あなたのためなのよ
「あなたのためだから」と言う前置きからダメ出しをされることが幾度もあった。
聞かなかったこともあるし、聞いて本当に役に立ったこともある。
「忠告を聞くか聞かないか」の基準は相手を尊敬できるか、好きか嫌いかでだいたいはOKだ。
でも場合によっては「嫌いと言うわけにはいかないけど、キツイ相手」というケースがある。
この相手からのダメ出しをさばくのは中々大変だ。目上ならば、聞いたフリをしなきゃいけないタイミングもあるし、世の中には問答無用でぶっ飛ばせる相手とそうじゃない相手がいる。
「こういうややこしい相手と関わらずに生きていく」というのは人生のテーマだとも思う。なるべく削りながらいきたい。
好きになったり尊敬できる相手というのには、それなりの理由がある。だからそのひとの言葉は響くし、素直に受け入れられる。
そして「あなたのためだから」という言葉を吐くのは簡単である。親や先生、先輩の得意技でもある。
だけどその言葉に責任を取れるひとはほとんどいない。
極論だが「その通りにして、出た分の負債は被ります。利益は定めたパーセンテージを分配します」というカタチになって、助言というのは初めてイーブンになる。
それだけの決済力を持つひと自体がそもそも社会には少ない。そうなると、やはり「好き嫌い」で決めてしまってもいいのだ。
新しいことを準備している。早速いろいろなお言葉を頂けている。キタキタ、と思っている。
世の中には自分が上に立ちたいがために、何か言いたい気持ちを抑えられないひとまでいる。
こうなると末期だ。結局「自分のため」に助言を放り込んできているのだ。
関係を切ってもいい人間だったら、早めに切り捨てた方がいい。切ったらいけない人間だと悲劇だ。
「自分の大事なひとの大事なひとがクズである」という詰みケースは幾度もあった。生きているとアホの子のように口を開けているあいだに詰んでしまうときがある。
人間関係は強く小さくがいい。ベストじゃなくても、ベターは強く小さくだ。
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