死んじまうと思った時
映画の中で起きる人物の変化を「アーク」と呼ぶ。フィクションでは大事な要素だ。「人物の変化」なんて、実生活ではめったに見られない。
だからこそ、観客はそれを見たがるのだ。
登場人物が模索しながら成長、変化して、何者かになるところを目撃したがる。
アークはターニングポイント、切り替わり、変革とも言い換えられるかもしれない。
僕も人間をそれなり長くやってきた。いろんな年があった。
でも、『アークが起きた年』なんて、まだ三度しか味わっていない。
ひとつは上京して、バンドを辞めた年だった。
辞めてもロクな可能性もないけど、続けていたら本当に何の可能性も無かった。あの頃はどこを向いても地獄だった。
それならロクな可能性も無いけど、主体的になれる方向に傾こうとした。新しくQOOLANDというバンドを始めたのだ。それが2011年。
そして、もうひとつは2016年だ。
ふたつの年に共通していることがある。自分の意思で決めて行動したことだ。
目標とか希望とか夢なんかじゃない。ただ、やると決めて、実行していた。
「少しでも素直に、正直になりたい」と思って、考えていることを整頓して、記して、伝えていくことをしてみた。ここnoteまで続いたが「毎日文書を書く」というアウトプットを習慣化した。
そして「じつはこんなふうに生きてみたい」の規模を、少しずつ拡大させた。「こんなふうに生きてみたい」の状態に、「実際の状態」が近づくように、矯正していった。
落ち着いて「こんなふうに生きてみたい」を考えたら、「実際の状態」はかなりひどかった。キツイ矯正が必要だった。
恒常性維持機能が働くと思ったから、みんなにも「強いストレスがかかるかもしれない」という旨をメンバーたちに話した。
僕の「じつはこんなふうに生きてみたい」と、実際の行動の距離は、冥王星ぐらい離れていた。距離にしたら1000億キロぐらい離れていた。
だけど、近づけようとしたら0も1ミリにはなるし、2にもなるかもしれない。
「じつはこんなふうに生きてみたかった」に1ミリずつ近づいていった。
LINE BLOGの更新やクラファン、web媒体連載や、LINE配信、ホンシェルジュ、ロッキンにカムバック、メジャーデビュー、当日解禁ゲリラライブ。
手当たり次第にやった。うまくはいかないこともあったけど、つま先は徐々に冥王星の方を向きだした。
しかし、僕はなぜ「じつはこんなふうに」と言いだしたのだろうか。
この年の春過ぎに死にそうになったことがあるからだ。あれはとてもゾクゾクした。
非日常で、緊張感を伴う、ドーパミンが頭蓋骨から氾濫しそうな体験だった。『死にかける』がキッカケとなったが、それをもっと利用することにした。
「死にかける」をただ偶発的に起きたイベントにするには、惜しいと思ったのだ。
ひとつ設定を設けた。
それは『2016年の年末に、もう人生を終わらせる』というものだった。
誤解されたくないから書いておくけど、苛性ソーダを一気飲みするわけでも、飛び降りるわけでもない。失踪の予定も無い。
あくまで仮の話、そう思い込むというシミュレーションだ。
しかし、相当リアルに「あと7カ月」と思い込めた。実際に死にかける生々しい体験があったおかげだった。
僕はむかしから、「まだまだ時間がある」と思うと、ダメな子どもだった。夏休みの宿題を、31日にやるタイプなのだ。
「まだまだ命がある」という意識を捨てたくて、これまでもいろいろな工夫をしてきた。
首吊りセットを常設したり、完全自殺マニュアルを暗記するほど読んだり、睡眠薬とアルコールを混ぜて外で寝たり、いろいろやっていた。
今日もアルコール依存症の離脱症状を抑える薬を飲むし、それでも不安が止まらない夜がある。睡眠剤を倍飲んでひっくり返って寝てしまうようにしている。
2016年の死にかける以来、死を身近に設定するようにした。
「余命7カ月」という思い込みは、本当に自分の能力がブーストする。
男は『終了』を極限までリアルに設定することで、今までに無いものが遺せるときがある。
