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担任にムリヤリ魔女宅を見させられた話

学校の黒板の向きは法律で決まっている。

誰が決めたのか知らないが、窓が南側に位置するからだそうだ。ガラスからの採光目的、右利きが影を作りにくいという合理的理由があるのだと言う。

左利きの僕はその合理性から排他され、五年間、薄い灰色の光のもと、教科書を読み、ノートを取り続けた。

この「日本人の九割は右利きだから」という論理のおかげで、僕は『ひかり』に対して、やたらと過敏な少年だった。一割のマイノリティなのだという気持ちを抱えたまま成長した。

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昨夜読んだ学園もののマンガで、夕焼けが黒板を朱く染めていた描写があった。ストーリーは感動的で、美しく、あたたかく、僕もそこを目指したくなった。主人公たちは青春の甘酸っぱさと友情の果てに抱き合い、喜び合っていた。

しかし僕の教室の黒板は絶対に赤くならない。日本が北半球にある以上、実際の黒板が夕暮れに染まることはない。

マンガやドラマに描かれる学園生活に憧れた。だけど、これらが面白いのは、起きる事件すべてに意味があり、放たれる言葉に希望があるからだ。

現実の教室はじつに味気なく、ほとんどのイベントに意味はなかった。飛び交う言葉は理不尽という成分をベースに作られている。

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今日も真っ白な太陽光線が教室を焼いていた。
明るさは足りないのに、眩しさは過剰すぎるほどで、顔の向きを変えると、椅子の脚と黒板の銀が反射し、目に刺さった。

電気代をケチっているのか、天井の蛍光灯はすべて消えていて、廊下側の席が薄暗いほどだった。

「あんたらにはホンマ愛想つきたわ......!」

担任の湯浅が右眉を下げて、左眉を上げて言った。眉毛とは非対称に唇は右が上がり、左が下がっている。ここからは見えないが、肩甲骨あたりまで伸びている縛った髪は、ダメージで竹ぼうきのようだ。

僕たち三十五名はうつむいて、重たい空気の中で息を殺していた。

「あたしはやな?自分の生徒にこのビデオを見せるんが楽しみで先生になったとこもあんねん」

湯浅は『魔女の宅急便』というラベルのビデオテープを振っていた。気まずい空間の汚い空気をぐちゃぐちゃにかき混ぜているみたいだった。

一時間前、湯浅は意気揚々とドアを開けていた。

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「今日のがっかつ、みんなでこれ見るで!」

そう吠えた湯浅の目は、いつか写真で見た薬物中毒者の瞳に似ていた。視線の先には僕たちがいるはずなのに、何か別のものを観測しているようだった。

五年生にもなると、低学年の時より学校に拘束される時間がずっと増える。
最大で五時間目までだった時間割りの限界値は、六時間目にまで達した。

火曜、木曜に設定された「がっかつ」という科目のせいだ。
いわゆる国語算数などの主要科目と違う「何でもアリ」という性質のもので、格闘技で言うところのバーリトゥードみたいな時間だった。

そうしてこの日の僕たちは、なすすべなく『魔女の宅急便』を見させられた。

部屋の最南西上部に置かれたテレビは、音量も画面も小さい。目を凝らさないと見えないし、耳を澄まさないと聞こえなかった。この環境下で何度も見た内容を鑑賞するのは、苦痛以外何者でもなかった。

特に教室の窓際、一番後ろの席に座る僕の位置からは、ほぼ何も見えなかった。激しく太陽光を反射させるブラウン管からは、かすかにキキの声が聴こえた。

「トランプあるけど」
目の前の席の栗田がこちらを向いた。手にはケースに入れられたトランプを持っている。

「トランプ?」
「トランプ知らんのか?」
「いや、知ってる。西洋の遊びやろ」
「やらへん?」

栗田は半身どころかほとんどこちらを向いていた。
「やるに決まってるやろ」

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「この西洋カルタも魔女宅ぐらいこすり倒してきたよな。十一年間」
栗田がコソコソと声を出した。
「生まれた瞬間からやってたんか?」
僕は少し笑って言った。ブラウン管からトンボの声がした

「でも、栗田よ。トランプが今現在、この世で一番おもろいゲームやな」

「魔女宅が世界最悪の作品みたいやんけ」

「魔女宅に罪はない。ただ、いくら作品自体に力があっても上映のやり方次第では親戚のホームビデオ以下にまでなる。今知ったけど」

「たしかに。魔女宅をこんだけつまんなくできるのはすごいな」
そう言いながら栗田がトランプを一枚ずつ配っていく。

「この『がっかつ』で大切なことを学んだ気がする。届けたいものはちゃんと丁寧に、誤解なく届けなあかんねん」

僕は配られたカードを手札にしながら続けて言った。
「俺が宮崎駿やったら湯浅を撲殺する」
「宮崎監督は原作ちゃうぞ」
「知らんかった。でも殺すとは思う」

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「ていうか何やんねん?」
早口で言った。
「ジジ抜きに決まってるやろ」
栗田は僕に反して、口をゆっくり動かした。

