せっかちなのはいいこともあるのだが、悪いこともふんだんにある。

丸二日ほど睡眠が続いた。起きると震線でキモイ。ちょっと改善が見られたと思ったところなのでSHOCK。

早く治るに越したことはないが、こういうのはたぶん速度よりも方向だ。病気の治療はせっかちになってしまうときがあるが、大切なのは方向を間違えないことだ。

「早く、なんでもいいから早く!」と、僕はいつもあせってしまう。

せっかちなのは昔からだが、何をするにもとにかく急いてしまうのだ。過去を振り返ると、急ぎまくった結果、大切なものが潰れてへしゃげて二度と戻らなくなった。

治療だけではない。ほとんどのことは方向を整えるだけでいいのだ。後は慣性の法則でスルスル進む。

それに、せっかちはいいこともあるのだが、悪いこともふんだんにある。

あせりという魔物に取り憑かれると、周りをないがしろにしてしまいがちだ。おそらく「せっかち」というのはどうにも「いらつき」という成分を含んでしまうからだ。

「速度より方向」という正当は治療だけではない。バンドも仕事も遊びも全部そうだが、速いやつもいれば遅いやつもいる。

売れたり稼いだり婚期や童貞喪失、健常への帰還。

早いやつへの羨ましさは止まらない。こういう感情は、多かれ少なかれ誰しもに訪れるのではないだろうか。

せっかちなせいで、足りない自分への怒りから自己破壊につながったり、無用な苦痛を背負うことが多い。「自分をぶっ壊したい」という感覚はじつは本能的に備わっているものらしい。

サピエンスの種としての本能なのだろう。

個としての大切さもあるが、種としての務めが果たせないのであれば、自分という個を破壊し、他の個に発展を託し、種の保存を優先したくなるのは当然だ。

だいたいの病的な人間はのんびりしていない。

のび太を見てほしい。あいつはとにかく病的ではない。何も足りないと思っていないし、他よりも劣り、遅いはずの自分をいっさい卑下していない。

のび太に学ぶ、ではないがやはり人生は方向だ。ここのところより思う。

進みたい方向にさえ向いていれば、亀並の速度でも構わないのだ。

のび太のような亀でも明日に向かって、方向だけは間違えずに這いずっていくのがベターだ。

野村監督も生前は「ピッチャーは球速よりもコントロールが大切」と言っていた。

「人生とは」とすぐに主語をデカくしてしまうが、生きるのにも大切なのは「方角」だ。

僕も「どこに投げてるんだ!」とばかりに方向を間違えて暴走してしまった過去が一度や二度では済まない。

では方向はどうすれば整うのか、と言うとこれまた答えは出ない。今も触覚を片方ちぎったアリのようにグルグルしている。

そのくせのんきに構えてもいる。

日々錯綜する価値観の中でふらりと出会う一冊の本や、なんのことはない一曲に救われたりするんじゃないかなぁと軽く期待している。もしかしたらそれを書き上げるのは自分かもしれない。

創作物やエンタメだけではない。

いつもいる友達が目を覚ましてくれることもある。これは嫌なパターンだが、大事な何かを失った日に方向が整うこともある。

やはり「方向性の違い」で解散するというバンドの嘘はそれなりに的を射ているとも言える。

みんなが聞かされる「方向性の違いで解散します!」というお知らせは、じつは嘘でもなんでもないのかもしれない。



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