しかし、みなさんも『終わりが決まると、前が向ける』って、多かれ少なかれ、持ち合わせていないだろうか。終末トランスとでも呼べばいいのか。
毎日noteを書くのはもう苦でも無いが、最初は大変だった。遺書のテンションで書いていた。
「よくそんな毎日書けることあるね」と言われるが、あたりまえだ。もう死ぬのだ、書いときたいことだらけだった。そんな「『遺し書き』になるならば」は大きかった。
大事なひとたちにも、感謝することがやけに増えた。別れが透けて見えたのだろうか。
『この男とも女とも、もう今年いっぱい』と思うと、ありがたさしか無かった。
くどいようだが、本当に暗い話では無いのだ。
仮にドラマのように「おまえ残り、半年の命な」と言われたら、何か遺したくなるのが人情だろう。
『平井拓郎、ついに今年終了(⌒▽⌒)』を設定したことで、僕は毎日を雑にわしづかみしなくなった。
自分が死ぬまでに人生にやり残したことが、すいぶんとあることに気付いた。いざ終わりが決まると、誰かに伝えたいことだらけだったし、言ってないことだらけだった。未練がどんどん出てきた。
「素直になれない」とか言ってる場合じゃなくなったのだ。
やり残したことも、山ほどあった。
反対に、それまで、気にしていた小さなことは、どうでもよくなった。恥とかを考えるのも馬鹿らしくなった。
前までなら我慢ならないことや、不安や心配事も気にならないようになっていった。
つらいとか苦しいとかが飛んできたときも「まぁでも、今年いっぱいだしなぁ」と思うと、感覚がゆるんだ。
将来の不安なんかも消え失せた。そもそも無いのだから当然だ。
急に時間が足りない気もした。焦りはしなかったけど、馬鹿をしているほど、のんびりもできなかった。無駄なことをいっぱい捨てたし、辞めた。無駄だらけだった。
本当に遺しておきたいものはきっと、まだやっていないものの中にあると思ったし、みんなの脳裏に焼き付けておきたいものも、まだやったことの無いものの中にあると思った。
生きてるうちに、それをやらなきゃいけなかった。
「じっくりやりなさい」的なアドバイスも、いくつかもらったけど、とてもそんな気になれなかった。
僕はもう、すっかり『設定』を信じていて、本当に自分が終わる気がしていた。「もう終わるんだから、とにかく今」という感覚だった。
気づいたら僕は『自分を後生大事に抱えこんで、我が身可愛く、身動き取れません状態』を完全に手放していた。
将来における不安や心配事が足かせになって、動けない気持ちは分かる。でも、手放すと本当に楽になるのだ。行きたいとこに行ける。
自分を不自由にするような将来なら、無い前提で動くのもアリだ。
だけど、おかげで、あの年はズズッと人生が動く音がした。
「自分で決めて行動する」しか人生を動かす方法は無いらしい。自分が腑に落ちるやり方でやるしかない。
その状態が、もはや一番の安定なのかもしれない。それは公務員や大企業に勤める、何倍もの安定感だ。
最近、思う。
僕と同族の人もいるなぁと。
声をかけてくれなくてもいい。なんとなく気配は感じている。こちらから声を飛ばしておくから、届くなら嬉しい。
『最高の環境』なんてものは無い。『完璧な状況』も無い。
自分に寸分違わず合う、ジャストサイズの服なんてひとつも無い。
どこかで微調整して、折り合いをつけるしかないらしい。少し袖をまくったり、すそ上げしたりして、なんとか着ていくしかない。
僕の『死ぬ設定』は袖をまくるための、ひとつの方法だった。
今年も『設定』で会社を起こした。死ぬつもりで始めた。
経営なんて何も分からないのに、手探りで仲間たちとほじくり返した。規模がどんどん大きくなっていった。滞りなければ、フィリピンとアフリカとマルタとハワイの経済に手を突っ込める。
商売のことはここに書くようなことでもない。だけど、僕にとってビジネスをでかくするのも音楽を作るのもさほど変わらないのだ。影響力を持って死にたい。
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