「何で決まってんねん」
「ベラベラ喋る猫がおるやろ」
「ジジの声聞きながらジジ抜きするの贅沢やろ」

僕たちはジジ抜きを始めた。ババ抜きと違って残っていてはいけないカードが、後半にならないと分からない。
しかし、後半になってきて気付いた。そして僕は口を開いた。

「これおもんなくない?」
「言うな」

栗田は自分の提案が失策だと思っているような顔つきだった。窓からの日差しが噛み締めた表情を照らした。

「スリルが足りへんねん。スリルが..….!」

栗田の目つきは、湯浅のそれと同じ色に鈍く光っていた。昔から頭に血がのぼると、見境つかなくなるところがあった。口論からクラスの女子を殴ったことがある。女の子はそのまま倒れ、三針縫う怪我をした。

「スリルってどないすんねん……」

「スピードやんぞ」

栗田の声は少しの怒りを含んでいた。覚せい剤の呼称にしか聞こえなかった。

教室を見渡すと、寝ている者や、僕たちのようにコソコソ私語をする者がちらほらいた。この左奥の席は教室中が見渡せる。

教壇の湯浅はブラウン管に釘付けになっていた。テレビからは「あたし、このパイ嫌いなのよね……」という何回も聞いた音声が流れている。

「絶対バレるぞ」
「バレるかバレへんかぐらいでやらなあかんねん。ヒリつかへんやろ」
栗田はもうセットを始めていた。

「じゃあ、小声でやんぞ…湯浅がキレたら相当だるいからな」
僕はため息に乗せてつぶやいた。

湯浅は説教モードに入ると、栗田同様に見境が無くなることが多かった。

小学校という位相は残虐性が育まれやすい。

会社で部下を従わせるのとは違う次元で、『子ども』を従わせる。これにより教師側にも全能感が生まれるのだ。

監獄を模した施設で被験者を囚人役と看守役に分け、その行動を観察した『スタンフォード監獄実験』というものがある。
看守役はどんどん非人道的になり、囚人役は従順になっていくのだが、被験者らがあまりに危険な状態になったため、ついには途中で中断になった実験だ。

状況は人を変えるし、立場によっては人間はパーソナルな気質を超えて悪魔になっていく。『偉さ』は簡単に人間性を変えてしまう。

僕は教室や学校は人間を変える装置だと思っていた。そして変わるのは子どもではなく、大人だ。

「まぁ、とにかくやるか……ていうかスピードやるのなんていつ以来やろ」
僕がそう言ったとき、セットは終わっていた。

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「「スピー…ドッ!」」

僕たち二人の掛け声と共にカードが動いた。数字の上に数字が重なっていく。トランプがすごい勢いで躍動する。ヒートアップしていくうちに音量もエスカレートしていった。ところどころ紙の厚みが増していき、高くなっていき、反対に山札は低くなる。そして僕たちの『スピード』は決着が着かなかった。

「何してんねん!」

ゲームを始めてから湯浅の怒号が鳴るまで、数分も要さなかった。

湯浅は早歩きで歩いてきて、栗田の頭を思い切り叩いた。その勢いで僕の顔面にも張り手を見舞った。気のせいか僕のほうが打力が強かったように感じた。しびれのような痛みが顔に広がる。

湯浅は僕たちのまわりにいた男子たちまで、殴り始めた。「なんでお前らも注意せんねん!」と怒鳴りながら、三國無双のようにバシバシと蹴散らしていった。

次は遠くの席でUNOをやっていた連中のほうへ殴りにいった。一人、二人とまた殴られていく。女子は五、六人で席を寄せてガールズトークに夢中だったが、すぐに席を戻して難を逃れていた。

湯浅は教室中を歩き回り机を蹴ったり、人を殴ったりと暴れ回った。太陽光線に灼かれた教室は地獄絵図と化した。
子ども僕から見ても、とても二十代の女性とは思えない暴力性だった。

「もうええわ!やめや!こんなもん」

奇声を発して、湯浅は教壇に帰還した。ビデオの停止ボタンを押して、リモコンを教室のドアにぶん投げた。プラスチックの破裂音が鳴った。

空を飛んでいたキキの映像は真っ暗になった。

「あんたらにはホンマ愛想つきたわ......!」

十一歳だった。

なんだか、僕も愛想がつきていた。自分たちや世の中、大人、ジブリにすら愛想を振りまけなくなっていた。人間として少しずついろんなものを諦めていった。

七年後、僕は恋人と『魔女の宅急便』のDVDを観ることになる。

ずっと独りで暮らしていた部屋に誰かがいるのは、あたたかい違和感があった。窓からは夕焼けが差し込んで、阪急電車のアナウンスが鳴っていた。

不思議だった。あの日と何一つ変わらないのに、キキやジジを見て、僕は泣いていた。

「助けてくれて ありがとう。でも助けてって言った覚えはないわ」

息巻くキキの声を、そのひとに抱かれながら、聞いていると、胸の中で潰された何かが溶け出していくようで、涙がボロボロこぼれるのを止めることができなかった。
ブラウン管の銀色は夕陽の眩しさで輝いていた。



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