にまでなっていった。アンフェアに仕入れられたものは、闇市で転売されはじめた。
模造品、パクリ商品も数えきれないほど発売された。よく分からないものもあれば、『デジモン』のようなメガヒット作も生まれた。
日本では刺さらなかったが、「ブラジルではたまごっちよりコッチの方が流行ってる!」という謎のパチモンも出てきた。
すっかり『携帯型育成ゲーム』のオゾン層が地球全体を包んでいた。
それでもたまごっちだ。みんなが欲しいものはパクリではなく、たまごっちこそが欲しかった。
パチモン、模造品はむしろ見下される要因となり、『たまごっちを持つもの』の地位をさらに押し上げた。
女子高生たちは、その購買欲から売春に走りはじめた。春を売る商売は元からあったのだと思うが、あまりに増えたせいで、『援交』という言葉が生まれた。
おっさんたちが十代を買っても裁かれにくい時代だった。女子高生はバンバン売れた。
翌年1997年、モーニング娘。が登場した。
彼女たちはなんとなくスレていて、なんとなく大人で、スキャンダルもなんとなく演歌だった。
次世代のAKBは、なんとなくピュアで、なんとなく幼くて、スキャンダルもなんとなくキャバクラだった。
秋晴れを光源とした輝きが教室の埃を照らしていた。
御曹司の指先でたまごっちはまだぶらぶらしていた。深沢さんだけでなく、他のクラスメイトも催眠術にかかっていた。
遠目から見ていると、胸のざわつきがさらに加速した。不愉快に汚泥を掛け流ししたような感覚だった。
なぜ自らの力で掴みとったわけでもない、与えられた物を誇れるのか。また椅子を一発蹴った。何人かがこっちを見た。
あの御曹司は今も自分の中で、カウンターを取るシンボルになっている。
ああなりたくない、ああなってはいけない、あのぶらぶらとの戦いを今も続けている。
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